第壹章 新しい朝 12P
「さて、ワタクシもまだまだお話をしていたいのですが、そろそろ授業の準備をしなければならないので
これにて。ランディ、教会の扉は何時でも開いています。好きな時に来て下さいね」
「はい!」
「はぁ……」
エグリースが最後にそう言うと礼拝堂の中に引っ込んでしまった。
「凄い人だったね、エグリースさん」
「あたしはもう知りません」
「どうしたのさ? フルール」
ランディに素っ気ない態度で返事を返すとベンチから経って歩き出すフルール。
「何でもないわ。それよりも次は農園よ」
話をはぐらかすようにフルールは次の目的地を告げて来た。エグリースの相手に疲れたのだろう。心なしか、フルールの顔は少しやつれていた。
「農園? あぁ、町外れにある畑のことだね」
ランディがフルールに追い着きつつ、自分の頭の中にある知識を引っ張り出して来た。
「そうよ、また大通りに出て林道を通るの。でもランディ、それは間違えてる」
まだまだ甘いとフルールはランディの方へ振り返ってちっちと指を振る。
「うん、どう言うこと?」
確かにランディにとっては不思議なことだったので疑問がそのまま口から出て来た。
「厳密に言えば、あそこは牧場に近いかな。確かに農業もやっているけど、牧畜の方が多いの」
フルールが頭の後ろで手を組み、歩調を緩めて歩きつつ、ランディに説明した。
「へぇ……ためになります」
「いえいえ」
ランディはぽんっと手を叩き、かんしんしたようにフルールへと礼を言った。
「出来るだけ急ごうか。まだ他にも回る所はあるし」
「だね」
ランディたちはなるだけ歩調を早め、急ぐように農園へと向かうのだった。
北側の町外れにある林道を抜け、少し開けた場所。其処が『Chanter』の農場だ。まるでもう一つの村があるかのようで広さは町の半分ほど、町の中とは逆に閑散としていた。特に理由はないが町の住人からは簡単に農園と呼ばれている。また、それほど離れていない距離に邸宅の屋根が木々の間から見え、辺り一帯は世俗から切り離され、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。今はまだ冬で農作はやって気なかった。馬が囲いの中で離されているだけ。土の香りがする農園の端っこで柵に寄りかかりながら全体を見渡すランディとフルール。
「雰囲気がガラリと変わったなあ。此処が『Chanter』の台所か……」
農園の充実した設備に釘付けのランディ。農園には牛舎や厩舎、畜産場。勿論、畑もあった。
「冬だから当然、野菜は無理だよね……」
「今の時期は地下室や軒先、畑に保管してある越冬野菜が主流だからね。畑もそうだけどあそこに小さなほったて小屋があるでしょ? 地下室の入り口があるの」
フルールがある場所を指で示す。冬の時期にはい野菜を塩漬けや酢漬けなどにして保存する方法の他にも雪や土、地下室のように温度が一定して低い場所などに置いて冬の間に食べる、越冬野菜と言う物もある。今の畑は育成の場ではなく保管庫だった。
「本当だ。地下室や畑に野菜が入っているの?」
ランディが目を向けるとフルールの指差す場所には確かに小屋がある。
「蕪と人参。根采は土寄せして植えて置くの。キャベツ樽で酢漬け、ジャガイモは霜が被らないように地下室で保存、玉ねぎやニンニクは茎を付けたまま軒先に吊るして置くの」
そう言えば実家でも玉ねぎやニンニクは吊るしていたなと馬を見ながらランディは思い出す。
「でも流石に此処だけの食べ物では足りないからね。周りの農村からチーズやバター、塩漬けの肉も買ったりしてるの」とフルールは学校の先生みたく、丁寧に説明をする。
「それはレザンさんにも聞いたなあ」
「本当? なら説明はもう要らないかもしれないけど後はね、川や海の方からも塩漬けされた魚が来るから本当にこの町は便利よ」
フルールは自分のことのように『Chanter』の自慢をする。それだけこの町が好きなのだろう。
「まあ、何でもそろっちゃう王都とは比べられないけどね……やっぱり王都は凄かった?」
フルールはランディの方へ顔を向け、好奇心を抑えつけつつも町の話題から王都の様子を聞いて来た。王都に移住しようとは思っていないが、やはり憧れはあるのだろう。
「そうだね、確かに王都は凄かった、凄かったけど……其処まで良い場所でもなかったかな」
唐突に王都の話題を出されたランディは馬の方に目を向けていたのだが実際、困ったような目は何処か遠くを見ているようで何も映っていなかった。町中で見せた明るさがなく、昨日、ベッドで見せた以上の寂しさ、哀しみの色が見える。
「物は沢山あったよ、それに毎日が新しい出会いの連続だったけど……何かね、少し現実を見せられたんだ……」
今のランディはまるで消えかかったロウソクの火ように弱々しかった。
ランディは王都で幾つか、憤りを感じることや悲しい出来事に遭遇することがあった。
逃げ出して来た理由は問題を起したとからと言ったが其の実、ランディ自身が心の整理をしたくて王都を離れたのは今の言動からも分かるだろう。溜まりに溜まった自己矛盾が許容範囲を超えてしまった。逃げ出してしまったからだけではない。元々、アイデンティティはなくなり掛けていたのだ。そしてランディが放った小さな心の慟哭は、白い雪に混ざって静かに消える。
「うわあ、寒! 何か風も冷たくなったし、そろそろ戻ろうか」
吹いてもいない寒風にランディはさも当たったかのように震えると町の方へ戻ろうとする。
強がるランディの背中をフルールは心配そうに見つめるが、今はどうしようもない。
しかしランディの心の問題も何時か時間が解決してくれるだろう。
「……それじゃあ、次はあたしの買い物付き合って貰おうかな!」
フルールが先を歩くランディを追い抜かし、元気よく笑顔で言った。
「えぇ、俺の町案内じゃないの?」
「我儘、言わない! ほれ行くよ」
二度の失敗はしない。
今回はランディへ掛ける言葉を作り、フルールは背中を押してやることが出来た。
「でもこうやっているのは悪くない」
立ち止り、青い空を見上げて誰にも聞こえないような小さな声でランディが呟く。
「え? ランディ、何か言った?」
「いや、何にも」
「そう、ほれほれ。歩いた、歩いた」
「うん!」
この時、ランディは確かに心の安寧を感じていた。
*
この後も様々な場所を見ていったランディたち。文具屋、服屋、ランディが行きたかった本屋、肉屋や八百屋などの食品関連の店も覗いて来た。こうして楽しい時間は早く過ぎて行く。
「……もう帰ろっか? 日も傾いてきたし」
「そうだね。あんまり遅いと心配されるかもしれない」
日が傾き始め、町の暗さが目立つようになって来る時間。今日の町散策はお開きだ。成人している人間の会話に聞こえないが仕方がない。この町には娯楽というものがあまりないからだ。大抵の店は夜に閉まるし、あるのは如何わしいパブやら親父臭い飲み屋が少しだけ。若い娘と初めて行くような夢のある場所はなかった。
「ランディって本当に真面目だよね」
「うん、それが俺の数少ないセールスポイントの一つだよ」とランディが胸を張って答える。
「夜からもっとはじけたりすることないの? そう言う所が何か、詰まんない」
「ぐぬぬぬ……」
気紛れな女神はほほ笑みを見せても油断はしてくれない。どう頑張っても今のランディにフルールの一つ上へ行くのは無理だった。二人は並んで大通りを歩いて帰る。話疲れた二人はもうヘトヘト、落ち着いていて静かだが嫌な沈黙ではない。そんな帰り道の途中、フルールは不意にある店が気になった。フルールの目に留まったのは髪留めや装飾品を売っている店。飾り窓に飾られた髪止め用のリボンに興味を引かれたのだ。色は白で上品な雰囲気。
「これ、欲しいかも……」




