第伍章 固執の頂に待つは、痼疾 1P
夕刻。今まさに夕日が地平の彼方へ沈もうとしている最中、ランディとヌアールは、約束の場所へ向かう途中であった。大通りを小走りで進むランディとヌアールからは、町の門付近に人影が二つ、確認出来る。本来ならば、約束を取り付けた側のランディが待つべきだ。
最初から醜態を晒してしまい、ランディに焦りが生じる。特に護衛の憲兵は、内心穏やかではない筈。目上の者に対しての無礼を許さない。皮肉や小言を言われて済めば良いのだが、話も出来ない手合いであれば厄介だ。出会い頭に剣を抜き、切り掛かって来る可能性も。
どちらにせよ、最悪の想定をしても既に遅れた以上、開き直るしかない。足の進みを緩め、努めて堂々としながらランディは、町の門まで辿り着いた。
今日の司教は、祭服を身に纏っておらず、地味な茶色い大きな外套を身に着け、フードも被っていた。憲兵も制服ではなく、白いシャツの上から胸当てを付け、タイトな黒の乗馬用のパンツと柔らかそうなブーツを履き、左の腰には半曲刀、右手には、丸い木製の盾を装備し、準備万端の様子。方や、ランディは、いつも通りのシャツに細身のパンツに壊れかけのブーツ姿。唯一、違う点を挙げるならば、腰にさっき手入れした片手剣を携えているくらい。
「定刻通り……と言っても正確な時間を定めていなかったから曖昧な話だが」
「遅れて申し訳ありませんでした。準備に時間が掛かってしまって」
「戯言を、これだから田舎のガキは」
思った通り、憲兵は、吐き捨てるかのような口ぶりで開口一番に遠回しな皮肉をランディへ飛ばして来た。最悪の想定に至らなかったのでランディは、そっと胸をなでおろし、申し訳なさそうに頭を下げて非礼を詫びるものの、憲兵の矛は収まらない。
「オルドルくん。我々が早く赴いたのは、此方の事情があってだ。到着の時間について彼を責めるのは、筋違い。礼節は、己の中で尊ぶものであって人様に押し付けるものではない。師の立場として教えを請われれば、別だが。今は、その時ではないだろう」
「僭越ながら申し上げます。武人と名乗るのであれば、目上の方への敬意として最低限度の礼儀を求められるものであります。ましてや、高名な司教様との約諾であれば尚更の事」
憲兵の振舞いを見るに見かねた司教が窘める。されど、憲兵はとどまる事を知らず、声を荒げて軍人としての流儀をぶちまけた。これでは、一向に決闘が始まらない。
「これはあくまでも個人的な用向きであって公務ではない。ランディ君も肩の力を抜きたまえ。彼は、この諍いで確実に勝つ為の準備をして来たのだ。逆に考えれば、中途半端な出し惜しみをせず、君との決闘に勝利し、私への詰問も考えていたと。ならば、その心意気で十分だと考えている。私は、楽しみなのだ」
フードで顔は見えないが、司教は、あからさまに冷めた態度で威圧感を出し、語気を強めて憲兵へ警告をした。静止も聞かない愚直な護衛として甘んじるのならば、それは遅刻よりも無礼に当たる。主従の関係として見るなら司教の顔に泥を塗る行為だ。
「出過ぎた発言、撤回致します。委細、承知致しました」
司教の怒気にあてられて憲兵は、我に返ると深々と頭を下げる。漸く、静かになった所で司教は、フードを外してランディへと目じりの皺を深くして愛想よく笑い掛ける。
「申し訳ないが、私の発言で君に対する期待を大きくしてしまった。決意の程はどうかね?」
「憲兵の方に胸を借りるつもりで全力を持って挑む所存で御座います」
「心意気、しかと受け取った」
ランディの決意を受け取り、司教は強く頷き、視線をヌアールへと向けた。当初の予定であれば、ランディ以外は誰も来ない。ヌアールは、司教にとって招かれざる客だ。
「そう言えば……隣にいる御仁は何方かな? 確かにこの場に来るのは、我々三人だけと指定をしていないが……流石に二対一での手合わせであれば、公平性に欠けると思う」
「ご説明がまだでした。すみません。ヌアール・メドサン医師です。立会人として同行をお願いしております。勿論、憲兵殿とのお手合わせは、私一人で務めさせて頂きます」
「あまり人から良く思われないのでな。人の目は少ない方が助かるのだが……それならば、異存はない。君一人と言うのも心細かろう。ヌアール医師、宜しく頼む」
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。礼節を欠いた事、お詫び申し上げます。改めましてヌアール・メドサンで御座います。町医者をやっております。本日は、若輩者のランディが司教様並びに憲兵殿への失礼がないよう、同伴させて頂きました。これでも医者の端くれ。僭越ながら手合わせで怪我など、万が一ありましたら治療も承ろうと馳せ参じました」
髪の毛で目元が隠れているものの、口元には愛想笑いを張り付けて仰々しくお辞儀をして司教へ遜るヌアール。もう、面倒事が起きぬ様、ヌアールなりに細心の注意を払い、憲兵の逆鱗に触れないこれが精一杯の対処であった。
「どちらかが怪我をした場合どうしたものかと考えていたのだ。宜しく頼む」
「貴殿の心意気に敬意を。私は、世話にならんが」
話がひと段落したところで憲兵は、軽く咳払いをして仕切りなおす。
そして町の壁から木剣を二本取り出してランディの前へ翳しながら問う。
「これよりは、私から……さて、若造。君に選ばせてやろう。木剣での打ち合いか、真剣での打ち合いか。好きにしたまえ。木剣は、私の方で用意させて貰った」
「宜しければ、真剣での打ち合いを所望します」
「良いのか? 場合によっては、重傷を負ってこれからの人生に関わって来るぞ」
「構いません。木剣では憲兵殿の御目に適う実力は出せません」
「勇気も過ぎれば、只の蛮勇と教えてやる。はてさて、我々も舐められたものだ」
「それだけの覚悟はあります」
あくまでも真剣な勝負にこだわるランディは、迷わず答える。元より、全力をもって相手を完膚なきまでに下し、更に話を引き出しやすい状況を作りたかった。誰にも言えないが、ランディにも意地はある。後から真剣であればなどと、負け惜しみを言われたくない。
「一丁前の事を言いやがって……」
啖呵を切ったランディにヌアールは、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
門から少し離れた所でランディと憲兵は、距離を取り、互いに剣を抜いた。
ランディは、半身になって右下段に左手で剣を強く握り、右手は軽く添えた状態で構え、憲兵は盾を前に出し、腰を低くして剣を少し引いて構える。辺りは、風が草木を撫でて奏でる音のみ。静かに睨み合う二人。
「明らかな劣勢に見えるまで止める事は無い。双方、十分に暴れたまえ」
二人の間に立ち、司教は響く声で決まり事を伝え、勝負の火蓋は、切って落とされた。
ノアは、壁までゆっくりと歩いてそのまま、寄り掛かる。
特に前口上もなく、じっと互いの出方を窺う。憲兵も口には出さないが、ランディを片田舎のちょっと、剣術を齧った小僧と舐めて掛かっているけれども油断はない。実力も推し量らず、小さな慢心に付け入られて足元を掬われる事は、往々にしてある。幾多の鍛錬と実践を経て身に着けた感覚と経験が叫ぶのだろう。力量が分からない以上、相手の出方を見極め、隙があれば突くのが一番だ。抜け目のない落ち着いた攻防戦が続く。
ランディは、地面を踏みしめてじりじりと、突撃の体勢を整える。防具を装備せず、軽い装備のランディは、手数と速さにおいて相手よりも分がある。




