第肆章 あからさまなパンくず 8P
慌ただしく、店内を去る二人の後ろ姿を心底、楽しそうに眺めた後、ローブは手を小さく叩いた。黙って傅くセリュールは、ローブの指示を待つ。
「では、久々に店内を見て回りましょう。セリュ、要りようのものを言って頂戴」
「細々としたものが多いので結局、売り付けられる結果となるかもしれません」
「構わないわ。此処に貴方を向かわせる時は、いつもそうだから」
ゆったりと店内を歩いて見て回る二人。セリュールの手元に五つほど、商品が集まった所で奥から規則正しいゆったりとした足音を伴って先にレザンが顔を出す。レザンの手元には、砂糖入りのガラス瓶とミルク用の鉄製ピッチャーと陶器のポットとカップ四つが乗った盆があった。レザンは、カウンターで紅茶の準備を始めながらローブに問い掛ける。
「君が直接、此処に赴いて来るとは。珍しい」
「私も偶には買い物をして回るのはいけない事?」
ローブは、棚から目を離してレザンに向き直ると小首を傾げる。同時にレザンの手元から俄かに紅茶の優しい香りが店内にはびこっていた煙草の匂いを上書きして行く。
「高々、仔犬だ。何故、里親に立候補を?」
「別に理由はありません。只の粋狂って言えば、レザン君は納得出来るかしら」
「賢しく没後の事なんぞ、考えるもんじゃない」
ローブの返答にレザンは、鼻で笑う。
「爺婆の考える事何て万国共通じゃない? これもその一環よ」
「おば様―― よして下さい」
「セリュー、何時かは考えるべき話でしょ。決してふざけている訳じゃないわ。もしもの時の覚悟はしておくべきよ。レザン君は、考えた事ないの?」
ローブの言葉を受け、動揺したセリュールが柄にもなく、手元から目を離して少し声を震わせる。ローブは、カウンターへ近づくと、用意されていた椅子に座り、レザンからカップを二つ受け取る。一つは、ストレートのまま、もう一つは砂糖を二杯、ミルクをたっぷり入れた。ローブは、ストレートのカップを手にすると、ゆっくりと傾ける。
「まだまだ、現役だから考えておらん」
「貴方は体よく、後継者候補が来てくれたから考えなくてもよくなっただけでしょう」
「ランディに継がせるつもりはない。ランディも継ぐ気はないだろう」
「まだ、定かではないでしょ。人の気は変わるもの」
「……私の話はどうでも良い。あまりにも脱線している」
「あら、機嫌を損ねてしまったみたいね。もう、大人しく待って居た方が良いみたいだわ」
話の矛先は、レザンに変わるも直ぐにはぐらかし、少しの間だけ静かになる。ローブは、蝋燭の仄かな明かりで煌めくカップの中の琥珀色を眺めながらポツリ、ポツリと呟く。
「私も色々と考えているの―― 息子には王都の本宅を譲って夫の仕事も継いで……貰ってきちんと所帯を持って生計を立てているし。娘も―― 嫁ぎ先できちんとやっているわ。もう、孫も大きくなったのよ? この町の邸宅は……誰も使う予定がないって言われたからセリュ―に譲ろうと考えているのだけど……この子だけでは、寂しい思いをさせてしまうでしょう?」
「おば様……私はそんな話、聞きとう御座いません」
「課程の話よ、過程の話。だからそんな顔しないで頂戴」
口元をぎゅっと結んだセリュールは、ゆっくりと店内の出入り口側から近寄り、ローブの前で首を振る。ローブは、感情が高ぶるセリュールを穏やかに窘めた。しんみりとした物悲しい話の最中、慌ただしい足音と共に今度は、仔犬を胸に抱えたランディが奥から飛び出して来た。本来ならば、レザンよりも早く戻って来れる筈だったが、準備をしていたので遅れた。
先程は、めかし込む事もなく、そのままグランと対面したが、失敗も踏まえて身嗜みを整えたのだ。昼寝に勤しんでいた中、いきなり起こされた仔犬がむずがる仔犬を少しあやし、機嫌が戻った所で長い毛をブラシでとかした。涎の垂れた後もあったので口元も拭い、何処かから引っ張り出して来た赤色のリボンもつけてやった。
「お待たせしました! この子が里親を探している仔犬です。名前はマルです」
首に巻かれたリボンが気になるのか、垂れた耳を振り回しながら歯の生え切らない口でじゃれる仔犬。
その無自覚な愛らしさをばら撒く仔犬を見てローブは両手を眼前に合わせて自然と笑顔がこぼれる。いとも簡単にほだされてしまうローブ。
「あれ……何か大事なお話をされていました?」
事情を知らないランディは、かたい表情を浮かべるレザン、セリュールを見て只ならぬ雰囲気を感じ取り、自然と肩に力が入る。固まったランディの緊張を解す為、机の上の紅茶を差し出しながらローブは説明をする。
「いえ、違うの。気にしないで頂戴。セリュ―は、どんな仔犬か気になって気になってだんまりさんだったの。レザン君は、疲れていたみたいね。どれどれ、見せて頂戴。まあ! 可愛らしい子ね! セリュ―もご覧」
「あっ―― はい、奥様。とても愛くるしい仔犬ですね」
落ち着きを取り戻したセリュールは、カウンターに置いてあったローブ特製の甘い紅茶に舌鼓を打つ。ランディに椅子から立ち上がり、近寄ったローブに対してセリュールは、距離をおいて仔犬の暴れる様を眺めた。
「何処に行っても可愛いと言って貰えるんですよ」
「触っても良いかしら?」
「大人しい子なので大丈夫です。人見知りもしませんし」
ランディの腕の中で暴れる仔犬の頭を撫でるローブ。仔犬は新しいおもちゃに気付き、ローブの手に甘噛みを始める。ローブは、空いている手招きをしてセリュールを呼んだ。
「ほらほら、セリューもいらっしゃいな」
「はい……」
渋々、寄って来たセリュールへランディは、仔犬を手渡した。抱かれ心地が違うのか、少し体勢を直した後、舌を出してじっとセリュールを見つめる仔犬。いきなり仔犬を手渡されてしどろもどろになってしまうセリュール。
「貴方、動物が好きだったでしょ? 最近は、めっきり屋敷にこもりがちで趣味の手芸ばかり。いつか置物になってしまうわ。私、心配なのよ。若いのだから外に出て楽しまないと」
「夜、適度に体を動かしております。日焼けをしたくないので昼間は外に出ていないだけで」
「日焼けは、別として些か効率を重視し過ぎるけがある。楽しめとまでは言わんが、もう少しどうにかならんか? それでは逆に夫人の心労が絶えぬ」
「私は……」
手元の仔犬と見つめ合いながらもごもごと口籠るセリュール。
「お前のきづかい云々は別だ。四六時中、隣で番犬の様にお前が気を張っているのであれば、休まらん。気に障るかもしれない話だが、お前の年頃なら連れの一人居ても可笑しくない。もっと欲を言えば家族だって居ても」
「興味が持てないです。私には仕事があります。きちんと町の皆様と交流もあり、寂しさも感じた事はありません。奥様のお蔭で何不自由なく、生活を出来ています。私には、これ以上の何かに憧れもなく、欲しい気持ちも沸きません」
セリュールは、言い訳を述べつつも自然と仔犬の頭へ恐る恐る手をやり、撫で始める。
「貴方はいつも良くやってくれているわ。少し見聞を広げる事も悪くないじゃない? 勿論、無理強いをするものではないから……只の老婆心だと思って頂戴」
「無論、仔犬は……可愛いのです。こう―― 体毛に顔を埋めたくもなります。少し、暖炉の前に居すぎて焦げ臭い所も好きです。でも彼ないし、彼女にとって人生を決める選択で―― やめて下さい。鼻を舐めないで下さい」
少しずつ仔犬の魅力に当てられて語気が弱々しくなり、懐柔され始めるセリュール。気付けば、いつ表情の変化に乏しいセリュールの口元が自然と緩んでいた。頭上で己の命運が掛かっている話をされているにもかかわらず、呑気にセリュールへじゃれ付く仔犬。




