第肆章 あからさまなパンくず 1P
*
翌日、早朝から清々しい空気を胸に吸い込みつつ、足早にランディはラパンを伴って又もや教会に向かっていた。修行と自警団の仕事の一環としてラパンにも手伝いを依頼したのだ。唐突な提案であったが、ラパンは快く了承してくれた。毎日、繰り返す日課も重要だが、時には全く別な鍛錬に至っては関係のない奉仕活動があっても良い。既に報復から自身を高める事に目標が移行しているからだ。
幾ら進んでも答えになかなかたどり着けない先の長い目標だからこそ、時には遠回りや寄り道も必要だ。また、普段からかけ離れた慣れぬ行動をする事で見えて来るものもある。と言う建前でランディは誘ったのだ。
いつも通り、動きやすいシャツとパンツを身に付けたラパン。鍛錬を始めてから体型に変化はないが、自信がついて背筋を伸ばし歩く姿は、堂々としていた。目に見えない所から人は進歩して行く。身体に栄養を蓄えた時期が長いので結果が出るのも少し先になるだろう。
「それにしても。ランディさんは凄いんだな」
「いきなり何だい?」
大きく伸びをしながらラパンは、ランディに言った。一方、ランディは猫背気味で目を擦りながら気怠そうに答える。ラパンが指摘したのは、昨日の掃除後に始まったどんちゃん騒ぎだ。惨憺たる結果に終わったのは、今のランディを見れば言わずもがな。
「だって、昨日はルーくんとフルール姉、ユンヌ姉に付き合って夜遅くまで遊んでいたのに……もう、朝にはけろっとして僕と一緒に掃除をしに来ているんだも」
「まあ、現在進行形で頭痛も酷いし。吐き気は、治まったけど、頭の先から足の指まで怠いよ。でも約束を違える程、愚か者でもないさ……その代わりに今日は、あんまり激しい運動が出来ないから早めに切り上げて掃除をする提案をしてしまった所は情けないけどね」
最早、死に体のランディは弱々しい笑みを浮かべる。今朝は、顔を洗い、髭を整えるのが精一杯で髪を整える事まで気が回らなかったので頭は寝癖で大変な事になっている。
これでも走り込みや打ち込みの稽古は、いつもより少な目にしたが終わらせていた。
「僕も偶には、別な事をしたいなあーって思ってたから嬉しいんだな。それに事情を掻い摘んで教えて貰ったけど……今はランディさん、その問題に注力すべきなんだな」
「そう言って貰えると在り難い」
「僕としては、今後も暫くの間も今日みたいに鍛錬を早めに切り上げて掃除のお手伝いをしたいと思うんだも。ランディさん、心残りがあって続けても集中出来ないだも」
理解のあるラパンは、ランディの現状をきちんと把握している。そして思いの強さも。
長い前髪を掻き上げてどんよりとした茶色の瞳を露わにしたランディは、すまなそうな顔をする。これはあくまでも個人的な案件であり、自警団も関係がない。ラパンを巻き込むには、負い目がある。何故なら、因果関係や道理が欠けているからだ。
「良いのかい? 折角の貴重な時間を」
「僕は既にししょーの貴重な時間を頂いているから。少しでもお返しが出来るならそれが良いです。それに僕もエグリースさんと仲良しなんだも。偉い人が王都とかからいらっしゃった時にもよくおススメして貰って予約も承っているんだな」
「なら、かなり死活問題だね。そう言う紹介って横や縦の繋がりが重要だから。もし万が一、代わりの人が来たら同じ様にして貰えるとは限らないし……それに評判って回り回ってそう言う方々から色んな人に評判が降りて行くから尚更だよ」
「そうなんだも。信頼関係って奴なんだな」
あれやこれやと理由を付けて恩着せがましい素振りをおくびにも見せないラパン。
実際、エグリース自身が思っている以上にこの町へ深く食い込んでいる。ランディも何処まで影響があるか、全体像は分からないが町の者に聞いてみれば、思わぬ所で名前が出て来るに違いない。レザンやフルール、ルー、ユンヌにしても同じで理由を話したら二つ返事で了承が帰って来るのがその証拠だ。
普段は、煙たがっていてもきちんと相互扶助の理が成り立っている。ランディ自身もエグリースに対してその理が適用されているからこそ、苦境に立つ事を厭わず、エグリースの制止も振り切った。
この繋がりを断ちたくないと言うただ一つの確固たる理由があるからだ。
「そう言えば、ランディさん。ルーくんたちは今日は大丈夫?」
「ルーとフルールは、臨時でお休みを貰ってるよ。最後に見た顔は酷いものだった。ユンヌちゃんは、俺以上に抑えてたからいつも通り、元気に仕事をしてるさ。それにしても飲む量は百歩譲って良いとしても……強いお酒ばかり飲むもだから余計に次の日が辛くなっているんだよ。夜遅くには帰ったけど、二人を送迎するのは一苦労だった」
「それは、それは……お疲れ様でしたなんだな」
これ以上は思い出したくないと、ランディは首を振る。ラパンは、ランディの心情を察し、気まずそうに労いの言葉をかけた。その後は少しの間、二人とも黙々と歩くだけの時間が続いたが、唐突にランディが口を開く。
「まあ……初めて四人で遊んだから楽しかったよ。後悔はしていないさ」
「次は僕もご一緒したいんだな。お酒はまだ飲めないけど」
「勿論、喜んで。チャットちゃんも一緒にどうだい?」
「それは、良い考えなんだな。チャットも喜ぶんだも」
そんな雑談をしている内に教会は二人の目前に迫っていた。朝日の光を受けて輝く鐘と、闇夜の名残が少しずつ、日光に浸食される様は、なかなかに趣きがある。いつもは、只のみすぼらしい聖堂もこの時間だけは、幾度と苦難と栄華の時を経た風格を漂わせていた。
ランディはそそくさと聖堂の中に入って昨日、持ち寄った掃除の道具を持ち出した。
「さてと、昨日は手分けして周辺の掃き掃除と扉周りを刷子で磨いたりしたから今日は、草むしりと……石壁の蔦と苔取りをやろう。多分、この時間帯なら夜よりも見やすいし、昼よりも涼しいから楽だと思う。苔取り、蔦の撤去は、俺が頑張る。ラパンには草むしりをお願いしても良いかな?」
「畏まりましたなんだな」
「花壇の所が一番酷いから重点的にお願いね。最後は、纏めて何処かで焼いてしまおう。麻の大袋も用意してあるからそこに入れてくれると助かる」
「承知しましたんだも」
事前に申し合せをし、手分けしてランディとラパンは、作業を始めた。ランディは正面をラパンは、教会の両側面、壁の際に作られた大人の男性の肩幅くらい石組みの花壇を八か所。教会の正面は、日陰になりやすい側面や裏面よりも苔が少ない。その分、煤や埃が目立ち、蔦も元気に育っている。
花壇も背の低い雑草と枯れ葉が散らばっている。ただ、幸いにも抜いて除去しなければならないものは少なく、土をある程度深く掘り、混ぜ返せば、直ぐに片付くくらい。
ランディは、石造りの壁の隙間から浸食している苔や蔦をを鉄製の熊手や刷子でこそぎ落として行く。
煤や埃、砂が汚れと一緒にこびりついている。それらを栄養に苔が繁殖していた。苔は、手の届かない屋根の付近まで至る所に群生しており、汚れも一緒に落とすとなら一人ではとても終わりそうにない。本当に全てを一人で終わらせるなら手すきの時間だけなら最低でも二週間、多く見積もるとひと月は掛かりそうだった。
「ランディさん、花壇だけなら抜き取るのは効率が悪いから土を掘り返して混ぜれば、直ぐに終わるんだも。本当は、また根が生えない様に乾燥させた方が良いんだけど……急ぎで使う訳でもないし、野菜を育てる訳じゃないから長い時間を掛ければ土に戻るんだな。また、出て来たら同じ様にやれば良いんだも。終わったらランディさんの方をお手伝いするんだな。それを一人で終わらせるのは大変なんだも」
互いに黙々と、作業に徹する二人。暫くして教会の壁から少し土汚れの化粧をしたラパンが顔出してランディに状況を報告する。




