第貳章 仕事の合間に 7P
「……謹んでお断り申し上げる。俺には、そんな特殊な趣味嗜好はない」
恥ずかしそうに軽く頬を赤く染めたフルールは胸元で腕を組み、ランディの眼前で強調する様に屈み、微笑む。シャツのはだけた隙間から白い柔肌が覗き、思わず生唾を飲んだランディ。その視線は、釘付けになってしまう。ランディの心の中で葛藤が起きた末に何とか理性が競り勝ち、ランディは頭を掻き毟り乍ら落ち着きを取り戻す。
「本当に天邪鬼なんだから。素直に受け取れば良いのに」
「君が極端過ぎるんだ。後、他人の傷に塩を擦り込むのも御遠慮願いたい」
咳払いをして体裁を取り戻すランディと少し羞恥心を覗かせながら隣で胸元を整えたフルール。今日は、フルールの大胆さがランディに動揺を与えた。
「迂闊に隙を見せるランディが悪い」
「分かった、分かった……君が全面的に正しい。俺が間違っていた」
「分かれば良し」
今日は、ランディがフルールの艶やかな色気にあてられて負けを認める。昨日は、してやられたのでランディに一杯食わせた事に満足したのかフルールは、足取り軽く、石畳を進んで行く。ランディは、その可憐な後ろ姿を眺めつつ、苦笑いで追いかけるのであった。
*
「さて、配達も手伝ってあげたし。あたしの用事に付き合って貰おうかな?」
「勿論、この子もまだ大丈夫そうだし。構わないよ」
「マル、貴方には申し訳ないけどもう少し、付き合って頂戴。ランディの家に帰ったら体を綺麗にして貰えるし。温かい寝床とご飯が待ってるわ」
「さっきから大人しく鞄の中に居るし。中々、行儀の良い子で助かる」
「良く見れば、可愛いじゃない? 吠えて噛んで来る事もない。人慣れもしているのと、長毛の犬種何て、野犬では珍しいからもしかすると何処かで飼われていたのかも」
ランディの配達を先に終えた二人は、夕日が照らす教会の前に居た。配達を終えてから不意にフルールは、細い腰に手を当てながら仔犬の話題に触れた。
ランディは、フルールの推測に頷いて同意する。
「君の考察には、一理あるかもしれない。飼い主が飼えなくて野に放したが。それとも逸れてしまったのかもしれない。今となっては、想像してもあまり意味がないかもだけど」
「人手さえ事情が不明の行き倒れ何て珍しくないこのご時世、犬がこうなった理由を探しても答えがはっきりしないから意味はないわね。ましてや、判明したとしてもこの子に箔がついて貰い手が増える訳じゃないし」
当然の事ながら仔犬の過去をあれこれ、推測しても貰い手に繋がるヒントは、少ない。
様々な角度から考察し、可能性を求めるのも間違いではない。けれどこの場では、審議は闇の中。そこから生れいずるものも闇だ。
「その通り」
「長所を探す為にこの子へ目を向ける事は、悪くないでしょ。金色で長毛の犬種だから大きくなれば、優雅な犬になるわ。ましてや、行儀良く育ってくれたら誰もが羨む金の卵よ」
「それは、期待値が上がり過ぎっていうか……脚色のし過ぎだね。結局、商売じゃないからありのままのマルを受け入れてくれるお家を見つける事が最優先だよ」
「等身大の自分や謙虚さは、大事だけど卑屈になり過ぎるよりもその位の方が良いのよ? 愛着何ていつも傍に居れば、勝手に沸いて来るし。次第に期待よりももっと大事な絆が出来て少々の悪戯だって目を瞑れる位になるわ。きっかけなくして成すもなし」
「なるほど……誰の格言かな? とても素晴らしいと思う」
「あたしの」
「左様ですか」
ランディは、目を丸くして珍しくフルールに感服した。ランディには思い付かなかった考え方だった。
したり顔のフルールは、胸を張る。ありのままの自分を曝け出すのでは、足元を見られて興味を持って貰えない。伸びしろのアピールは、人の心を動かすきっかけだ。
「宝石だってそうじゃない? 只、磨いて輝きを鋭くさせているだけじゃ、勝手に売れない。まず始めに物の良さを知って貰って漸く、価値が生れるわ。それは、人も動物も同じよね。ある程度の輝きを持って居れば、後は持ち主になる人が更なる輝きを見出してくれるわ」
「その論法はとても興味深い」
「不完全な代物でも良いじゃない? 元々、この世に完璧な物は無いからね。だから手にした持ち主が最後は、自分で創意工夫を凝らして己の中の完璧を目指すの。つもりは、究極の自己満足へ昇華させる道を見せてあげる事ってとても浪漫があると思わない?」
「とても素敵な話だと思う。情熱的だ」
真剣な顔をしてランディは、頷く。ランディ自身にも思う所があるからだ。
人に交渉を持ちかけるのであれば、時には駆け引きも必要であると。別段、不利益にさせる為ではなく、仔犬と貰い主の将来がより良くなる為ならば、それは正しい行いであると言える。何故、仔犬の貰い手を探しているのか。そもそもの動機に至る原動力は、仔犬の今後に未来があると期待を持って居るからだ。仔犬の不幸な境遇に同情したからではない。
「ありがと。でも本来、商売ってそう言うもんよ。段々と作り手の名前が一人歩きしてその人が作った物なら絶対だって価値観が増えて来ているけど。それってどうなのって思うわ。昔から惚れ込んでいる人が心酔するならまだしも売り手がそれを餌に暴利を貪ったり、職人が名声の上に胡坐を掻くのは、勝手が違う。良さを伝える努力や欠点も全て包み隠さずに伝えてそれでも手にとって貰える様に作る工夫し続ける事が大切だと思うわ」
「それは、正しい心掛けだ。君は、信念を持ってパンや絵に反映させているんだね」
「あんまり出来は良くないけどね。只、努力は惜しんでいないつもり」
にこりと大きく笑いながら補足として持論を展開し、締め括るフルール。
「さて、あたしの講釈に付き合ってくれてどうも。さっさと中に入りましょ」
「そうしよう」
毎度、お馴染の古めかしい両開きの扉に手を掛けて中に入る二人。ひんやりとした室内は、いつも通り。しかしながら只ならぬ雰囲気が漂っていた。今時は、礼拝もないので告白で訪れる者以外、来客はないので人っ子一人いない筈なのだが、壇上で簡素な薄紫色のドレスを纏ったユンヌが不安そうに右往左往していたのだ。
ゆっくりとランディとフルールは、近づき、ユンヌに声を掛ける。
「ユンヌ、お疲れ様」
「ああ、フルール……お疲れ様。ランディくん、こんにちは」
「随分と浮かない顔をしているね。何か問題でも起こったのかい?」
「うーん。私は、いつも通りなんだけど……」
声を掛けられて二人の存在に気付いたユンヌ。明らかに困った様子。唇をきゅっと結び、心此処に在らずと言った印象。別の人物に問題が起きている事に憂いていると言ったところか。詰まった言葉が誰にでも分かる程に物語っていた。そのまま、黙ってエグリースの書斎を見つめる。如何やら理由は、そこにあるらしい。
「エグリースさんの書斎に何か……まさか、フルール?」
驚愕の表情を浮かべてランディは、フルールの方へ振り向いた。昨日の計画は、未然に防いだつもりだったが、フルールが完遂してしまったのではと、疑いの視線を向けるランディ。
「違うわよ! 今日始めて教会に来たから悪戯何か仕掛けられない。失礼しちゃうわ!」
「ごめん、ごめん。冗談だってば」
「ランディくん、違うの。今ね、王都から司教様がいらっしゃっているの……何でもこの一帯の教区を取り持っていらっしゃる高名な方ですって。エグリースさんは司祭だから所謂―― 厳密に言えば適切な表現じゃないけど上司にあたる人って言えば良いのかな? その方がエグリースさんとお話しているのだけど、何だか雲行きが怪しい内容みたいで……」