第陸章 終わりと始まりの鐘 4P
「……」
「気にしないで続けて下さい」
「予想以上に深手を負っているみたいですが」
「ランディは、息絶えました。死人に口なしです」
机に肘を付いて額を組んだ両手に当てたまま、無言のランディにかける言葉は無い。
ランディを捨て置いてまだまだ、話は続く。
「まあ、よしとしましょう。されど、そんな蜜月の日々も続く筈がありません。ある日、ワタクシたちは、彼女のお父上に文通の現場を見られてしまいました。彼女は、叱られてワタクシも冷たくあしらわれ、個々にこれ以上、文通をしない様にとお達しが出ました。外の冷たい風は、彼女の体調に差し支えがあるからでした。ワタクシもこれまでかと、肩を落として諦めて帰りました。それからは、時間を早くして彼女に合わないよう、努めました」
「あっさりと諦めるなんて男気がなかったんですね」
「十二歳の子供に求めるものが大き過ぎますよ。それでも世の中には、捨てる神もあれば、拾う神もいらっしゃるものです」
少し呆れた様子のフルールにエグリースは、苦笑いで言い訳をする。フルールの感想も分からなくはない。けれども如何せん、子供には荷が重い。大人相手に堂々と立ち回れる子供など、早々いない。また、過ぎたる勇気は、只の蛮勇であり、何も生まない。
「神様は、一人でしょ?」
「遠くの国に伝わる古い諺です。話をもとに戻すと、彼女の母上も事情をご存じだったのです。時間をずらしてから二、三日くらいして屋敷の前で彼女に似た女性が屋敷の前で立っており、ワタクシが通り過ぎる前に女性は、駆け寄って来て微笑みながら封筒に入った手紙を手渡して下さいました。ワタクシには、直ぐに彼女からの手紙であると分かり、無言で女性に頭を下げ、学校に向かい、教室で一心不乱に手紙を読みました。其処には、女性が彼女の母上である事、事情を知り、手助けして下さったと。次からは、郵便受けに手紙を入れておけば、彼女の母上が届けて下さると書かれておりました。逆にワタクシが手紙を受け取る方法に手間取りましたが、最終的に郵便受けの下に手紙を貼り付けて貰う事で解決しました」
「お母さま、素敵」
瞳を輝かせて自然と胸元で両手を握り、感激するフルール。普段ならお目にかかれない乙女チックなフルールにエグリースは、タジタジになりながらも頷いて同意した。
「ええ、今でも頭が上がりませんよ。それから文通を繰り返して一年後に突然、彼女の家へ招かれました。彼女の母上が父上を説得して下さり、直接、話をする機会を作って頂いたのです。鈴の音を鳴らしたように可愛らしい彼女の声を聞き、言葉を交わしたのは、初めてでした。気の置けない友人としてその日は、時間が許す限り、沢山の事を話しました。また、その頃からオネットの体調も良くなっていたと記憶しています」
「少しずつ、会える機会は、増えて行ったのですか?」
「ええ―― 限定的ではありましたが、ご両親公認の友人となれたのでワタクシがお休みで彼女の体調が良い日に。専ら、文通の方が多かったですけどね」
「どんなお話を?」
窓から差し込む陽光が強くなり、ひんやりとした室内に舞う埃をより一層、強調する。フルールは、小さな可愛らしいくしゃみを一つ。話疲れが見えるエグリースは、額に手を当てて小さく唸り声をあげて思考した後、答える。
「比率で言えば—― ワタクシが話をする事が多かったです。オネットは外の世界に興味があり、沢山、質問をしてきました。彼女が外の世界を知る術は、殆どが本のみだったので。それに答える為、ワタクシも野原を駆け回り、見聞きして話をしました。彼女を喜ばせたくて野原に咲いた花を幾つか、摘んで持って行く事も。思えば、あれが最初のプレゼントだったかもしれません。オネットは、とても喜んでくれました。ただ、やり過ぎは良くないもので調子に乗って喜ばせようと、虫を捕まえて見せたら怒られたり、今にして思えば……ワタクシは、途轍もない間抜けでした」
話の途中で不意にエグリースは、机の上に置いてあった本の表紙を撫でた。
「勿論、学徒の本分を忘れず。学校もきちんと卒業致しました。学校を卒業してからは、幸運な事に新聞社の仕事にありつけました。駆け出しの頃は、王都中を駆け回り、取材して回りました。とても大変でしたよ」
「ずっと、机に向かって勉強ばかりだから体力面で?」
「ええ、徒歩での移動が殆どだったので。それに上司に叱られて精神的にも辛かったです。お給金が出るのだから仕方のない事ですがね」
「その間もオネットさんとは、会っていたんですか?」
「休みが少なかったので都合をつけるのが、より大変でした。時には、約束の時間を守れずに夜にお伺いする事も多かったです」
「よくお父様が許してくれましたね」
「彼女もワタクシと連れだって少し外出が出来たり、家事手伝いやちょっとした内職をしてみたり、活発に動けていたので許して頂けました」
紅茶のカップを両手で持ち、フルールはゆっくりと一口、飲んだ。ランディは、三本目を吸おうとしたのだが、フルールに煙草を横からすっとかっさらわれて手持ち無沙汰となる。
唯一の救済を奪い取られて悲しげに肩を落とすランディ。
「お互いを意識し始めたのはその頃から?」
「なかなか、恥ずかしい質問です。既にお互いが居て当たり前となっていたので関係は、曖昧だったと思います。どちらかと言えば、きっかけは外からでしたね」
「つまり?」
「とある先輩から仕事中、何の気なしに世間話程度で聞かれたのです。彼女はいるのか、結婚は、考えていないのかと。ワタクシはその時、改めて彼女の存在の大きさを知りました。されど、同時に悩みました。ワタクシは、一介の新聞記者で彼女は、司教の息女。とても釣り合わないと。それに彼女もワタクシと同様に適齢期。もしかすると、縁談もあり得ると。ワタクシは、状況に振り回されて目を回しました」
エグリースが思い悩むにも理由がある。王国においては、今も尚、自由恋愛を経て婚姻関係を持つよりも親が持って来た縁談に従って婚姻関係を結ぶ方が多い。上流階層となれば、もっと強く家族同士の結びつきが重要になって来る。エグリースの家系は、王都郊外の百姓で司教の家系と結ばれるには、多くの障害が立ちはだかっていた。それは、幾ら幼少の頃からの幼馴染と言え、覆すに値する材料にはなりえない。もし、司教が縁談の話を進めていれば、エグリースには、手も足も出ない。只、指を咥えて見ているだけだ。
「それからどうしたんですか?」
「小心者のワタクシは、情けないながらも彼女のご両親にそれとなく聞いてみたり、回りくどい手を尽くしてみました。彼女の本心など、お構いなしに」
「それは、酷い」
「でしょう? 直接、聞けば良かったのです。そうすれば、彼女と二人でもっと長い時間を過ごせていたかもしれない」
過去の情けない自分を思い出してエグリースは、大きなため息を一つ。勿論、お許しを貰う立場なので回りくどくも一つ、一つ課題を達成しなければならないので仕方がない。
「ああ……大変だ。急にお手洗いが近くなって来ましたっ! ちょっと、席を外しますね」
「もう、そこで漏らしなさい。それともオムツにする? 意外とこの礼拝堂、何でもあるから探せば出て来ると思う。何ならあたしが着けてあげても良いわ」
「がはっ! げほっ—— すみません。引っ込んでしまったのでもう大丈夫です」
そろそろ、昔話の終わりも近づき、ランディは最後まで時間を潰そうと、手洗いに立った。
直ぐにフルールの手が伸びて椅子から立ち上がろうとするランディの首元の襟を後ろから引っ張って元に戻す。
「彼女のご両親からは、縁談を結ぶ気はないと、言われました。現状は、容態が安定しているだけで完治は望めない病だからと。見知らぬ土地に病弱な彼女を嫁がせるのは、相手側にも迷惑が掛かるし、かなりの危険を伴うのでよっぽどの理由でもない限り、此処を離れる事ないと聞いてワタクシは、安堵と共に自分自身も対象である事に気付きました」
「上手い話はない」




