第壹章 新しい朝 11P
「こらっ! フルール、聞こえているぞ! 今、其処へ行くから正座して待ってなさい!」
ランディたちが下世話な話をしていると上の方から不意に声が聞こえてきた。見れば、役場の二階の窓から人が身を乗り出している。どうやらこの話は誰かの耳に入ったらしい。
「噂をすれば……さぁ、次はどこ行く? 礼拝堂の方でも行こっか?」
フルールがぼそりと呟いた後、明るく振る舞って次の目的地の提案をして来た。
「……人、呼んでいるけど良いの?」
フルールの暴走にランディはタジタジ、不安げな声色で問うた。
「良いの、良いの。ぼーっとしていると置いていくよー」
「まぁ、俺だけじゃあどうしようもない、それよか次は礼拝堂か……」
結局、本当に行ってしまうフルールの着いて行くランディ。二人は大通りを正門の反対側へと足を進める。フルールの宣言通り、礼拝堂に行く為だ。礼拝堂は町の北西、民家が立ち並ぶ住宅街に建っている。建物は国境のシンボルである緑の葉を十字に象ったオブジェに茶色の屋根瓦、灰色の壁、寂びれており、清貧と言う言葉が似合っていた。
この礼拝堂は王国国教会の所有物だ。何故なら王国で国教として認められているのは王国国教会、ただ一つだけだからだ。他にも宗教はあるのだが、王国国内では礼拝堂を建てられる権限は国教にしか与えられていない。王国は元々、信仰に全てを頼る訳ではなかったが、それでも髪や幻獣、魔法、その他にも目に見えない力が古の時代から存在して信じられていた。教会は一時期、栄華を極め、それなりに大きな権力者として君臨していたのだ。
しかし、おおよそ百三十年も前から続く産業革命、その他にも物事の仕組みが少しずつ解明されて行くうちに形がない物はほぼ淘汰されてしまった。確かにこの町やランディの故郷にも教会が機能しているが他の町や都市と同じように形骸化し、今はどちらかと言えば学び舎や元々の人に教える場所として元々の働きを取り戻しているのが実情だ。
「礼拝堂の雰囲気はやっぱりどこも同じだね。こう言う所に来ると、何だか身が引き締まるよ」
「そうね」
「そうでしょう、そうでしょう! 迷える子羊たちよ」
国教の栄華を知らないランディたちも流石に礼拝堂に来ると畏敬の念や神聖さを感じるようだ。
「でも何だかボロボロだね。俺の故郷は町の人全員で綺麗にしてたよ」
「失礼な! 『Chanter』の礼拝堂だって充分、立派でしょう?」
確かに清貧と言えば、聞こえは良いがシンボルが傾いているし、外壁は少し崩れている所もある。ましてや屋根には雑草が生えていたりと手入れがされなさ過ぎるのも問題だった。
「それは此処の司祭さんの所為。いつも挨拶の後、二言目には『信じなさい、さすれば救われる』で長い説教が始まるからとてつもなく鬱陶しいのよ」
フルールは来たことが失敗だったかと言う顔をして礼拝堂の廃れた理由を語った。
「フルールさん! 貴方と言う人はそんなだから嫁の貰い手がないのでは? ぐふっ」
町役場から来て早々、二人は礼拝堂横のベンチに座っていた。特別、フルールが補足する必要性もない話をしており、ランディは耳を傾けていたのだが、二人の会話にはいつの間にか仲間入りしている者がいたのだ。
「ランディ、この失礼な方は司祭のエグリース・プリエさん。礼拝堂が寂れた諸悪の根源よ」
フルールは、殴った話の乱入者に聞こえないようランディへ耳打ちをする。
「何をするんですか! フルールさん。危うく気絶する所でしたよ」
「問題の始まりはエグリースさんの所為です。ごめんなさい」
「いや、それは可笑しいでしょう、ワタクシはあくまでも正論を言ったまで……しかしながらフルールさんの機嫌が今日は悪い様子。『右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい』と主は聖書でも仰っています。顎の一発や二発、寧ろ、望む所です!」
「……ごめんなさいでした。結構です!」
苛立ちを募らせるフルールは終始無表情。ランディは恐怖に身を竦ませる。
「そうですか? 遠慮せずとも良いのに……それは良いとして、フルールさん。隣の方は何方ですか? 見た所、此処の住人ではなさそうですけど」
「ああ、彼はランディ。この町に住むから案内してたんです」
「ランディ・マタンです。宜しくお願いします!」
「それは、それはご丁寧にどうも。『Chanter』教会で司祭をしております。エグリース・プリエです」
エグリースと名乗った乱入者は中年の男。髪はキノコ頭、胸元にはきらりと光る指輪が二つついた法具、そして真っ黒な司祭服を着ており、体格もまるで枯れ木のよう、風が吹けば今にも飛ばされてしまいそうだ。近寄り難い印象の男だった。エグリースはベンチの真後ろにある礼拝堂の窓から顔を出し、二人の話に入って来ていた。ランディは話の最初からいるのは知っていた。でも第一印象で話し掛けるのを躊躇っていた。逆にフルールは出来れば関わり合いたくないとばかりに最初は知らん振りをしていたものの、エグリースの小言が癇に障った為、顎に拳骨を放ったのだ。
「ランディ君! いきなりですが、君は毎週の礼拝にはきちんと来ていますか?」
エグリースが窓から身を乗り出し、ランディの胸に指を突きつけると不思議な質問をした。
どんなに教会の威光がなくなろうとも、小さな信仰心や良心の呵責などが王国に染みついているからか、王国民は週末に開かれる礼拝に行くのが当たり前だった。
「だっ、大事な用事がなければ極力、行くようにはしていますけど……」
エグリースの様子に引き気味のランディはベンチからずり落ちそうになりながらも答える。
「何と! それは良い心掛けですね!」
「いや、常識ではないかと」
「他の町ではそうかもしれませんが、この町の人たちは殆ど来ないのですよ。皆さんの信仰心は何処へ消えたのでしょう……」
エグリースが太陽を仰ぎ見てばっと腕を開き、自らの嘆きを大袈裟な表現し、ランディやフルールに訴え掛けた。はちゃめちゃな司祭を前にフルールが額に手を当てて呆れかえる。
「悪い人ではないんだろうなあ―― でも……」
ランディが小さく言葉を漏らす。面倒臭い。ランディはそう思った。
やたらテンションが高い所為か、それとも信仰心の熱さが問題なのかは分からないがエグリースと話をしていると直ぐにお腹いっぱいになった気分になる。
エグリースはまるで演劇に出て来る役者のような人物だった。
「まあ、これもワタクシに対する主が与えて下さった試練の一つでしょう」
「それは崇高な試練なことで……」
「でしょう? ならば全うするのがワタクシの使命!」
「そーですね」
フルールは聞き飽きたと気のない相槌をする。エグリースはフルールの様子に構うことなく、キノコ頭をピコピコさせて熱く語り掛ける。
「ランディ君は勿論、毎週の礼拝に必ず、来て頂けますよね?」
「あっ、ええ」
エグリースの振りにランディは戸惑いつつも肯定の返事をしてしまう。
「駄目よ、ランディ! そんな約束しちゃ!」
「何で?」
「何でも!」
ただエグリースと小さな約束をしただけなのにフルールは焦り、ランディへと耳打ちで注意した。礼拝へ行くだけなのに何処が問題なのか、ランディは分からなかった。
「良かった! ランディ君。いや、ランディ! 君は主がワタクシに遣わせて下さった使徒に違いない!」
「いやー、そんなことはないですよ。あはは」とランディは満更でもない様子。
「ランディ、一緒にこの町で人々の信仰の輪を広げて行きましょう!」
「わっ、分りましたっ――」
熱い握手を交わし合う二人。フルールはもうどうしようもないとばかりに知らん顔。
「フルールさんもどうです? ワタクシやランディと一緒に頑張りませんか?」
「遠慮しておきます」
「そんなに恥ずかしがらずとも!」
「恥ずかしいんじゃありません!」
この町の人々は相当、エグリースに手を拱いているようだ。フルールが良い例だろう。