第壹章 祭りを開催するにあたっての諸注意 1P
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夏に差し掛かる手前。何処を見ても日の光が行き渡る恐ろしい季節に差し掛かっていた。
温かみのある風が優しく風上から撫で下ろす草原は、小動物を育み、それを狙う肉食の動物がわざわざ、出張して来る。家の彼処で小さな厄介者の走り回る音が聞こえ、町の路地は、人通りが多くなるにつれてゴミが散らかり、景観が害される。森は、鬱蒼と茂り、小道さえも侵食し、陰鬱とした様相に様変わりし、人を寄せ付けない。冬とは様変わりして心躍る死と隣り合わせの恐怖も消えてなくなる。寒い早朝に毛布にくるまれながら熱い珈琲や紅茶飲む楽しみも台無し。代り映えのしない陽気な日々が続く。
恐らく、この季節の真価を理解し、有難がって愛しているのは、日向ぼっこや外で盤上遊戯に耽る老人と狂った様に町中を駆け巡り、全身が動かかなくなるまで遊び倒す子供くらいのものだ。その中間にいる者たちは、形だけの価値にしか目を向けていない。
拡大解釈と言う免罪符。いや、御旗を掲げ。春の浮かれた陽気を利用して沢山の人々が暗躍する。例を挙げれば、ここぞとばかりに金に目が眩んだ亡者は、あの手この手で消費を煽り、物欲を刺激された者は、湯水の様に金を使い、享受する。騒ぎたい者や神の威光で飯を食っている者は、疾うの昔に意味が失われていた祭事へ異様な固執を曝け出す。理由は、酒を浴びる様に飲む為の理由付けや自分の地位を揺るぎないものとし続ける為など。
それは『Chanter』でも例外はなく。
「祭りを開催するにあたっての諸注意?」
「ランディくん、初めての参加だから。今日は、私が教師役として色々と指南を」
五の月中旬。ランディは、ユンヌに呼び出しを貰い、礼拝堂に足を運んでいた。エグリースの騒動より、町民の協力もあって礼拝堂は、見違える程、清潔感に溢れている。室内の埃臭さは、一掃されて礼拝用の椅子や石壁、照明も綺麗に磨かれている。外観も嘗ての栄華を極めた威厳と風格を取り戻し、誰にも古ぼけた怪しげな建屋とは、言わせない。
今も屋根の修理は残っているものの、それも五の月には、終わる目途が立っていた。そんな礼拝堂内でランディは、教壇前に置かれた机と椅子に横並びでルーと共に座っている。目の前の教壇には、タイトな体の線が出やすい紺色のドレスを身に纏い、縁のない眼鏡を掛けたユンヌが居る。黒いチョッキに皺の目立つ灰色のシャツを腕まくりしてタイトなパンツ姿のランディは、机に突っ伏してユンヌを上目遣いで見つめる。机に脚を乗せて限界まで背凭れに寄りかかり、礼拝堂の天井を眺めるルー。まるでおろしたての様に皺ひとつない真っ白のシャツと火熨斗の掛かった折り目もきちんとしているスラックスを着ているのだが、態度が酷い。
「因みに眼鏡を掛けると、何だかうら若さと大人びた雰囲気が同居して不思議なときめきを感じるね。ユンヌちゃん、あれやってみて。人差し指で眼鏡の高さ直すの。この不思議な感じが何処からやって来るのか、分かるかもしれない」
「……」
「君の趣味は、相変わらず面白味がないね。僕には、礼拝堂の限定された雰囲気と、ユンヌの先生って肩書に惑わされているだけにしか見えない。眼鏡は、おまけ」
「邪魔をしないでくれ、ルー。君には、分からないかもしれないけど、この謎を解き明かせた暁には、世界の心理に一歩近づく論文が出せるかもしれないんだ」
「それならもっと、マシな題材にした方が良いと思う」
「……」
ユンヌそっちのけで祭りに関係ない話題で盛り上がる二人。ユンヌは無言のまま、眉間に皺を寄せ、様子を見守るのみ。今のうちに大人しくすれば、ユンヌも矛を収めるのだが、二人の勢いは、止まる事を知らない。
「なら、君はどんな時にときめきを見出すのさ?」
「僕? 僕はそうだなあ 開店前の時間に帳簿を書くシトロンが眼鏡を掛けているんだけどね。普段の雰囲気と違って心が動かされちゃうんだよね。蝋燭の薄明かりも相まって妙に知的で色っぽく見えるっていうか、意外性を突いてくるというか」
「なるほど それはそれで興味深い。そしたら、どっちがこの世の謎に迫れるか競争し—― いったっつ!」
遂に怒りの頂点に達し、ユンヌはつかつかとランディへ歩み寄ると、教壇の上に置いてあった聖書を大きく振りかぶってランディの頭上に振り下ろした。完全に油断しきっていたランディは、まともに本の打撃を食らい、椅子から転げ落ちて頻りに頭を摩る。
「ユンヌの本さばき、今日はいつも以上にキレがある。腕を上げたね……」
「真面目にやってる私の立場にもなって! こんな事ならもうやってあげない。ルーも参加するのは、許可したけど、ふざけるなら帰って」
ルーを睨みつけて珍しく語気を荒げるユンヌ。普段なら決して見せる事のない苛立ちの感情を露わにして地団太を踏む。痛みで瞳の端に涙を浮かばせるランディは、頭を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
「申し訳ない。少し俺も緊張していたから肩の力を抜きたくて……ユンヌちゃんにお呼び出しを貰ったから浮かれちゃったんだよ。もしかするとっ……てね」
「それは、絶対にありません」
「残念だ――」
「君もかなり、夢見がちな青年だよね。真顔でそれを平気で言えるから本当に飽きない」
ルーは、机の上から足を下ろして立ち上がると、ランディが倒した椅子を立て直す。
ユンヌの機嫌は下がり続け、取り返しのつかないものへと変わりつつあった。
「お褒めに預かり、光栄だよ」
「君も悪い意味でノアさんに似て来たよ。移住して来る人は大体、二分するんだ。開き直って図々しくなるか、周りに人達に萎縮してどっか行っちゃうかだね」
「選択肢として居座るなら図々しくなるしかないじゃない?」
「まあ、そうだね」
ついさっき、叱られたにも関わらず、反省の色もなく、又もや話を脱線させた挙句、無駄話に花を咲かせる二人。あまりの仕打ちにユンヌは、怒りを通り越して悲しみが勝り、涙腺が緩み始めた瞳にいっぱいの涙を浮かべてユンヌは、ランディとルーへ問い掛ける。
「私の話……聞く気がない? これでも私、とっても忙しいのに」
「いやいや、貴重な時間を貰ってお話してくれてるんだ。ごめんね、きちんと聞きます」
「先生、申し訳ない。どうぞ、続けてくれたまえ」
「もう、知らないっ!」
ユンヌの変調に気付かない二人は、笑顔で答えた。堪え切れず、ユンヌは教壇に本を叩き付けて置き、この場を走り去ってしまう。
「さて、人払いはしたよ? お陰様でユンヌちゃんは、とてもお冠。責任を取って貰いたい」
ユンヌが去った後、気怠そうに肩を落としてランディは大きなため息を一つ吐き、ルーへ向き直る。ポケットから煙草を取り出してランディは、一服し始める。先ほどの失言全ては、ランディもルーも敢えてユンヌの機嫌を損ない、二人だけになる為の謀だ。
「ああ、一肌脱がせて頂くさ。さて—― ユンヌの説明だと、真面目過ぎてあれだから僕から説明した方が良いかも。祭りはね、五の月最終週の三日に渡って開催される。元々は、豊穣や商売繁盛、飛躍を願う祭事の役割があったのだけど、今はどんちゃん騒ぎをする口実さ。まあ、それは置いといて祭りの間は、外からも人がいっぱい来る。露天商や近隣の村落に限らず、王都から楽隊も招くんだ。祭りの喧騒もそれは見ものだよ」
「なるほど……かなり大々的な祭りって事なのは、分かった。町では、どう言った催しを?」
徐にルーは、尻のポケットからスキットルを取り出して蓋を開け、酒を煽った。そのまま、ユンヌの代わりにランディへ祭りの説明を始める。




