第伍章 固執の頂に待つは、痼疾 6P
「この世に絶対の規律などあり得ん。言わば、主張した者勝ちだ」
「何だか、生真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなって来ました」
レザンの言葉で肩に乗っていた重圧があっと言う間に消えた。望んでやって居た事であっても自分を欺いて本心をひた隠しにして状況に合わせ、行動するのも我慢の限界に来ていた。心の中で抱えていたもっとやりようが在る筈と言う思いの種火が一気に燃え上がる。
「正攻法が全てではない。時には、とことん馬鹿になって己が欲を貫く事も必要だ」
「同じ事をノアさんからも言われました」
「アイツは、自分の欲望に忠実過ぎる嫌いがある。私個人の評価としては、馬鹿としか思っていない。しかしながらその性格上、損もあれば、得もしているのだ。それら全てを許容して今のアイツは成り立っている。ある意味、潔いかもしれんな。ノアを快く思っていないのは、分かるが、今回に限っては、アイツの言葉も凱切な最適解かもしれん」
「いいえ、苦手なだけで嫌いではありません。吸収すべき所は、見習おうとおもっております。ただ、本当にそれで良いのか迷いがありました。答えを求める為にヒトの際どい心の問題までずかずかと踏み入って良いかと……」
ランディは、最後に残った蟠りを素直に吐露する。レザンは、笑って頷いた。
「お前は、教義に異を唱えて国教に喧嘩を売っているのではないのだろう? ならば、誰からも咎められる事は無い。別段、エグリース如きに気をつかう必要はないのだ。アイツも聖職者としての立場を利用して招かれても居ないのにヒトの事情へずかずかと首を突っ込んで来る。逆もまた然り。彼奴も所詮は、ヒトの子。時には道を正す必要もあろう」
「レザンさんとお話をしていると、自然に怖いものが無くなって来ます。本当に心強いです」
「『Chanter』に居る限り……此処がお前にとっての最強の砦だ。お前が何処かへ攻め込むならば、最高の状態で送り出すのが、役名と言っても過言ではない」
「有難うございます」
レザンに背中を押され、ランディは一歩を踏み出す覚悟が出来た。この勢いを崩すのは勿体無い。自分の内面を洗い浚い打ち明けられて疑問や憂いも追い払えたのだから。
「まあ……なんだ。時には、遠慮せずに私を頼りなさい。少なくともノアよりも役に立つと自負をしている。私に出来ない事はこの町において殆どない」
「はいっ!」
「気合いが入ったようだな」
「それとやりたい事も見つかりました」
「ならば、行け。商人の貴重な時間を費やしたツケを取り立てて来い」
「商人らしい事なんて殆どしてないですけど、やってみます」
悪戯っぽく笑うレザンに強く背中を叩かれてランディは、薄暗い玄関から扉を開けて朝日が昇り始めた外の世界へと飛び出した。外界には、太陽の光が水平線から漏れ出す雲の薄い澄んだちっぽけな悩みを簡単に飲み込んでしまいそうなディープブルーの空と、道標の様に儚くも強く光る明けの明星がランディを見守っていた。
*
「これは……一体。どう言う事なんだ?」
「遅いじゃない? 皆でずっと貴方の事を待ってたのよ」
「いや、フルール。僕らもついさっき来たばかりだろう」
「わたしたちもおてつだいです」
「あさはやいのとくいじゃないんだけど、きたよ」
「おおっ、主役の登場かっ! ほれ、全員集まれ!」
ランディが教会へ着くとそこには、珍しい光景が眼前に広がっていた。目算で二、三十人ほどの大人子供が待ち構えていたのだ。近づくと見知った顔ぶれがランディへ近寄って来た。ルーにフルール、ヴェール、ルージュ、ユンヌ、誰もが汚れても良い簡素な格好で出迎える。その他にも木屑まみれのくすんだ白いシャツと手製の黒いサロペット姿の大男が集まった町民へ呼びかける。短い茶髪に日に焼けて真っ黒な顔で年配の男とはあまり、接点のない大工の棟梁クルーである事は、ランディも知っている。
「ランディくん、今日はどうするの? また、壁のお掃除?」
「ユンヌ、俺たちが足場を組むから空いている所からやった方が良いな。坊、どうする? 一先ず、正面以外の三面から組もうと考えているんだが……」
ぞろぞろと集まる町民に気圧されてランディは、棒立ちになり、開いた口が塞がらない。
まるで祭りが始まるかのように高揚した雰囲気がランディの肌へ当たる。思ってもみなかった強力な助っ人が集結し、ランディの指示を今か今かと待っているのだ。言葉に出来ないほどの感謝の気持ちが溢れるが言葉に出来ない。
「すみません。いまいち、状況の理解が追い着いていないのですが」
「ああ、ランディ。僕らが何もしないとでも? こんな大仕事、君一人にやらせる訳がないじゃないか。声を掛けて有志に集まって貰ったんだ。後、ブランさんから高い所の掃除が大変だろうから屋根の修繕に合わせて足場を組むのもクルーさんたちへお願いして貰ってる。これだけの人数が居れば、直ぐに終わってしまうさ。一先ず、今日は仕事が休みの人に来て貰ってる。明日も礼拝前に集まって出来るよ? さあ、僕たちに指示を。時は金なりって奴さ」
やっとここさ、声を絞り出した言葉は、状況の説明を求めるものだった。呆れ顔のルーが、ランディの肩を抱いて説明をする。
「……」
「感極まって心、此処に在らずって所ね。暫く、役に立たないわ」
「どうしたもんか……」
「聖堂の中も掃除しなくちゃいかんしな」
「何よりも足組みが先だろう。高所の作業からやらんと。話が始まらん」
「花壇は終わってるんか?」
「同時に屋根の修繕も段取りを決めにゃならん」
「ルーくん。もう、お庭は終わっているから足場組みと中の掃除に別れて貰った方が良いんだも。僕は、正面のお掃除に回るんだな」
「ラパン、珍しく頼りになるじゃないか? なら、男手は、足場の組み立てに回るとしよう。クルーさんと大工の方、二、三名で屋根の状態確認をお願いします。女性陣は、中の掃除をお願いしても大丈夫かな? ラパンは、子供達と一緒に正面の掃除だ」
フルールがランディの前で手を振るも反応がない。放心状態のランディが役に立たないと知れると町民間での会議が始まる。思い思いに発言が上がる中、集団の奥から顔を出したラパンが状況の説明と、今後の方針について言及する。ランディと二、三日、作業を共に取り組んできたが故に状況は、町民の誰よりも理解している。ラパンの助言を受けてルーがてきぱきと指示を出してそれぞれ、作業を開始した。
「さて……そろそろ、正気に戻んなさい」
「痛ったっっっ!」
腹部に強烈な一撃をフルールから貰い、体の中の空気を一気に吐き出したランディは、正気に戻る。咽て腹部を抑え、くの字に曲がるンディにユンヌが寄り添って背を摩る。
「ランディくん、疲れてない? 私達でやっておくから少し休んでても大丈夫だよ?」
「いや、大丈夫! 本当に嬉しくて少し固まってただけ。俺も足場班に回る。本当にありがとう……後で一人一人にお礼回りしないと」
「いや、君が背負う必要はないから皆が名乗り出て来ただけさ。恩に着せる心算はないから。それよりも君には、やる事があるんじゃないかな?」
「やる事って――」
作業に加わろうとするランディを引き留めたルー。
足を止めて首を傾げるランディにルーは、更に話を続ける。
「ノアさんが昨日、僕の所へ訪ねに来てくれてね。如何やら、君にはエグリースさんと膝を突き合わせてじっくりと語り合う時間が必要みたいだって。僕たちに背中を任せて。きちんと責任を持ってやっておくから君は、君のやるべき事を。皆にも説明はしてあるから」
「……良いのかい?」




