第傪章 忙しない日々の始まり 10P
まさか、己の事情を其処まで把握されていると思っていなかったランディは笑うしかない。そう、ランディは未だ尚、馬鹿正直に朝からラパンを連れ立って走り込みや武術の稽古を欠かさない。しかも重ねて行く毎にラパンの顔付きが精悍になりつつある位には手を抜いていない。その予定を鑑みれば、このまま行くとランディは本当に寝る時間しか、自由な時間がない。その懸念をユンヌは、指摘しているのだ。
「そもそものお話、聞いてないので分からないですけど……マルのさとおやさがしもあるなら目が回るくらい、いそがしいのでは?」
「此処で生活している間は結構、のんびりしてたからね。寧ろ、これくらい忙しくても問題ないよ。前の仕事も忙しなさは似たような感じだったし」
ランディは肩を竦め、ものともしない。最悪の事態を回避し、展望が見えたランディにとっては、多少の奉仕活動は何とでもなる。慰労は二の次だ。
「私が言いたいのは、皆で協力してやるべき事でしょって話。大勢でやれば時間の短縮になるし、当番制も組める。ランディくんが夜とか、休日に何処か出掛けても大丈夫じゃない」
「それは、遠回しな逢引きのお誘いと受け取っても良いのかな?」
「ランディくんがゆっくりとしてくれるって言うなら喜んでお誘いする。あんまりお酒、強くないけど……夜のお店にだってついて行くのも……やぶさかじゃない」
「むっ……」
あくまでも意地を張り続けるランディに諦めず、微笑みを絶やさず、懐柔を続けるユンヌ。その会話がどこか気に食わないヴェールは、唇を真一文字に結び、静かにしていた。
「そこまで言われると、まるで幼児を外に遊びへ連れ出す母親みたいじゃないか! 情緒もへったくれもないよ……俺は、ユンヌちゃんの呼び方を母さんに変えないと……」
「若いのに手が掛かる同い年で体の大きい息子が出来るとは思わなかった」
「母さん……」
「まだ、ランディくんが考え直すつもり無くて面白半分で話を続けそうだから先に言っておくけど……オシメは、替えないからね」
何処までも献身的な態度を貫くユンヌ。そんなユンヌに何時までもシラを切るのは限界があり、ランディは両手を上げて降参した。
「分かった、分かった! お手上げだ……出来るだけ自分の時間は作るから今回は、目を瞑ってくれないかい? 俺もはっきりって無理をしているとは薄々、感じていたんだ」
「今日は目を瞑る。でも駄目そうなら首に縄付けてでも……若しくは、フルールも巻き込むからね。因みにフルールには意地の張り合いは通用しないから……最悪、有言実行でオシメも替えかねないから気を付けた方が良いよ」
「俺にそんな捻くれた偏向はないさ。謹んでお断り申し上げるし、此処で君に言質を取られたから反故にはしない。大切な友人との約束は守るよ」
「先生、素直な子はとても好きです。良い子、良い子」
「腑に落ちないんだよな……この扱い」
机に突っ伏して捻くれるランディの頭をユンヌはやんわりと撫でた。
「じゃあ、珈琲とお茶持って来るから少しだけ二人とも良い子にしててね」
「かしこまりましたー」
「はい……」
話が一段落し、ユンヌは注文の珈琲と紅茶を取りに厨房へと向かった。テーブルに突っ伏すのをやめたランディにヴェールは精一杯、腕を伸ばして頭を撫で始める。
「うん? ごめんね、ベル。話が逸れちゃって」
「いいえ、ランディさんはえらいです」
「ありがと。気をつかって貰って悪いね。静かに話を聞いてくれて助かるよ」
ランディは、ヴェールを労う。ヴェールは、撫でるのを止めて少しふくれっ面になる。
「それにしても……ユンヌ姉は、ひどいです。ランディさんを子ども扱いして」
「どうしても男女においては、心や考え方の面で見え方やら成長の速度が違うからね。誰もが必ずしもそうって訳じゃないけど、可能性は高いと俺の経験上では……ね」
「そんなにちがいがあります?」
「例え方はあまり宜しくないかもしれないけど、君が朝早くから一生懸命になって勉強に勤しんでいる間、男の子達は何をしているか想像してみてご覧」
「ルージュといっしょにたまけりをしてますね。後は、虫取りとか鬼ごっことか」
「それを見てどう思う?」
「元気だなーとか、楽しそうとは思います……」
「でも、思わないかい? ユンヌちゃんから授業中に質問が来た時はどうするんだろうって疑問とか。自分が簡単に出来る問題を隣で難しそうに解いている姿を見て疑問に思わないかい? 論うとキリがないからこれ位にしておくけど」
「しょうじきに言えば……そうです」
少しでも共感へ繋がるように筋道を立ててヴェールに説明をするランディ。机の下で指遊びをしながら気まずそうにするヴェール。あまり気持ちの良い話ではないが、ユンヌにも共感出来る余地を残さねば、彼女だけがヴェールにとって感じの悪い只の悪役となってしまう。この件に関しても正解は無い。だからランディもユンヌも模索しているのだ。その最中にヴェールが感情や主観的な理由で偏った先入観様を持たせない様に補足を入れたのだ。
「それと同じでユンヌちゃんにも俺の行動に対して思う所があるのさ。俺の場合は、このまま続けたらどうなるか、自分で理解しててそれでも我を通そうとしてるから言葉を選んでユンヌちゃんなりに説得を試みた結果がこれだよ。最大限に尊重して貰って居るんだ」
顎の下で手を組みながらランディはそのまま、話を続ける。
「まあ、状況が状況だから仕方ないさ。漠然とした言い方で申し訳ないけど……俺は今、エグリースさんと男として意地の張り合いをしている一方でマルや教会の件で大人としての立ち回りも求められているんだ。これが如何せん、難しくてね。大人でいる事と男でいる事の両立は難しいのさ。何処で線引きすれば良いか分からないから独りでやってしまった方が楽なのでは? って思ったりもするんだけどね」
「だんだんとおはなしがむずかしくなってきたのでわたしにはわからないです……」
「俺も君くらいの歳だったら恐らく、同じ考えに至ると思う。今は、こう言う事があったとだけ心の片隅に覚えて貰えると嬉しいよ」
「なら、わたしは……何があってもランディさんのみかたですとだけは言えます」
「ありがと、ベル」
今、ランディは悩みに悩んでいる。その姿はとても情けなく、詰まらない。されど、誰しもが抱える問題でもある。これからの人生においてヴェールも通る道であるのは間違いない。ならば、少しでも今のランディを見た経験を活かして貰いたいと考えるのは恐らく、正しい。だからこそ、出来るだけ主観的な判断を排除した綺麗な意見を伝えるべきなのだ。
「お待たせしました。ご注文の珈琲と紅茶です。ミルクとお砂糖も置いとくね」
「ありがとう、ユンヌちゃん。いや、母さんと言うべきか……」
「まだ、それ続けるの?」
「どうせ、俺はがきんちょだからね。下らない悪戯の一つや二つ、目を瞑って貰わないと」
「何時までも拗ねないで。頼りにしてるんだから。私の目の前に居るのは、町を命懸けで守って頑張り屋の弟子を育ててる立派な店員さんだって知ってるもの」
「そんな言い方されたら何処にも逃げ場がないじゃない……」
「ランディくんだからこそ、色んな事に折り合いを付けてきちんとのんびりしながら程々に頑張るだけで十分な答えが見つかるって信じてる。お掃除、私も手伝うよ? フルールにも言っておくから皆で一緒に頑張ろ?」
「今日の夜から……やるけど良い?」
「勿論。善は急げ……だからね」




