第貳章 仕事の合間に 9P
「そうだね」
暫くして扉が開くと同時にいつも通り、簡素な祭服を纏ったエグリースと共に二人の男が出て来た。一人は、外套と軍服を纏った兵士。もう一人は、エグリースよりも華美な祭服を着込んだ司教と思われる者だ。兵士は、外套も軍服も革靴さえも黒色で手には、同じく黒い鍔のついた制帽があった。腰には、銀色の護拳がついた半曲刀を携えている。浅黒い肌と日に焼けた赤みがかった短髪の黒髪、頬はこけており、精悍な顔付きをしている。もう一人の豪奢な祭服を纏った年配の男は、短い白髪頭で小太りの体型で兵士よりも背が小さい。但し、茶色の鋭い瞳と、頬の深い皺により厳格な印象を与える。
「司教殿、本日は遠方よりご足労頂き、有難うございます」
終始、笑顔を崩さないエグリースは、両手を前で組み、恭しく見送りの挨拶を述べる。エグリースから司教と呼ばれた男は、軽く頷くと口を開いた。
「では、エグリース司祭。この件は、来月中に決まるだろう。心して置く様に」
「司教殿、かしこまりました。教会の意向ならば。喜んでご判断に従いたく存じ上げます」
「当然だ……それと私は、暫く此処で逗留する予定である。君のお目付け役を枢機卿より、仰せつかっている。私の私見も判断基準として献策を望まれていらっしゃる」
「はい、宜しくお願い致します」
「君から申し開きはあるかね?」
「ワタクシと致しましては……必要とされる地があれば、其処がワタクシの居場所でございます。この地に多少の名残惜しい思いはございますが、聖職者の役割こそが本分。私情は、二の次、三の次です。常に主の御心に添い遂げる所存でございます」
「……良い心掛けだ」
揺るぎなく、エグリースは真っすぐ司教を見据えて答える。胸元の十字架と指輪の輝きが印象的であった。エグリースの返答に深々と頷いてゆっくりと笑みを浮かべる司教。エグリースの深い信仰心を改めて確認出来た事で安心したのであろう。恐らく、話の内容は先ほど、三人が話していた事で間違いない。ランディもフルールもユンヌも異論を唱えたかったが、この場において互いに礼を尽くす二人の間に入る事は出来なかった。
「憲兵の方。護衛の任務、ご苦労様でした。引き続き、司教殿を」
「司祭様からのお心遣い痛み入ります」
エグリースは、護衛にも労いを忘れない。兵士も敬意を表して礼儀正しく頭を下げた。話の内容は、穏やかではないが、この場において両者が納得の上、円満に進もうとしているのが分かる。恐らく、どんな手を尽くしても望み薄な事も。
「さて……どうやら君へ用向きみたいだな。エグリース司祭、迷える若き羊たちを導くのが我々の仕事だ。きちんと励みたまえ。それでは失礼する。准尉、宜しく頼む」
「かしこまりました、司教様」
「承知いたしました」
柔らかく微笑む司教にエグリースは、頷いて答える。如何やら、エグリースは、件の司教と浅からぬ仲の様。無言で深々と頭を下げるランディ、フルール、ユンヌの隣で去る司教と兵士。エグリースは、そんな二人を出入り口まで見送った後、微笑みを称えつつ、三人の待つ教壇まで戻って来た。そして祭服の埃を軽く叩いて姿勢を正すと口を開いた。
「さてさて……皆さん。如何、致しました? 一様に浮かない表情など浮かべて。何か御困り事でも起きましたか……僭越ながらこのワタクシで良ければ助力致しましょう!」
「困っているのは、あたしたちじゃなくてエグリースさんでしょ?」
いつも通り、穏やかなエグリースを前に凄味のある剣幕を携えてフルールが単刀直入に問い質す。こういう場では、フルールが適役だ。何故ならランディもユンヌも引っ込み思案で遠まわしに聞くだけで時間ばかりが掛かり、本題に中々、入れないからだ。
「何と! ワタクシに困り事などありませんよ? ワタクシは、いつもと同じく主と共にあり、特に何もない穏やかな一日を過ごして居ましたよ?」
「差し出がましいのは重々、承知の上でお聞きしますが……書斎ではどんなお話をされていたんですか? 先程、お話されていたのは、司教様ですよね?」
今度は、ユンヌが不安そうな表情を浮かべつつ、薄紫色のドレスを両手で握り閉め乍ら問う。エグリースは、少し驚いた様子を見せたがユンヌは、お構いなしに話を続ける。
「私、知ってます! エグリースさんが……その……えっと、噂で少し前から運営の件で……王都の枢機卿の方や司教様と折り合いがつかないってお話。今回もこんな所までいらっしゃったのは、そのお話じゃないですか?」
「ユンヌだけじゃなくて……あたしだって知ってる位だから町の皆も知ってますからね」
「なるほど……それは、それは……お恥ずかしい話です。勿論、火の無い所から煙は立ちません。皆さんのおっしゃる通り。今回は、その件について司教様からお話を頂きました」
隠し立てをする必要はないと悟ったエグリースは、苦笑いで更に話を続ける。
三人は、真剣な表情でじっとエグリースの話に聞き入る。
「でもこの件についてはあくまでもワタクシたち、教会内でのお話です。ランディくん、フルールさん、ユンヌさんのお気持ちはとても嬉しく思いますが、秘匿事項であります。ワタクシからは、詳しくお話出来る事は何も……」
「でも!」
「今からでも何とかなるなら!」
「いいえ、違うのです。最早、これは決定事項と言っても過言ではないのです。あなた方のご厚意に甘えて此処で告白をさせて頂きますが、ワタクシの内示が決まりました。王都に戻り、補祭として従事する様にと言うお話でした。勿論、既に謹んで承っております。来月までにこの内示を覆す判断材料があれば、変更があるでしょう。されど、余程の事ではこの内示を覆す事は、出来ません。可能性は、空に輝く星々へ向かうよりも難しいでしょう」
尚も食い下がる三人に険しい顔になったエグリースは、首を振る。その剣幕は、薄暗い
教会内の雰囲気も相まってまるで違う人物だと思わせる位に凄味があった。
「もとより、皆さんがおっしゃった様にワタクシは、運営の業務はからっきしです。ワタクシ自身の出費を抑えるのは、容易です。でもそれだけではダメなのです。献金を募り、教会全体の事を思考し、広く教えを説く為に人を集め、礼拝を行い、皆さんの拠り所である礼拝堂も権威と威厳のある建物として維持しなければなりません。ワタクシには未だ、その視点が足りていないのでもう一度、学び直す機会を与えて下さったのです。上の方たちは、ワタクシには、その期待にお答えせねばなりません。ワタクシの心は、既に決まっているのです」
エグリースは、そもそもこの様な事態が起きるに至った己の醜態を包み隠さずに述べた。
そして暗に三人へ諦めるのだと諭す。今回は、主張者に非はなく、正当性のある論理的な根拠でもって事を進めている。何よりもエグリース自身が己の未熟さを痛感した上で賛同しているのだから納得して送り出して貰いたいと願っている。フルールでさえも睨みつけるのが精一杯。ランディも気まずそうに視線を下に向けた。
「でもっ!」