第肆章 あからさまなパンくず 4P
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この日は、昼下がりまで何事もなく時が流れた。朝の青天は午前中の間に何処かへ行き、曇り空に様変わりしている。外は、俄かに雨の前特有の土臭さが漂っている。もしかすると近くの山々では既に降り出しているかもしれない。日の光があまり入らない窓からはどんよりとした外の景色が見えた。相も変わらず、薄暗い店内でカンテラの明かりを頼りにランディは、カウンターでぼんやりと帳簿と睨めっこをしながら仕事に励んでいる最中であった。そんな最中、レザンが廊下から顔を出して来る。
「後は、私だけでも大丈夫だ。ランディ、飯を食って来なさい」
「はいっ! 行って来ます」
朝に示し合わせた通りにレザンがランディに呼び掛けて店番の代わりを買って出た。ランディは、椅子から立ち上がると首を回して外出の準備を始める。朝から仕事の合間に何処へ行こうか検討していたのだが結局の所、決まらなかった。
『さてと……飛び出したのは良いけどどうしたものか』
店の扉から外に出たランディは、立ち止まり少し考える。
「ラパンの所でお世話になるのもなあ。折角だから新しい所を開拓しよう」
ふらりと当てもなく、単純に店が多いと言う理由で大通りへと向かうランディ。
「最近、独りでぼーっとする時間なかったからなあ――」
そう言うと、ランディは大きな欠伸を一つ。偶には、知らない店の軒先でのんびりとするのも良いかもしれない。折角の機会だから羽を伸ばしたい。別に独りでいる事が好きではないが、天邪鬼になって何も考えずに旨い飯を食べたり、町の景観を楽しみたかったりもする。
人の輪に居るからこそ、孤独の大切さが際立つ事もある。ましてや、直近の出来事で人に振り回されがちだったので尚更、腰を落ち着けてゆっくりと考え事をしたかった。
それにしても今回の件に関してランディには、引っ掛かる事があった。
『エグリースさんの話。何かが可笑しい……』
ランディが気に掛かり始めたきっかけは、ブランの動きとエグリースの不自然なこの町の経歴だ。ブランのまるで想定していたかの様に迅速で柔軟な対応と長年、この町で長年、司祭を勤めあげられた理由だ。ブランは、修繕費や寄付の積み立てを役場主導で予め、準備をしている様子だった。それにランディの相談を聞いただけで修繕の手筈もとんとん拍子で進んでいる。
エグリースにしても明らかに以前から運営に関してはからっきしだと町の皆が知って居る程だ。幾ら信仰心に篤い人材だったとしても実務をおろそかにしているのであれば、一辺倒に教会が何時までもそのままにしておくとは考えられなかった。場合に寄っては、最後通牒が出る前に改善策として一時的にその方面に明るい者を派遣する事や処罰の検討もあった筈だ。しかし、そんな話は全く出て来なかった。勿論、単純にランディに聞く機会がなかった可能性もある。
けれどもおしゃべりな『Chanter』の住人が話し忘れる可能性は限りなく低いだろう。どれを取っても違和感だらけでランディにしてみれば出来過ぎた話である。そうなると、一番妥当な話は今までは教会と役場が二人三脚で上手くやって居たと言うのが落としどころだろう。役場は、ブランの反応を見れば、一目瞭然だがエグリースに足りていない部分を補っており、その仕組みは今も生きている。
となると町と教会は恐らく、表面上から見れば良好な関係があった。
それならば、この件に関しては町側の献金や聖堂の管理に関して取り立てて不手際はなく、教会側で何かがあったと見るのが正解だ。されど、その根源により町ときちんと協力関係を保ち続けた手腕のあるエグリースを降格し、異動させる必要はあったのだろうか。
司祭の前任者を鑑みれば、かなりの年まで継続していた事からエグリースの後継者育成を検討する段階でもない。健康面に関しても質素倹約を徹底するエグリースには病など無縁な話。つまりは、本来なら教会側にも急を要する必要はない。
『なら、答えは一つ……エグリースさん自身が何かをしたんだ』
可能性を潰して行く内に誰の意向か、ランディには見えて来た。現段階でエグリースは、何らかの理由で教会側に上申したに違いない。恐らく、その真相を解明しなければ、幾らランディが尽力しようとも結果は、変わらないだろう。それを完全に見越していなかったが、昨日の時点で少なくとも自分にはまだ知らねばならぬことがあると、ランディは司教に約束を取り付けたのだ。そして今、問い質すべきものは定まった。
ランディが知るべきは、エグリースそのものだ。
『取り敢えず、今日の夕方に備えないと……出来れば、誰か立会人が欲しいな』
最早、昼飯の事は頭から何処かに行き、エグリースの事ばかりが気になって気が付けば、いつの間にか役場の手前辺りまで歩き続けていた。顎に左手を当てながら歩き続けると不意に後ろからランディを呼ぶ声が聞えて来たので振り返ると、道の反対側に肩まであいた茶色のドレスと真っ白の前掛けをした町娘風のシトロンが居た。
「ランディーくーん! おーいっ!」
普段着と思われるシトロンは、閑散とした大通りをきょろきょろ左右を確認した後、小走りで笑いながら大きく手を振り、近づいて来る。
「お疲れーシトロン。そんな大声を出してどうしたの?」
「どうしたのもこうしたのもないよ。私が君を呼び止める用事は一つでしょ?」
「えっ……もしかして早速、里親を名乗り出てくれる人が見つかったの?」
髪飾りで髪を後ろで一纏めにし、いつもよりも薄化粧のシトロンは、自慢げに胸を張り、ランディに人差し指を突き付けて不敵に笑う。したり顔のシトロンは、ランディの問いに無言で頷いた後、口を開く。
「私に掛かれば、朝飯前だね。農園のグランさんが一度、マルに会って見たいって」
「本当かい? こんなに早く嬉しい知らせが聞けるとは……本当に助かるよ。流石は、町一番の看板娘だ。君には、頭が上がらないね」
「私の手腕、もっと褒めて貰っても良い。どんな家が良いか言ってくれなかったから機転を利かせて犬がはしゃぎ回っても良い家を探したのだよ。寧ろ、言葉だけって足りないかも……今日もお店に来てお高いボトルを入れてくれるなら申し分ない」
「ごめんね、確かに要望を伝えておくべきだった。気をつかって貰えて本当に在り難い。今度、ラパンの所で夕食にご招待するのはどうかな? 君のお休みに合わせるからさ」
シトロンは、気を利かせてランディが言わずともマルが暮らしやすい家庭を選んでくれていた。そんなシトロンにランディは頭が上がらない。せめてものお礼にと、何時ぞや誰かに提案した謝礼と同じ様に食事へ誘うとシトロンは、瞳を輝かせて食いついて来た。
「そのお誘いは……心惹かれるものがある。奮発してくれる?」
「お酒がそれなりで良いのなら。料理はおいしいものを御馳走するよ」
思った以上の反応を見せたシトロンに少したじろぎながらもランディは、笑って答える。
同時に昨日と同等の出費を覚悟したランディ。こう言った場合は、金に糸目を付けるべきではない。後々に回り回って来るのだから。
「因みになんでお酒はそれなりなの?」
「流石にラパンの家は、あくまでも食事処であって得意分野ではないからね。美味しいお酒が出せるのは、やっぱり君のうちだけだからさ」
「いや―― 多分、ラパンの所なら上品な葡萄酒を幾らでも……持ってると思うよ?」
「君が言うなら間違いないね。では、素晴らしい葡萄酒も頂きに行こう」




