第陸章 終わりと始まりの鐘 1P
*
「朝早くから突然の訪問で申し訳ないと思っているの。でも思い立ったが、吉日ってよく言うわ。今朝、お話が纏まったから誰かに貰われる前にって思ったのよ」
「いや、構わないさ。紅茶だけでも良いかな?」
「ええ、朝食もセリュールのご飯をしっかり頂いたから結構です。お気遣いどうも」
翌朝、朝食を取り終わったレザンが店に入り、いつも通り準備をしていると、開店前にも関わらず、予定にない客があらわれた。店を訪れたのは、ローブとセリュールの二人。用件を聞き、店内に招き入れ、茶の準備をするレザン。二人の用事は、仔犬の件であった。
「そう言えば、礼拝には、行かないのかね? 君ほどの敬虔な信徒が」
「最近、体調を崩しがちだからエグリースさんから直々に止められているの。司祭さんから健康上の理由で勧告を受けるなんて可笑しな話だわ。そう言うレザンくんは?」
「自主的に健康上の理由で辞退した。夜の睡眠に大きな差支えが出るからな」
「まあ、何て罰当たりなお話! 年寄りは、自らが生きた模範にならないと。ランディくんの指導にも差支えが生じるわ。酷ければ、グレてしまうかも」
「こうならない様にと反面教師を演じている」
「生憎ね。頓智話に興味は、無いの」
カウンター付近の椅子に座ったローブは、レザンの言い訳に呆れ果て、目を閉じて渋い顔をして額に手を当てる。そのまま、レースをふんだんに使った灰色の簡素なドレスを身に纏うローブは、目の前に出された紅茶を一口、飲んだ。セリュールはと言うと、ローブの直ぐ後ろに控えており、既にレザンから受け取った仔犬を胸元に抱き留めてあやしている最中。
「それにしても結局、君が引き取る話になったか……」
「私じゃないわ。正式な飼い主は、セリュールよ?」
「この度、奥様のご配慮で新たに使用人の補充が決定いたしました……折角の機会を頂いたので引き取らせて頂く事に相成りました。そう言えば、彼は……何方に?」
仔犬の頭を右手でゆっくりと撫でるセリュールの方へ振り向き、微笑むローブ。セリュールは、店に居ないランディの所在を言及する。
「今日は、礼拝でエグリースの所だ。日も明けきらん内に掃除を終わらせようと、張り切って居た。その後は、仕事に戻って来ると言っていたが。帰りが何時になるか、分からん。何でも礼拝の後でエグリースと話があるらしい」
今日もランディは、礼拝堂に向かっている。目的を達成し、意気揚々と向かうランディを見て心配は無用と悟ったレザンは、何も言わずに見送った。表情に変化はないが、声色に心なしか、気落ちした色が見えるセリュール。
「彼には、直にお話をさせて貰い、仔犬の譲渡了承をして貰いたかったのですが、事情があるのならば、仕方が在りませんね。残念です」
「折角、出向いて貰って居るのに申し訳ない……今度、アイツから礼をさせて貰う」
レザンは、微笑んでランディの代わりに約束を取り付けようと、話を切り出す。
「いえっ! そう言うつもりでは……」
珍しく透き通った真っ白の頬に朱色を乗せて恥ずかし気に首を横に振るセリュール。
何の気なしに発した自身の言葉が厚かましいと思ったのだ。
「アイツもその子の様子を見に行く口実が出来るのであれば、喜んで行くだろう。君が恩着せがましく思う必要はない。許して貰えないか?」
「勿論です。何時でもお待ちしているとお伝え下さい」
柄にもなく、焦りって大きく首を何度も縦に振るセリュールを見守るローブは、口を開く。
「それにしてもランディちゃん、随分と引っ張りだこね? 何だか……思い出すわ。嘗てのシャンブル家の坊やみたい。あの子も日がな一日、誰かに呼ばれてずっと町中を駆け回って居たのよね。懐かしいわ……もう、何十年前の話かしら? 所帯を持って居たら丁度、ランディくん位の子供が居ても可笑しくないわ」
「そうだな。私達も随分と年を食った。懐かしむ過去が手では、数えきれないほど」
「確かに……あの子は、本当にやんちゃで聞き訳のない子だった。親御さんを前にして言う事じゃないけど。でも彼の周りは、何時も賑やかだった。ブランちゃん、オウルくんの三人揃い組で楽しそうに。まるで今のランディちゃんとルーみたい」
「ああ……君の言う通りだ」
ランディの話題から派生して懐かしい過去に思いを寄せる二人。蚊帳の外になったセリュールは、大人しくなる。其処から更にローブは、皺の寄った左手を頬の当てながらわざとらしく首を傾げて最近、気になっている出来事にも言及する。
「前々から気に掛かっていたけど。ブランちゃんとレザンくん、何か二人で隠し事していらっしゃらない? 此処最近、珍しく貴方が役場へ足繁く通っているって色んな人から聞いたの……よっぽどの一大事でもなければ、普段から寄り付かない貴方が! それって既に水面下でよっぽどの事が起きているって事よね?」
目を細めて咎める様子でカウンターを挟み、立っているレザンへ疑念を強めるローブ。
レザンは、己へ疑いの視線を向けるローブも意に介さず、冷静に微笑んで対応する。
レザンもローブとは、長い付き合いだ。彼女からの詰問も扱いに慣れている。脛を一蹴りされた位で顔色を変えるタマではない。ましてや、ローブからからかい半分の質問である事も承知しているので今、真剣に答える必要がないと分かっている。要は、情報の真偽の探りを入れられているだけなのだ。
「大それた事ではない。私とて、老い先の短い年寄りだ。後の始末も含めて相談に行っているだけだ。万が一に備えてな。君も言っただろう? 年寄りの考える事は、万国共通だと」
「貴方に限ってそんなタマではないでしょ? 足掻きに足掻いて最後は、誰の迷惑も考えず、好きにやって一日の終わりの眠りに誘われるかの様に旅立つの」
飽くまでも役場に足を運んでいる事は、否定せずに肝心な所をレザンは、とぼける。
ローブは、悪戯に微笑みながらも一向に手は、緩めない。レザンは、鼻で笑い、両手を軽く頭上に挙げて降参の意を示す。
「君は、本当に私の良き理解者だ」
「いいえ、もっと凄い理解者がレザンくんには居るでしょう? 今も此処に居たなら―― あの子だったら貴方に問い質さなくても悪巧みを既に見破っているもの。けれど、知らない振りしてにこにこしながら見守って居た筈だわ」
「……」
「まあ、今日はこれ位にしといてあげる。でも、雲行きが怪しくなれば、私も口出しをさせて頂く次第よ? この町は、貴方たちのおもちゃ箱じゃないんですからね。悪戯が過ぎれば、大人だろうが、子供だろうが関係なく、叱られるもの」
不意に黙り込むレザンへ畳みかけるようにローブは、痛い所を突いて行く。圧倒的な優位性を保ったまま、最後に警告を入れて満足したのか、ローブからこれ以上、レザンへ追及される事はなかった。
「お手柔らかに……勿論、君の言葉は肝に銘じておこう。話をもとに戻すが。やはり、セリュール君は、動物が好きの様だな? 先程から犬を撫でる手が止まって居ない」
「えっ―― そう言う訳ではっ! 彼の要望に応えているだけです。これと言って私の意思ではっ―― やめて下さい。首筋に鼻を押し当てないでくすぐったいのです!」
恥も外聞もなく、敗走したレザンは、逃げる様にセリュールと仔犬に話題を変える。
いきなり話を振られ、セリュールは仔犬を撫でる手を止めた。仔犬は、ここぞとばかりにセリュールの首筋に鼻を埋めて行く。
「本当に話下手なんだから……困ったら私にきちんと言うのよ?」
一方、誰にも聞こえないくらい小さな声でローブは、独白する。
「仔犬もすっかり、君を主人と認めたみたいだ。ランディですら其処まで懐かれていなかった。まあ、アイツに限って言えば、飯や下の世話はしていたが―― 多忙な為、あまり構ってやれていないから仕方あるまい」
「彼の動向は、耳にしておりましたが……きちんと手を抜かず、この子を大切にしていたのであれば……私もその心意気を受け継ぎ、育て参りますので宜しくお願い致します」
「其処まで畏まらなくても大丈夫だ。ランディにも伝えて置く。そう言えば、名前はどうする? 今の名前は呼称がなく、不便だったから形式的にランディが付けた名前だ。セリュールくんが改めて付けた方が良いかもしれない」




