第傪章 忙しない日々の始まり 6P
シトロンは、二つ返事で了解した。
「頼もしくて助かる。丁度、連れ出してるから挨拶してくれるかい?」
「どれどれ……可愛いなあ! 何だ、このフワフワの毛玉はっ! 此処が良いのかっ! まんまるじゃないか! 鼻でぐりぐりしちゃうぞ!」
「随分と気に入ってくれたみたいだね。もし良ければ、シトロンの所にどうだい?」
鞄から姿を現す仔犬を見るなり、ランディから奪い去ってやんわりと抱き留めて毛並みに顔を埋めるシトロン。頭を捏ね繰り回す。仔犬は鬱陶しいのか、きちんと遊びと理化しているのか分からないが、大きく口を開けて噛みついて必死の抵抗を見せる。
穏やかな一進一退の攻防戦を眺めながらランディは微笑んだ。
「生憎、私の生活は夜型だからきちんとお世話してあげられない。所でこの子のお名前は何て言うの? ないなら私がフワフワ・シア―ヌ一世って素晴らしい名前を授けようか?」
「名前はもう付けているんだ。俺の次にこの町へ来たから昔の言葉の七曜から取ってマルディのマル。真ん丸だし。丁度、良いかなって……思った」
「私の次くらいに気の利いた名前だね。面白くないけど」
「一番は、当人……いや、当犬が覚えやすいかって所だからね。君の考えてくれた名前は確かに素晴らしいけど、この子にはちっと荷が重いかな」
一頻り、撫でるのを楽しんだのかシトロンは仔犬を抱き締めながら話題は、仔犬の名前に変わった。満足げに胸元へ顔を埋めて鼻を鳴らして尻尾を振る仔犬。自身の一生が左右されかねない恐ろしい内容とも知らずに。
「確かに! 皆、フーちゃんとかシアンくんとか、呼びやすい呼び方に変えちゃうからマルで統一した方が親切だ。ランディくん、流石だね。気遣いの匠だ」
「それ程でも……お褒めに預かり光栄だよ……」
命名して一日しかし経たない内にシトロンによってとんでもない改名をされる所だった。
何とか、納得して貰える尤もな理由を並べて回避するランディ。シトロンのあまり穏やかでない名は、犬が背負うには如何せん、荷が重過ぎた。
「マルをもっと撫でたかったけど……欠伸も出て来たし。それじゃあね! マル、大人しく良い子にしているんだぞー」
「気を付けて帰ってね」
嵐の様に現れ、去って行くシトロンをランディは手を振って見送った。
「心強い味方が出来て良かった。あの子なら直ぐに話が広まる」
仔犬を鞄に戻して頭を撫でるランディ。そのまま、街道側へランディは歩いて行く。
一人、ぼんやりと正面の景色を見つめながら静かに今後の予定について考えていると後ろから聞き覚えのあるあどけない二つの声がランディへと向けられた。
「ランディさんー、おはようございます!」
「おはよう、二人とも」
声で相手を理解し、ランディは振り返ると二、三軒前の所から双子が走り寄って来ていた。
足を止めたランディへとびっきりの笑顔を浮かべながらルージュとヴェールが追い着く。
今日は、控えめな格好でルージュは、白のシャツに黒の短いパンツに紺色の長くつ下に茶色の革靴、ヴェールは、明るい青の丈が短いドレスに白い長靴下と黒の革靴。二人とも御揃いで茶色の革で出来た鞄を肩にかけていた。どうやら何処か、出掛ける途中の様子。
「朝早くからごくろーさまだねー」
「こらっ、ルジュ! 年上のかたにしつれいでしょ!」
「まあまあ、ヴェールちゃん。俺は気にしてないから良いって
「ランディさんもそう言ってるからさ。ぴりぴりしない、しない」
「例え、ランディさんがゆるしてもわたしはゆるさない!」
挨拶から毎度、お馴染の喧嘩が始まる二人にランディは、苦笑いを隠せない。丸く収めようにももの凄い剣幕で叱るヴェールにルージュは何処吹く風で不敵な笑いを崩さない。
双子なのに対極な性格を持つ故。また、互いに頑固な所だけは性格が一緒で退く事もない。
話題の本人は、ハッキリ言ってどちらでも良いので置いてきぼりだ。
「おこちゃまのベルちゃんは、頬っぺた膨らまして可愛いねー」
「ルジュにしては……面白いじょうだん。何時もは、お猿さんみたいに叫び声を上げて単語でしかお話しか出来ないのに。かしこい、かしこい」
「けんか、売ってる?」
「何よっ?」
「何よとは、何よ!」
ランディは、何とか事態の収拾は出来ないだろうかと考え込み、一つの解決策を思いつく。
鼻から大きく息を吸って首を回して気合いを入れる。
「ヴェールちゃん、怒ってる君もそれは、それは可愛いのだけど。そろそろ、君の溌剌した笑顔が見たいなあ……そしたらとても嬉しいんだけど」
「はっ! えっっと……」
恥も外聞もかなぐり捨てて取った策は、思った通りに作用してランディの言葉がやっと届き、我に返ったヴェールは恥ずかしそうに黙る。代わりにルージュの瞳から光が消えてランディから距離を取る。この策には、重大な欠点があった。二人の諍いに根本的な解決をもって終止符を打つのではなく、二人の間に水をさしてランディ自身に全てを集中させて最後は、煙に巻くと言う愚策だ。
そもそもの話、どちらにも確固たる正当性がない。ルージュにもランディからのお墨付きがあり、近しい者として多少の無礼講は許されているが、周りからの見方を気にして程々にすべきであろう。
反対にヴェールの礼儀を重んじる姿勢は褒められたものだが、この場ではあまり突き詰めて相手に求める必要性は無い。帰結すれば、どちらかに肩入れするのもランディの立場としては可笑しな話だった。だからこそ、愚策と分かって居ても手を出したのだが、喧嘩を鎮めた代償は重かった。
「前から言ってるけど。ランディさん、ごきげん取りの話し方がね……危ない人扱いされてつかまっちゃうと思う。よくあるじゃん? じどうをかどかわした? 罪とかで」
「難しい言葉を使いたいのは、分かるけど……かどかわすって言葉の意味は、強引に連れ去るって事で俺はヴェールやルージュを連れ去る心算もないし、これからも計画する事は無いよ。勿論、君たちが目に入れても痛くないくらい、可愛いのは認めるけどね」
つぶらな瞳を細めて胡散臭そうな視線を向けて来るルージュ。この状況下において幾ら言葉を重ねても詰まらない言い訳にしかならない事を理解しているランディは、目を閉じて苦笑いを浮かべて全面降伏の姿勢。以前からルージュより指摘を受けていたヴェールに対しての言動を敢えて使ってヴェールの気を逸らし、ルージュの興味を自分に向ける。ルージュから非難される謂れがあるのは、ランディも重々に承知している。誰から見ても恰好が悪い大人に徹して凌ぎ、子供すらも簡単にあしらえない恥ずかしい話だから仕方がない。
「父さんじゃあるまいし……キミがワルいよね。ほんとの父さんでもイヤ」
「きっと、父親になったらこんな感じなんだろうなー」
「わたしは、もうつっこまない事にする。どうせ、ランディさんを楽しませるだけだから」
ランディの軽薄な態度に呆れ果てたルージュは肩を竦めた後、黙って視線を空に逸らす。
どうやら気分が乗らない限り、ランディとは口を利かない心算らしい。代わりにヴェールが我に返ったヴェールが頬を朱に染め、恥ずかしそうに指を交差させながら頭を下げた。
「ランディさん、ごめんなさい……さわがしくしてしまって」
「気にしないで。二人供、元気そうで何よりだ。今日は、学校? それともおつかいかな?」
「今日は、学校です。これから向かうところですね。まだ時間には早いのですが、わたしはいつもじゅぎょうの前にふくしゅうがしたいのでこの時間に」
「ほんとに良いめいわくだよ……」




