第伍章 固執の頂に待つは、痼疾 4P
「君は、ヒトだ。誰もが彼になってしまっては、騒乱の火が絶えぬ。君には、君の武器がある。情に溢れ、法と秩序を重んじる気骨がそれだ。私は、其処を高く買っているのだ。オルドルくん、私には君が驕り高ぶっている姿は、見た事がない。だから自身を責めるな。未だ、修練に明け暮れ、日々、己を追い詰めるからこそ、大立ち回りは成立した。此度の手合わせは、屈辱ではない。己の見聞を広げた貴重な経験と刻みなさい」
「……」
痛む体に鞭打って姿勢を正し、憲兵は司教へ跪く。恭しく、司教の手を取って立ち上がり、服の土汚れを軽く払い、襟元を正す。司教は、憲兵を見守った後、ランディに向き直り、微笑んだ。ランディは、感謝の念を込めて低頭する。
「待たせてすまない。さて、こちらの話はもう済んだ。約束の通り、君が聞きたい事へ答えよう。ただし、教会の内情に大きく触れる案件ならば、遠慮して貰いたい」
「ありがとうございます。早速ですが……此度の異動。始まりは、司教様や王都の方々の意向ではなく、エグリースさんの意思によるものではないでしょうか?」
ランディは、司教の前置きを聞いた後、直ぐに自身が一番聞きたかった問いに言及する。
全ては、この問いから始まる。誰の意向でこの茶番が始まったのか、突き止めねば。
司教からの返答次第、思惑が間違って居れば、計画の見直しを検討せねばならない。もしくは、諦める必要も。真っすぐ、司教を見つめてランディは返答を待つ。
「その通り、我々の意向ではない。エグリースの進言を受けて検討した結果である。未だ、町に教えを説くに辺り、学びが足りず。運営業務にも至らぬ所があり、王都へと戻って学び直したいと申し出て来たのだ。運営に関しては先代の司祭と同じ様に金銭面は、町の役場が取り仕切っており、基本的に司祭に任されているのは、礼拝の運営や聖堂の整備の手配、教育、神学の研究。当然の事ながら冠婚葬祭や祭事の取り仕切り、洗礼も含まれておる。他には時折、周辺の町村へ教えを説きに赴くなどもあるが、それは全てきちんと熟して来た。時折、思いが強過ぎるあまりに行き過ぎる所もあり、注意はした。けれども司祭の座を取り上げる程、目に余る酷い素行は無かった」
「ならば、現在の時点でエグリースさんが進言を撤回すれば、如何様にでもなると言う事で宜しいのでしょうか?」
「君に説得が出来るのなら問題は無い。現状、候補者を選んでいる所だが……司祭の位と言った所で好き好んで片田舎まで派遣されたいと名乗り出る者は居ないのだ。それに町民から幾つか、噂も聞いている。エグリースの名誉の挽回に奔走している者がいると。聖堂の清掃や集まりの悪い日曜礼拝へ参加するように根回しをしているらしい。ならば、その功労を鑑みて再検討の余地は、幾らでもある」
「温情に感謝致します」
司教から直接、答えを聞き、ランディは胸を撫で下ろす。ましてや、司教からの後ろ盾も出来た。思っていたよりも簡単に想定通り、事が進んでいる。後は、エグリース懐柔する糸口があれば、一気に前進するだろう。事を急いたランディは、自分でも気付かぬ内に拳を強く握り絞めて期待の籠った視線を向ける。だが、司教はこれまでの温和な表情から一変し、眉間に皺を寄せて険しくなった。
「しかし、肝心の説得が厄介なのだ」
「薄々、勘付いておりました。エグリース司祭には、並々ならぬが決意があります。簡単には折れてくれない強い拘りが……私は、それを知らなければなりません」
「残念だが……その訳は、教えられん」
「っ! 何故ですか? エグリースさんの来歴が分からなければ、取りつく島もありません。エグリースさんの過去には、世間を揺るがす程の事があったとでも?」
司教から呆気なく、袖にされたランディは、憤慨して食って掛かる。司教は、凄味を利かせたランディへ首を横に振り、一定して態度を変えない。此処まで協力的だったが故に梯子を外されてランディは、戸惑いを隠せない。交渉の場である事を思い出し、相手の言動にのまれぬよう、努めて平静を保とうとする。何か、情報を引き出す為の材料は無いかと、頭を働かせても無い袖は振れない。
順調であった為、己が依然として不利な状況であった事を忘れていた。助けを求めようと、咄嗟にヌアールの顔色を窺ったが、ヌアールは首を横に振るだけで助け舟は、なかった。唇を噛み締めて俯くランディに司教が話し掛ける。
「いや、それは君がエグリース本人から問い質すべきなのだ。何よりも君は今、誰よりも強い武器を持って居る。その得難い武器を失って欲しくない」
「そんな武器など、ありません! 知は力です。無知は罪です」
「もう、そこらヘンで折れとけ。司教様の言う通りだ」
司教は、優しく諭そうとするのだが、ランディも譲れない。この機を逃せば、他に転機は訪れないと思っていたからだ。呆れ顔のヌアールが宥めようにも首を横に振る。現状において、それぞれが持つ思惑をランディが慮る材料が無いのだから仕方がない。事情を説明しようとした司教を遮ってランディは、ノアへ八つ当たりをする。
「ノアさんは、どちらの味方ですか? これなら来て貰った意味がない」
「お前は、事を急いている。捷径を探そうとするな。お前の大好きな回り道、遠回りをしろ。通れないならそれで良い。どうせ、相手は袋小路にいる。出て来るまで居座れ。出て来たら足を引っ張って妨害しろ。そうすりゃあ、勝手に向こうが襤褸を出す」
「ヌアール医師の言葉は、綺麗なものではない。だが、的を射ている。君は、知らないからこそ、何処までも容赦なく、エグリースの懐へ踏み込む事が出来るのだ。君は、知ろうとしているではないか。君の言ったその言葉には、先があるのだ。無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり。集めるだけでは、足りぬ。実際に体験し、神羅万象に阿る知識でなければ……今の君へ話をしても役に立たず、足枷となる。百聞は一見に如かず。だからこそ、君はエグリースと向かい合って体現して貰いたい。奴の本心を白日の下に晒して欲しい」
「年配の方は、狡いです。勝手に期待を押し付けて。何時も置いてけぼりです」
状況を理解してやっと落ち着きを取り戻したランディ。この場において誰も正解を持ち合わせていないからこそ、新しい答えを見つけさせる為に敢えて手がかりを渡さずにいる事を。そして知ってしまってからでは後戻りが出来ない事も。ただ、誰もが思うように目に見えない敵とは、怖いものだ。だからこそ、ヒトは究明に明け暮れるのだ。例えば、超常の現象へ名前を付けて分類し、究明して乗り越えるのもその一つ。されど、時には見えないナニカを追って冒険をしなければ、新しい境地を見出せない事も往々にしてある。
今、この場において司教は言っている。ランディには、既に準備が整っていると。
努力を怠らなかったこそ、誰よりも答えに近い所へ至っている状況を崩したくないのだ。
「仕方のない事だ。君たち若者は、足が速い。我々が時間を掛けて上った道をいとも容易く登って来る。時には、順路を隠さねば。簡単に答えが見つかっては、人生が詰まらないだろう。時には、試練を作らねば……安心して迷えば良い。君のいる場所は、誰かが作り掛けた道である。出口は直ぐそこにあるだろう」
「若造、それが君の選んだ道だ。寧ろ、司教様の後ろ盾があるのだからそれ以上、高望みをする方が可笑しな話である。正念場である事を自覚するべきだ」




