第傪章 忙しない日々の始まり 11P
ランディとユンヌの間で話が纏まった所で『Figue』にまた新たな客が訪れる。扉のベルが甲高く鳴り、入って来たのは、昨日もランディと出くわした護衛の憲兵であった。
衣服は昨日とあまり変わらず、憲兵隊の制服を身に纏っている。
「すまない、店はもう開いているかね?」
「はーい! いらっしゃいませ……」
ユンヌは、二人の姿を目に留めるなり、驚いて少し口籠る。ランディは、無表情になり、黙って事の成り行きを見守る。ユンヌに店が開いている事を確認した後、終始かたい補油上の憲兵は後ろに振り返る。どうやら客は一人ではないらしい。
「シャンドリエ司教。どうぞ、店内に」
「ありがとう、オルドルくん」
「いえ、とんでもない」
固唾を呑んで見守るランディとユンヌ、ヴェールの前に姿を現したのは司教だった。昨日と変わり、今日は簡素な礼服を身に纏っていたが、威厳は少しも損なわれていない。
「君、申し訳ない。二人だ。卓子の席を頼む」
「かしこまりました」
司教は、来店するとユンヌに目を止めて穏やかな声色で微笑みながら席の案内を依頼した。ユンヌは内心、おっかなびっくりしていたが表情に出さない様、努めた。
「そう言えば、君は確か……」
店内奥の卓子に案内しようと、ユンヌが振り返った所で司教は、ユンヌに気付いたのか声を掛ける。ユンヌは、素早く振り向き、頭を下げて上ずった声で自己紹介をした。
「あっ、挨拶が遅くなってすみません! 聖堂で日曜学校の教師をしているユンヌです」
「そうか、そうか。エグリースがいつも世話に。私の名は、シャンドリエ・ブージー。君も知っての通り、司教を仰せつかっている。短い滞在ではあるが、よしなに」
「宜しくお願い致します、シャンドリエ司教」
「君は……修道女ではないな?」
「はい。私は、この町で嘗て教師としてご活躍されていらっしゃったローブ女史からその業務の一切を引き継ぎました。普段は、実家の稼業を手伝いながら子供達に勉学を教えています。教会内の肩書はございません」
司教と会話している間、此処にいる誰もが首が取れてしまうのではと心配になる程、恥ずかしげに頬を赤く染めたユンヌは頭を上げ下げする。畏まるユンヌに司教は、微笑む。
「いや、君の素性を怪しんで問い質すつもりではなかった。すまない。ローブ女史のご高名は予てから……その後継者を一任されているのであれば、それは立派なものだ」
「司教様から直々のお褒めに預かり、光栄です。これからも教会やエグリース司祭の名に傷がつかない様、いち学徒として学問に精進し、子供達の教育にも邁進致します」
「一切を承知した。いやはや、代替わりの件は少し耳にしていたが、君の様な人柄なら心配無用だ。ユンヌ女史、後継者としてこれからも『Chanter』の教育活動に勤しんで頂きたい」
司教から手放しで褒められたユンヌは、恐縮しきってしまう。身体が硬直し、いよいよ心臓が止まりかねない所まで緊張しきっていた。町において広く名を轟かせる人物から褒められる事など、殆どない。ましてや、ユンヌも褒められる事自体、慣れていないので余計だ。
「つっ―― 謹んでお受け賜り致します」
「後は、エグリースの面倒もな」
「いえ、エグリース司祭にはご迷惑をお掛けしてばかりで寧ろ、お世話になっております」
「それなら良いが……因みに君の後ろの席に座っている彼も教会の関係者かな?」
「いえ、彼は……」
急に話題の矛先が変わったのでランディはすくっと立ち上がり、ユンヌの言葉を遮って名乗り出る。これは、ランディにとって千載一遇のチャンスだった。何故なら策を弄して近づこうとしていた人物が自ら、戸を開いてくれたのだから。幾ら、事を上手く運ぼうとも成果を伝えるべき相手に接点がないのでは始まらない。
「挨拶を欠いた非礼、お詫び申し上げます、司教様。私は、この町の雑貨店『Pissenlit』に従事しておりますしがない店員、ランディ・マタンと申します。どうぞ、お見知りおきを。昨日は、業務の一環で教会に参上しておりました」
ランディは恭しく頭を下げ、一礼。直ぐにゆっくりと丁寧に自己紹介した。
「そうか、早合点をしてしまった。我々が突然の訪問であったが故、君に非礼は無いよ。丁寧な自己紹介、ありがとう。ランディくん、どうか座ってくれたまえ。折角の貴重な時間を邪魔したくないのでな」
ランディの仕草に気後れし、司教は少し調子を崩す。されど、腐っても司教。目尻の皺を深くしながら笑顔を取り戻し、ランディへ握手を求めた。
ランディは、司教の手を取り握り返す。そして。
「おきづかい、痛み入ります。司教様、非礼を承知の上で一つ、お聞きしたい事がございます。宜しいでしょうか?」
この場を逃したら次の機会はない。そう思ったランディは、直球でエグリースの身体について問い質そうと、勇気を振り絞って一歩前に踏み込む。
「非礼を承知の上と言われれば、あまり興が乗らないのだが……」
「唐突に申し訳ありません。只、この折角の機会を逃すとお聞き出来ないと考えました」
真剣な面持ちで固唾を呑み、司教の返答を待つランディ。司教は、先程までとは違い、険しい表情を浮かべながら少し考え込んだ後に口を開く。
「内容は、想像に難くない。私の権限が及ぶ範囲の話、それは一つ。エグリースの人事だろう? 全く……あれも詰めが甘い。決まりきった事とはいえ、守秘義務を守らんとは」
「ご名答です。私が無理を言ってエグリースさんより聞き出してしまいました。責めを負うべきは、私です。すみませんでした」
「好奇心は猫をも殺すと言うが、使い時は間違えてはならない。今回の件、重要性はさほどないから不問にする。以後、気を付けなさい」
「申し訳ありませんでした……」
無作法に相手の領域へ踏み込んだのであれば、お叱りの一つや二つは必然だ。
ましてや、あまり面識のないのであれば尚更。されど、現状においてのんびりと関係構築など、不可能。圧倒的に時間が足りない。元より、不興を買うのは覚悟の上。それ程に事態が進行し過ぎている。無様だと分かって居ても通らねばならない道もある。
「それで君は、その件について何か私に言いたい事があるのかな?」
「私の立場で進言する事自体、無礼極まりないでしょう。私は、エグリース司祭の人事異動について司教様や教会の真意をお聞きしたかったのです」
「本当に聞くだけで良いのかね? もし、君がその議題に対して異を唱える立場なら疑問よりも先に嘆願が出るのでは?」
ランディの申し出に司教は眉を顰める。何故ならランディから嘆願の言葉のみが出ると思っていたからだ。寧ろ、嘆願が来る事を望んでいる節があったと言っても可笑しくない。
何故なら、願いを申し出る立場と願いを聞き入れる立場が予め決まっているからだ。その差は圧倒的である。願い出る側は、自分が苦しい立場と理解しているから無理が出来ない。 何よりも嘆願は、司教にとっては、教会の事情を説明し、相手にそれ以上の重要性を孕んだ答えを求める事が出来るので丸め込みやすい。だからランディは、あくまでも交渉の余地を持つ対等な関係に持ち込んだのだ。
「私の一存如きで意向が変わるのであれば、幾らでも申し上げます。ですが、世の理は理解をしているつもりです……結果が全てであると」
「なるほど、君は道理を弁えた上で正面から堂々と我ら教会の戸を叩き、結論を覆すだけの自信と判断材料を持って居ると?」
「今、出来るだけの事をしております。司教様が滞在されている間にお見せしたいと考えておりますが、確実なお約束が出来るかと尋ねられれば、お答えしにくいです」




