第肆章 決断の時 5P
ラパンは、否定して頑として首を縦に振らない。それどころか、段々と怒りの感情が見え隠れし始めている。ベッドのブランケットを握りしめて拒絶の姿勢を崩さない。
恐らく、これ以上、話しても平行線を辿るしかないのは、目に見えていたけれども最早、引き際も疾うに過ぎた。道は、一つだけ。
「理由は、一先ず置いといても独りでやるくらいならランディさんに頼った方が良い。今のラパンは、独りで出来る程、基礎を積み重ねていないわ。あの人たちに抗うつもりならもっと教えて貰う事がいっぱいある」
「僕も自分一人で出来るなんて思っていない。でも……やらないと。後には、引けない」
「私も理解したわ。何かしら行動を起こさないと、何時まで経ってもあの三人組は、追って来る。考えが甘かった事、認める。御免なさい。貴方の頑張りは、無駄じゃないから……だからもう一度、ランディさんに――」
「今更……言われたって! 僕、どうしたら良いか分かんない!」
遂に我慢の限界を超えたラパンは、チャットの話を大声で遮った。ベッドから立ち上がると忙しなく、部屋の中をうろうろするラパン。
「どんなに教わったって実践出来なかった。あの時、身体は動けたんだも。でも心がすくんで一歩も動けなかったん。それが事実なんだな……ランディさんの心意義も理解したつもりだった。どんなに辛くても考え方を変えてやれば、上手く行くものだと思ってた。でもそれは、違った。握った拳のみで決着がつくとは到底、考えられなかった。際限ない争いばかりが頭に過ぎって展望を見いだせなかったから足が竦んだ。僕は、僕に負けたんだよ!」
「……」
人目もはばからず、涙を流しながら嘆くラパンにチャットは、思わず黙り込んでしまう。
ラパンは、自室の机に縋り付いてさめざめと泣き続ける。最早、かける言葉が見つからなからないチャット。そっと、椅子から立ち上がり、ラパンを支えようとしたのだが。
「もう、放っておいて……欲しいんだな。改めて僕は、自分が臆病者だと理解したんだも」
「そう……分かった。私からは何も言う事がない。好きにしたら良いわ」
拒絶されて歩みを止めるチャット。瞳を潤ませて静かに震えながら言えた言葉は、これが精一杯だった。そのまま、足早に扉へ真っすぐ歩いて行き、部屋を出て行ってしまう。
「意気地なしっ!」
顔を髪に隠して悔しさを押し殺した声でチャットは、人知れず、呟く。
ラパンの両親へ挨拶もそぞろに使いも忘れて家への帰路に着くチャット。店を出たチャットは、雨傘をさして濡れた通りを歩いて行く。雨音に紛れて時折、すんすんと鼻を啜る音が傘の下から漏れる。今となっては、何が正しかったさえも分からない。
ただ一つ、言える事があるとすれば誰にも正しさがあり、その正しさに殉じていただけ。
それぞれのたった一つの願いや祈りでさえも儚い存在であり、それが潰える時こそ、この上ない苦しみと変わる。そんな悲しみに包まれたチャットへ更に追い打ちを掛ける出来事が起きる。それは。
「やっと、見つけた。かなり探したよ」
「……私には、用事がない」
こんな時に一番、会いたくない客人であった。例の三人組との鉢合わせだ。チャットも寸前まで舌を向いていたので分からなかったが、相手は、容姿で直ぐに分かったらしい。気付けば、いつの間にか囲まれて腕を軽く掴まれていた。いつもならば、こんあ油断を許すチャットではなかったが、今回ばかりは、考え事で頭が一杯だったので気付けず。先手を取られて動揺を隠せないチャットに対して怪しく笑いながら引き止める三人組。
「そんなツレない反応しないでよ」
「この前のアレ、シビレたよ! 颯爽と出て来て俺たちを追っ払ちゃうんだもん。流石だわ」
「あれだけやられたのは、初めてだよ」
「そう、それは良かった。話したい事は、それだけ? なら、私はお暇するわ。仲良く三人で乳繰り合って頂戴」
此処で相手をしても良い方向には、向かわないだろう。チャットは、そう考えて強引に手を振り解き、足早に立ち去ろうとしたのだが、更に三人の内の一人が乱暴にチャットの華奢な褐色の肩を掴んで引き止める。簡単に逃がして貰う訳には、行かない様だ。
「痛っ! やめて頂戴」
「まあ、待ってくれよ! あの時のお礼がしたかったんだよ。散々、コケにしてくれたお礼をな! このクソ尼。俺たち、女だからって容赦しねーぞ?」
「立場ってモノを分からせてやろうと、来てやったんだ。ゆっくりして行けよ!」
「離して……さもないとまた、人を呼ぶわ」
小さな悲鳴に近い声を上げると、力を緩めて来たので振り払って掴まれた箇所を抑えるチャット。三人してじりじりと壁に追い遣って来るのでチャットも後退するしかない。あっという間に追い詰められてしまうチャット。
「おおー、きゃんきゃん喚くな。どーちまちた? 僕たちが怖いのかなー?」
「そうだよなー、怖いのに何で喧嘩売ったんだろうな。本当に馬鹿だよ、お前」
「私は、貴方たちに喧嘩を売ってない。道端の石ころに……気躓いたからって怒ったって仕方がないでしょ? 貴方たちのカン違いよ。勿論、何か気分を害したと言うならば謝るわ」
「その態度が気に入らねーって言ってんだろうが!」
努めて強気に皮肉を言って権勢をするも如何やら相手は、言葉でチャットを言い包めるつもりはなかった。三人の中で一番背の高い者が、不意に突き飛ばして来て家屋へ派手に激突するチャット。傘は、手元から飛んで背中を打った痛みで声が出ない。肩が震えるのを止められず、瞳には、恐怖の色が見えるもそれを隠して努めて平静を装う。
「この馬鹿女、どうしてやろうか?」
「これだけ脅かしても全然、効果ないしなー」
「あんまり、やり過ぎんなよ? 下手したらこの町、出入り禁止になるからな?」
報復の方法を検討し始めた三人。流石にチャットへ派手な事をすれば、問題になる事は、理解していたのか、それとも単に度胸がないのか、踏み留まる。
「本当は、ひん剥いて辱めてやろうかなーって思ったりもしたけど」
「そりゃあ、駄目だ。一発で終わり」
不穏な会話にチャットは、何も出来ない自分が不甲斐なく思った。当然の事ながらひと悶着起こせば、自分が対象となる事も分かっていたのだ。これから自分にどんな不幸が降り掛かるか、考えたくもなかった。チャットは、目尻に涙を滲ませて三人を睨みつける。
「このまま、単に殴ったり、蹴ったりしても面白くないし……」
「俺は、特に案がない」
「どうしたもんかなー」
処遇をどうすべきか、三人組が考えあぐねている間。チャットは、そろそろと立ち上がり、壁伝いに再度、逃げようとするも。
「おっと、逃げて貰っちゃ困る!」
腕を掴まれて派手に頬へ平手打ちを食らうチャット。一瞬で赤く腫れ上がる頬をおさえ、今度は、足に震えが回って来た。両腕を二人に掴まれて最早、これまでと目を瞑るチャット。
「大人しくしていれば、良いものを―― おい、それなんだ?」
そんな彼女を尻目に三人組は、地面に落ちている物へ目を止める。落ちていたのは、財布だった。
チャットのポケットから落ちたものだ。声に反応して目を開けるなり、はっとするチャット。中には、使いで預かっている金が入っていたのだ。自分の身に危険が及ぶと同様にこの金も少なくない金額を預かっていたので取られる訳には、行かなかった。
「これは、お前のか?」「……」
「何でも良いよ。取り敢えず、中身確認してみ?」
三人組の内の一人からの問いにチャットは、無言を貫き通す。開け無い様に祈るもその願いは、通る訳がなく、口を開けて中を覗き込む三人組。
「金、入ってんじゃん!」
「……」
「ラッキー! じゃあ、これを頂くってのでチャラにしてやるよ」
「……返して!」
「やっぱり、お前のだよな? どうしようかなー」
「返してやっても良いけど、何か見返りがな――」
「何が欲しいの?」
浮つく三人組に対してチャットは、唇を噛んで悔しがる。そして間髪入れずに返すよう、要求するも聞き入れられる事はない。条件を出せれてチャットは、飲むしかないと問い質す。
「分かった。明後日、夕暮れ時に町の外れの小屋まで来いよ! 道具置き場か、何かで使っている所があるだろ? 来たら場合によっちゃあ返してやる」
「条件は……何?」
「ちょっと、俺たちの飲みに付き合えよ。そんでもって楽しませてくれたらだな」
「ただ、お前が酔い潰れたらどうなるかは、分からんけどね」
「本当に屑ね―― あんたたち!」
「何とでも言えよ。そんな難しい事を押し付けてねえだろ? 寧ろ、簡単だわな」
眉間に皺を寄せてあまりにも下心が見えすいた要求に軽蔑と共に嫌悪感を露わにするチャット。あたかもチャンスを与えるように見せかけて酒で酩酊させた上で楽しもうと考えた訳だ。その状態ならば、如何様にでも言い訳が立つと考えたのだろう。また、金を行く屁も白を切るつもりのようだ。浅はかな考えに腹が立つチャット。只、簡単に嫌とも言えない状況に戸惑うばかり。
「じゃあ、楽しみにしてっから!」
「よろしくー」
報復の方法が決まり、簡単にチャットを開放する三人組。逃げるに逃げれない状況な上に逃げても金が手に入るのだから。
「どうしよう……」
三人組が居なくなるなり、へたり込んで地面に手をつくチャット。雨に打たれてずぶ濡れになりながらしくしくと泣く姿を知るのは、歌う町だけだった。