第陸章 『restaurant』の騎士 1P
騒動から二日後。ランディは、いつも通り、配達の仕事で町中を駆けずり回っていた。昼下がりの日差しも強くなり、風も心地良く、厚着も必要ない。真っ白なシャツに茶色のボトムス姿で肩掛け鞄と背嚢に商品を入れて石畳を軽快な足音を立てながらとある場所に向かっている。そしてランディの日常はまた、穏やかに。やきもきもモヤモヤも晴れて頭上の青空は、明るい表情を浮かべるランディの心模様を表していると言っても過言ではなかった。
「居ると良いなあ……」
独り言を呟くランディが向かうは、『réfectoire』。ラパンの下だ。無事、チャットとも元の鞘に収まったとフルールから伝え聞き、レザンからの許しを得て直接、ラパンに後日談を聞こうと思っていたのだ。ランディはと言うと、あの後、ルーとフルール、レザンに結果を話し、ブランにも事の顛末を報告しに行く等、多忙であった。無事、事件は解決したので心配する必要は無かったが、この訪問は、きちんとラパンが進むべき道を模索しているか、確かめる意図もある。
終わったら御仕舞と言う訳にも行くまい。見慣れた赤い日除けが見えて来た所で心臓の鼓動が乱れるランディ。答え合わせとは、そう言うものだ。開けて見なければ、分からない。やれるだけの事は、やった。自信もある。
けれども不安要素は、尽きない。想像が、足の進みを阻害する。最後の最後で時間が掛かりながらも玄関先に辿り着いたランディ。繁忙する時間帯を避けたので店は、閉まっている。無論、休憩ではない。夜の仕込みで中は、大忙しだろう。
仕事の最中で些か、気が引けるもこの機を逃せば、理由を託けて先延ばしにしてしまうので勇気を振り絞って戸を叩く。暫くして慌ただしい足音と共に扉が開き、ランディを出迎えたのは、いつも通り、肩口の開いたドレス姿のチャットだった。
「やあ、どうも」
「あっ! ……こんにちは。ラパンに御用?」
「そうだね。本当は、食事に……と言いたい所だが、申し訳ない。野暮用って奴」
「いえ……ラパンもお話したいと……思ってます」
ぎこちないながらも精いっぱいの出迎えをしてくれたチャットにランディは、微笑む。ランディも本音を言えば、萎縮してしまう所だが、過去のいざこざは、お互い、水に流すべきだと考えている。ならば、年長者としての対応が問われる。
「勿論、君とも話がしたかったんだ。時間はあるかい?」
「大丈夫です。中へ……どうぞ」
「遠慮なく」
店に入ると、ラパンが普段着にエプロンを付けて清掃中だった。
「ランディさん! いらっしゃいませなんだな。さあ。座って、座って!」
「大した用事でもないのにお邪魔して申し訳ない。あれからどうかなって様子見に来たよ。元気そうで何より」
「態々、どうもなんだな。頗る、順調なんだも。チャットともきちんと謝って仲直りしたん。本当にランディさんのお蔭なんだな」
デッキブラシで床を磨きながらランディを快く迎え入れてくれたラパン。穏やかに微笑みながら話す様子を見てランディは、ほっと胸を撫で下ろす。どうやら、経過は、順調で全て上手く行っている様だった。
「俺は、何にもしてないよ。君が最後に頑張ったからこそ、掴んだ結果だ」
「頑張るきっかけを作ってくれたのは、ランディさんなんだも。ちょっと、待ってて下さいな。直ぐに手が空くんだも。チャットも椅子に座ってて欲しい」
ラパンは、そそくさと厨房へ戻って行く。残された二人は、静々と空いているテーブル席に着いた。席に着くなり、真剣な表情のチャットが話を切り出す。
「ランディさん……今回の事は、本当に――」
「いや、寧ろ怖い思いをしてしまったようで申し訳ない。全て丸く収まった事が不幸中の幸いだよ。お金は、全額戻って来てるかい?」
「お蔭様で……私……この前、お話した時にとっても失礼だったから。謝りたくて」
「いや、君には君の。俺には、俺の譲れないものがあっての議論だったから。しかも俺の方が年上なのに大人気ない態度を取ったから。尚更、拗れてしまった。どうだい? お互い、耳が痛い話を素直にしたから手打ちにするってのは?」
「ランディさんがそれで良いのなら」
「では、握手」
和解し、やっと固い表情を崩して口元に笑みを浮かべるチャット。会う時は、いつもしかめ面ばかりだったのでランディは、新たな一面が見れて素直に嬉しかった。責任感が人一倍強くてもまだまだ、少女の側面を色濃く残している。
「それできちんとラパンとは、話が出来たかい?」
「はい。昨日、ラパンから取り返してくれたお金、渡されて。沢山、話を。見直しました。私、これまで手の掛かる幼馴染としか思ってなかったから」
「俺も驚いた。元々、芯が強い子と知っていたけど……あそこまで思い切りが良いとね。何だか、誇らしいよ」
「その言葉……ラパンが誰よりも喜ぶと思うから言ってあげて下さい」
「俺よりも君から頼もしくなったと言った方が喜ぶと思う」
「それは、もうちょっと先の話だと思う―― ます」
「そうかい」
この前とは打って変わり、離している間もころころと表情を変えるチャット。ランディの人となりを知ってやっと、慣れたのだろう。最後には、色付き鮮やかな唇に褐色の手を当てて恥じらう姿も垣間見えた。
そんな新たな発見に触れていたランディの下へ漸く、ラパンが戻って来る。
「お待たせしましたんだな。これ、僕の両親からランディさんに」
「そんなつもりで来た訳じゃないから。恐縮だよ……」
「遠慮せず、遠慮せず! 僕、教わってたのに碌な月謝、支払いしてなかったからせめてもって。是非、是非、ご賞味を! チャットの分もね」
「かたじけない……」
「ありがと」
盆を片手に戻って来たラパンは、テーブルの上に陶器の真っ白なカップ三つとポット、焼き菓子を並べて行く。今回のちょっとした報酬らしい。ランディとチャットの前に穏やかな香りを纏った熱い紅茶が給仕されると、茶会が始まった。
「それと、少しの間、仕事抜けて御持て成しなさいって言って貰えたから同席をお許し下さいなんだな。因みにランディさん、時間は大丈夫?」
「須く、気づかい頂いてご両親に申し訳ない。後でお礼を言いに行くよ。俺の予定は、大丈夫。レザンさんからある程度、時間の猶予を貰って居るからね」
「では、気兼ねなくお話しできるんだも」
「俺は、君が息災な様子を見られたからほぼ、満足しているのだけど。どうだい、あれから何か変わった事は? 問題無さそうかい?」
「特にないんだな。暫くの間、彼らは、来られないんだも。勿論、来ても次は、僕一人で追い返してやるんだな。もう、引けを取らないん」
「そうだ、その意気だ。君は、強いんだから」
威勢の良いラパンを見てランディは、微笑む。此度の出来事において一皮剥けて自分が思った以上に頼もしく成長してくれたのだからランディにとってこれ以上に嬉しい事はない。あれだけ思い悩み、答を出すのに考えあぐねて産みの苦しみの如き、苦労したのだから感動も一入だ。
「僕からも気になる事があってランディさんに質問したい事があったんだ」
「この際だから何でも聞いて。答えられる範囲なら答える」
そんな感慨に人知れず浸るランディへラパンから不意に質問が飛び、ランディは一度、姿勢を正す。折角の質問を無碍にするつもりは、ランディになかった。
「今もそうだけど、僕はどうしてあれだけ反撃が出来たんだろうって。あの少ない日数で僕が抵抗出来るまで成長していたとは、思えないんだも。あの訓練に何か、秘密があったのかなって思ったのだけど……」