第伍章 誰が為の闘争 2P
店内に入るなり、切羽詰った様子でラパンに詰め寄るフルール。只ならぬ雰囲気にラパンは、気圧されつつも落ち着いて少し時間が欲しい事を伝え、裏口で待って貰うと、手早く手筈を整えて裏口へ向かう。どうやら穏やかではない話で衆目の中で話すには、向かないと著感が働いたのだ。裏口では、扉の前でフルールが右往左往を繰り返していた。
「お待たせしたんだな。何があったんだも?」
「昨日……チャットが会いに来たでしょ?」
「確かに来てくれたんだも……それがどうしたんだな?」
「此処から家に戻る途中でアイツらに絡まれたの」
「なんだって! それでチャットは―― 無事なんだな?」
「幸い、大した怪我は、無かったけど。手酷くやられたの」
ラパンの見当は見事に当たっていた。只、それは思った以上に状況が切迫しており、しかも芳しくない例の三人組がチャットへ手を出したと言う内容。動揺と罪悪感が鬩ぎ合い、そして胸に燻る熱い何かがラパンの心中で鎌首を擡げる。聞くに堪えない胸糞の悪い話だ。
自然と両手が真っ白になるくらい、力強く握り結ぶラパン。
「捕まった時にポケットからお財布が落ちてアイツらに取られたの。御使い用に貰ってたお金と一緒に。それで返して欲しいなら明日の夕方、取りに来いって」
「それは、酷いんだな……」
「簡単に返してくれるなら良いんだけど。飲みに付き合えって要求してきたらしいわ。あわよくば、どっかに連れ込もうだなんて考えていると思う」
「……」
恐れていた以上の出来事でラパンは、黙り込んでしまう。最早、この問題は、自分だけのものではなくなってしまった。自分だけが被る被害なら未だしも本来ならば、無関係な人を巻き込んでしまった。そして無力な自分を呪うラパン。
女の子に守られた揚句にその子へ取り返しのつかない恩を仇で返す様な真似をしてしまったのだ。されど、今の自分には、この状況をひっくり返すだけの力がない事を自覚しているが上に手も足も出ない。
「無理にとは、言わないわ。この前も危ない事は、止めて何て言った手前、虫が良い話と思われても構わない。だけど―― ラパン。貴方の助けが……必要で来たの」
「理由は重々、承知したんだも。だけど、僕……何も出来ないんだな。フルール姉も聞いているでしょ……? 情けなく、ボコボコにやられた話。僕が行っても足手まといなんだな」
「勿論―― それは、承知の上で来たの。怖いのも……分かるし。暴力を振るうのも……振るわれるのも嫌いって事も分かってる。でも貴方は、数少ない頼れる人なの。力とか、喧嘩が強いとかじゃなくて正義感があるからお願いしに来たの」
頭を垂れて正直に申し訳ないと謝りつつ、自分には何も出来ない事をフルールへ伝えるラパン。勿論、事の顛末を理解しているフルールは、尚も食い下がる。承知の上でそれでも立ち向かって欲しいと考えて赴いているのだから簡単にはいそうですかと、帰るわけには行かなかったのだ。意気地がないラパンに憤りを感じつつも朱色の唇の噛みつつ、努めて穏やかに説得を続けるフルール。
「ランディさんにお願いして貰った方が……まだ、建設的なんだな。助けたいのは……山々だけど、何を言っても結果が全てなんだな」
「ランディにも話は、するけど! でも、貴方とチャットが標的にされているのよ? 当人が反旗を翻さなければ、またやられるのよ。それこそ、姑息な奴らだからランディの目を盗んでやってくるに違いないわ。だから態度をきちんと示さないと」
必死の説得にも関わらず、ラパンは尻込みをして一向に首を縦に振ろうとしない。
「どんなに言われたって無理なものは、無理。僕は、チャンスを不意にしたんだな」
「……ラパン、チャットが被害を受けたのよ? 言いたくないけど、この前の事がなければ、チャットが狙われる事は、なかった。責任の一端は、貴方にもあるのよ。申し訳ないと、思わないの? 身を挺して守ってくれたあの子に恩返ししようと思わない?」
「……」
「もう、良い。貴方の意思は、理解した。もっと、信念のある子だと思っていたけど……買被っていたみたい。見損なったわ、安心して。もう、お願いしないから」
どんなに会話を交わそうとも平行線を辿るばかり。フルールが発破をかけてもそれは、変わらなかった。最後には、黙り込んでしまうラパンを見てこのままでは、埒が明かないとフルールは、諦めて捨て台詞を吐き、踵を返して去ってしまった。
半べそを掻き、フルールの後ろ姿を見送る事しか出来なかったラパン。そのまま、壁に凭れ掛かると、しゃがみ込んでしまう。本当は、自分に出来る事があれば、幾らでもするつもりだった。だが、積み重なった心的外傷が疼き、今回も前へ踏み出す事が出来なかったのだ。ましてや、自分が行った所で足手まといにしかならないと、思い込んでいるので尚更だ。そんな二進も三進も行かない状況の最中、ふと頭上から声が降って来た。
「どうするんだい? ラパン」
「母さん……聞いてた?」
ラパンに声を掛けてくれたのは、母カナ―ル。顔を上げると、口元に皺を寄せ乍ら微笑む母親が扉を開けていたのだ。ラパンが恐る恐る尋ねると、カナ―ルは、頷いた。
「当たり前だろ、血相変えてフルールが来る事ないからね。あんたの気持ちも分かるけど、男には、頭で結果を考えるよりも行動して結果を受け止める事が必要な時もある」
「分かっているんだな……」
「チャットのピンチなんだろ? ならやる事は、一つ。当たって砕けておいで。その後は、私らが責任取ってやるから」
母親の言葉は、心の奥底を照らし、ラパンに勇気を漲らせた。理由は、分からないがいつもどんな時もラパンは、そうだった。幼少期の思い出で自分が悲しい想いをした時には、いつも母親の笑顔があり、力を貰って居た。今もそれは、変わらなかった。
「大丈夫、ラパン。あんたなら成し遂げられる。胸を張ってしばいておいで」
「僕に……出来ると思う?」
「少なくとも私は、やり遂げると信じてる」
「ありがとう、母さん。やってみるよ」
カナ―ルの細長い手で頭を軽く叩かれながら励まされ、立ち上がるラパン。
気付けば、怖いと思っていた物は、とってもちっぽけに感じる様になっていた。
「でも、本当に自信がないんだな。母さんは、どうしたら成功すると思う?」
「少なくともあんたを軟に育てた覚えはない。父さんより、重い物も持てて泥濘に嵌った馬車も一人で押して動かせたり出来るんだ。それにあんたには、何よりも滅茶苦茶強い規格外の男がお師匠さんになってくれてるんだ。その人が教えてくれた事を上手に使いなさい」
細い腰に手を当てて真剣な表情で的確な助言をくれるカナ―ル。その言葉の一つ一つに自信が漲っていた。だからこそ、カナ―ルの言葉を信じてみようと素直に思えたラパン。
「……頑張ってみる」
「それでこそ、男の子だ。それにしてもフルールは、人を焚き付けるのが下手だね。もうちょっと、説得の仕方があるだろうに」
冗談めかしにフルールを引き合いに出してラパンへ肩の力を抜くように言い聞かせるカナ―ル。気負ってしまうと、ラパンが動けなくなると知っているからだ。
「チャットの事を思っての事だから仕方がないんだな。僕も言い訳して尻込みしてばかりだから情けなかったん。その上、煮え切らない態度で踏ん切りつかなかったから申し訳ない」
「恐怖は、誰にも持っている生存本能が掣肘する機能さ。大切な物だよ。ただ、その機能を飼い慣らす必要があるってだけ。時には、無視して虎穴に入って虎児を得る必要があるんだよ。そして飼い慣らすには、危ない橋を渡って何処までなら問題ないかさじ加減を知る必要がある。何事も経験ってわけ。理解したかい?」