第貳章 仕事の合間に 3P
婦人の言葉で密かに胸を撫で下ろすランディ。誰しも通じる事だが、年長者の弄りを捌くのは一苦労だ。愛想笑いだけでなく、相手の機嫌を取る反応と返しが必要だからだ。
「そうかい。そう言って貰えると助かるよ」
「いえいえ。お届けの品は……こちらですね。サインと代金は――」
木製の受付台で書き物に集中する女性の下へランディは行き、挨拶と用件を伝えると女性は、手元から顔を上げてにこりと笑って答える。ランディは、肩掛けの鞄を漁り、商品を取り出そうとする。そんなランディに一度、ペンを置いた婦人が問う。
「もうこの町にも慣れたかい?」
「違和感はないですね……まだ、習慣化してない所もあるので時々、浮き足立つ事も在りますが、何とかやれてます」
他愛のない雑談を交わしつつ、ランディは、紙袋に入った商品を受け渡す。婦人は、予め代金を用意していた様で商品を受け取り、確認すると直ぐに渡してくれた。
「それは、良かった。最近、坊やが町中を駆けずり回ってる姿を見て元気を貰ってるよ。私も頑張らなくっちゃって。毎日、サボりもせずによく頑張ってるよ」
骨ばった細い手で受け取りのサインをしつつ、ランディを手放しで褒める婦人。気恥ずかしさを覚えつつもランディは、褒められて満更でもない様子。
「褒めて貰えるなんて大変、恐縮です。誰かの役に立つのであれば、遣り甲斐がありますからね。私も町中の景色を見乍ら仕事するのが楽しいんです」
「とても良い心がけだ。本当に偉い」
婦人はじっとランディを見つめた後、ランディの肩を叩き、目を細めて笑い、労う。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を言い、ランディは次の目的地へ向かう為に会話を切り上げる。無論、婦人もランディが忙しい事を分かっているのか引き止める事は無い。
「これからもどうぞ、御贔屓に!」
「ご丁寧にどうも。そろそろ、お願していた石鹸やら雑貨が大量に来るだろうからレザン翁に宜しく伝えてね」
「はい、かしこまりました!」
全てがいつも通り。店を出ると早足でランディは、次の配達先に向かう。宿場から少し離れた菓子屋が目的地だ。ランディがよく立ち寄る店の一つ。飴玉やヌガー等を買いに訪れる事が多い。すっかり顔馴染で来店する度におまけをして貰えるからだ。
赤い屋根、茶色の煉瓦造りで店の前には大きなショーウインドウが一つ。可愛い菓子屋と連想するならば、この店の印象が近い。ショーウインドウには、瓶詰めの飴玉やビスケット、蜂蜜漬けの果物が小奇麗な飾りと共に展示されていた。子供には、夢の国と言っても過言ではないだろう。夢の様な世界へ入店するランディ。
店内は、チョコレート菓子の甘い香りやビスケット、クッキーの優しい誘惑で満たされていた。店内は、壁にずらっと棚が並び、商品の分類毎に分けられていた。部屋の真ん中に机の島があり、本日のイチオシが展示されている。紙の箱に入ったビスケットやチョコレート、ショーウインドウにもあった瓶詰めの飴玉が並ぶ中、奥のカウンターへランディは歩みを進める。
無人のカウンターは、ショーケースで足の早い菓子パンやパウンドケーキが展示されており、切り売りやばら売り、ホールもあった。種類は少ないが乾果類が混ぜ込まれたパウンドケーキやスコーン、プレーンのスフレ等、都会の洒落た見た目も艶やかなデザートと言うよりも味重視の昔ながらな焼き菓子ばかりだ。この店は、奥に厨房があり、ショーケースの商品は、全て手作り。毎日、売り切れる分しか作らない。値段もそれなりなのでまだ、ランディも試していない。
チョコや飴玉、クッキーなどの既製品は、比較的安価で手に入りやすいのでどうしてもそちらに軍配が上がってしまうからだ。勿論、用途が来客時の茶菓子として提供される事が多い品なので原料や製法に気をつかっている理由もあって価格設定が高い。ランディのちょっとした普段のご褒美には、不向きなのだ。
少し商品を眺めつつ、ランディは先ほどと同じ様にカウンター付近まで歩いて行く。
「すみません! 『Pissenlit』です! お届け物の配達です」
「はーい! ちょっと待ってねー」
カウンター奥の廊下へランディが大きな声で人を呼ぶと、比較的、若い女性の声が奥から帰って来た。少しの間、ショーケースの前で待っていると、忙しない足音を立て乍ら灰色のブラウスに白い前掛けをした女性が出て来た。見た目は、三十代くらい。三角巾を頭に付けて長い茶色の髪を後ろで団子にして纏めおり、化粧は、口に紅をさしただけ。細面の顔に瞳が大きいのが印象的な女性だ。前掛けで手を拭いながらやって来た女性は、ランディを見るとにこりと笑い掛けて来た。
「ランディ君、どうもね!」
はきはきとした声で溌剌な女性がランディを労う。
「テイエールさん、お疲れ様です。商品は、洗濯用の石鹸と……ブラシ、蝋燭でしたね」
「助かるよ、ありがとう」
「お役に立てて光栄です。品物は、カウンターの上に置いておきましょうか?」
「お願い! 代金は、前払いしてたから……サインだっけ? ちょっと、待っててね」
「お構いなく!」
商品と台帳を取り出しながらランディは、笑う。
「お待たせしたね……これで良いかな?」
「ありがとうございます!」
「そう言えば今度、菓子の新商品来るから是非、おいで! おまけするから」
「ほんとですか! ありがとうございます」
サインを貰いながら話題は菓子の話に。ランディにとってとても興味深い内容なので直ぐに食いついた。目を輝かせるランディに微笑むテイエール 。
「何かと立ち寄っては、買ってくれる上客だからね。それ位、胡麻擂りするさ」
「嬉しいなー因みに何が入って来るんですか?」
「ゼリー豆って品物さ。海外から入って来たって業者は、言うんだけど。私も見た事なかったし、物は試しにってね。試しに齧ってみたけど、面白い菓子だったよ」
「どんな御菓子なんですか?」
「見た目は、小さな飴に近いね。色は、数を数えてないから覚えてないけど……カラフルだったわ。食べると、弾力があって甘くて粘っこいヌガーみたいなもんかね」
「へえー。俄然、興味が沸いてきました! 是非、お伺いしますね」
「宜しくね!」
期待に胸を膨らませるランディ。異国からの舶来品となれば、物珍しさから期待は数段上がる。以前よりも船の航路も確立し、列車も走るようになった今、他国との距離は、かなり縮まった。これから技術は、もっと確立されて早く確実に届くようになるだろうと期待されている。そんな情勢に伴い、様々な商品も市場へ比較的、安価な価格で出回る事もあるのだ。
異国の文化に触れる貴重な機会。
「……そうだ。これも持ってお行き!」
テイエールは、去り際のランディに向かって小さな紙の袋を投げて寄越す。
「ビスケットですよね。良いんですか?」
「配送の時点で壊れてたんだ。安く売っても良かったけど、大した金額じゃないから配っちゃう事に少し持ってて」
「ありがとうございます!」
受け取ったランディは、嬉しそうに頭を下げて店を出た。思わぬ小さな幸運に浮き足立つランディ。この様に先々世間話を交えながら配達を熟して行った。もう一軒、配達を済ませてランディは、町外れの山小屋へと向かった。町の門を潜り、野原へ出たランディ。眼前には、起伏に富んだ緑の絨毯が広がっている。野原を両断する街道は、ランディがこの冬に辿った道だ。
当初は、蓄積された疲労と雪、寒さと物悲しい景色の所為で長く険しい道のりであったが、今となっては馬車が駆ける牧歌的な雰囲気を漂わせる穏やかな小道にしか見えない。草原に寝転がって昼寝をしたい誘惑に駆られるも今日は、目的地が違う。