第壹章 学び舎のひと時 7P
珍しくランディは、褒められたので図に乗った。フルールは、呆れ顔で溜息を一つ。素直に反応すれば良いのにこう言う時には、御ふざけが過ぎるランディ。全てを丸く収めたのだから感謝される事はあっても上から目線で褒められるのは、心外だったのだろう。気持ちは、分からなくもない。
「偶には、鼻持ちならないつけあがり方をしたってよいじゃないか」
「それは、ルーだけでお腹いっぱい」
「随分な言い方だね……否定はしないけど」
「あれでも良い所は、あるんだけどね……普段の生活態度が良ければ」
「あたし、馬に蹴られたくないから人の恋路にとやかく言う方じゃないけど。ユンヌは、昔からルーの事をやけに買ってるよね。バレバレよ」
此処でユンヌが複雑な思いを吐露して二人の会話へ割って入った。思わぬ所で横槍を貰い、フルールはユンヌへ向き直ると肩を竦め乍らのたまう。
「どう言う意味で!」
「この町に来てそんなに経っていない俺でも分かる位だもん」
「違うもん!」
「違わない。当の本人以外は、町の人、全員気付いているわ」
「――!」
頬が一気に林檎色に染まり、慌てるユンヌ。その隙をフルールは見逃さない。徐にランディも気まずそうにこの際だからおずおずと物申す。急に可愛らしい一面を晒してしまったユンヌは、あえなく餌食となってしまう。
「ほら、真っ赤になる。分かり易すぎるのよ。ユンヌは」
「ちっ、ちがうもん――」
「だって、学園都市でも就職の道があったのに態々、蹴ってこっちに戻って来たでしょ。聞く所によると結構、引き止められたそうじゃない?」
「それは……」
「ユンヌのそんな奥ゆかしい所は、好きだけど。好い加減、何かしら動かないとルー、誰かに取られちゃうよ? 貰い手が居るか、どうかは別だけど。ただ、アイツの事だから目に適う子が出てきたらどんな手でも使って捕まえると思う」
「……」
フルールは、意志の強い茶色の瞳で真っすぐにユンヌを見据えて彼女の心情や葛藤を考える事無く、包み隠さずに己の考えを伝える。それは、ずっと持っていた蟠りであり、恐らくユンヌ自身の為だろう。容赦ないフルールの言の刃は、ユンヌの胸を貫いた。
「俺は、焦る必要ないと思うけど……まだ、ルーも独り身で居たいって言ってたし。暫くは、一つの所に落ち着く気は、サラサラないでしょ」
「そうやって言ってると、気付かない内に出て来るんだってば」
「人の気も知らない癖に……」
顔を伏せて小さな独白を漏らすユンヌ。そんな一言もランディは、聞きもらさなかった。前髪で瞳が隠れていたが、声色には、悔しさが滲んでいる。
「ユンヌちゃん――」
「大丈夫! フルール、気持ちは在り難いけど。私が此処へ帰って来たのは、理由が違う。私は、この町が好きだから帰って来たの。それに今は、恋愛よりももっと、自分の出来る事に専念したいんだ。ルーの事は、確かに子供の頃は、好きだったけど……今は、少し違う。それに魅力的な男性も移り住んで来た事だし―― ねえ、ランディくん?」
「うわっ――! おっ、男である事には、間違いないけど。魅力的かは……ねえ?」
「―― 大きなお世話だったみたいね。ユンヌの気持ちは、よく分かったわ」
ランディが助け船を出そうと、声を掛ける前にふんわりと、優しい石鹸の香りがランディの鼻を擽る。珍しくふざけてユンヌがランディに抱き付いたのだ。その瞬間、少しだけ表情を硬くしたフルール。そして踵を返すと、出口へと向かった。
「フルール、どうしたの?」
「帰るの。また、今度ね。ユンヌ」
「気を付けて、フルール。また今度」
「俺もお暇……しようかな」
「うん。今日は、本当にありがとうね。重ね重ね、申し訳ないけど、フルールを宜しく」
挨拶もそぞろにランディは、教会を出て行くフルールの後ろ姿を追いかけて行く。
珍しく不機嫌な様子のフルールにランディは、少し戸惑う。辺り触りのない会話で最後のユンヌにしても己の主張したい欲求を抑えて場の空気を壊さない機知にとんだ返しだった。
「どうしたのさ、フルール?」
「何でもない」
「そうか……分かった。で、君はこれからどうするつもりだい?」
「家に帰る」
「途中まで送るよ」
「勝手にすれば?」
小道を小走りで駆け抜けたランディは、フルールへ追い着くと顔色を窺いながら問い掛ける。人っ子一人いない家屋の陰で薄暗い通りをフルールは、能面を付けたかの様に無表情。話し方も素っ気なく、会話が続かない。ランディは只管、付かず離れずの距離を保ちつつ、フルールの後ろを歩く。沈黙が二人の間を満たす中でフルールが唐突に口を開く。
「ランディは、考えてる?」
「何を?」
「突然の質問だったわ―― 御免なさい。将来の事よ」
「ユンヌちゃんと話した件の続きか。俺は……絶賛、迷走中だからね。今の所は、ぼんやりと地元に戻りたいとも考えているけど。目途が立たないね」
「そう……」
質問に質問で返すランディ。勿論、前置きなしに考えていると言われても普段から頭が空っぽなランディには、何も考えていないとしか答えられない。ただ、その冗談では済みそうにないのでフルールの意図を聞きたくて聞いたのだ。その結果、答えは何とも不毛で辺り触りのない誤魔化しが出て来てしまったが。それも致し方がない。但し、こう言う時に対処法は、ランディも心得ている。明らかに相手方が返答に困る類で己が聞きたい質問ではなく、自分が話をしたい話題だからこそ、振ったのだ。つまりは。
「フルールはどうなの?」
ランディに自分の思っている事を聞いて貰う為に投げ掛けたきっかけに過ぎない。待っていたとばかりにフルールは、真正面を向いたまま語り出す。ランディの仕事は、時折、相槌を打って聞き役に徹するだけ。
「あたしは―― この町にずっといるつもり。誰か良い人を見つけて子供を作ってパン屋を切り盛りしながら大変だけど、慎ましやかな幸せって奴に小さい頃から憧れてた……いや、ちがう。父さんや母さんがそうだったからあたしもそう言うもんだと思ってた」
「今は、変わったの?」
「どうすれば良いか。分からなくなった」
「そうかい」
「理由を聞かないの?」
やっと、ランディへ振り向いたフルールは、顔をむっとさせて問うて来る。勿論、ランディとて話の流れに身を任せて聞く事も厭わなかった。けれどもフルールの感情が揺さぶられている今、迷いが生じる。言葉一つで状況が変わり、機嫌を損ない兼ねないのだから聞き辛いのは、尚更だ。あまりにも相手の内面に深く関わっているだから。
同時にランディには、知り過ぎる事への恐怖があった事も補足すべきであろうか。
「図星を突いたなら申し訳ない―― 前以って謝って置くけど、フルール自身が話したく無さそうだから。聞かなかった。只、それだけさ」
「……正解。嫌な所で気をつかうのね」
「粋と言っておくれ。これでもそう言った話は、人の内面に関わる事だから細心の注意を払っているつもりだよ。言わば、君が聞いて欲しいと思った時に話すべきであって今は、その時ではないんだ。自分が一番、分かっているだろうに」
「余計なお世話……話をするべき時は、あたしが決める。大丈夫。今がその時よ」
ランディは、前髪を弄りながら努めて穏やかな声でフルールを諭した。けれどもフルールは、寂しそうに笑いながら覆す。当人がそう言うのならば、仕方がないのでランディは、黙って耳を傾ける。何時だって女性は、勝手だ。段取りを必要とする時もあれば、全てを素っ飛ばす時もある。勿論、それがとても魅力的である事は、否めない。