第傪章 特訓、特訓、特訓 10P
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「今日も良い天気なんだな。配達、頑張るんだも」
この日の出来事をランディが聞いたのは、二、三日経ってからだった。いつもと変わらず、午後の仕事で愛用の使い古した背嚢を背負い、ラパンが町の中央通りに向かう所で騒動が。
「あんまり、配達はないし……寄り道せず、さっさと帰るんだな」
折角の外出だが、天気は曇。今にも空が泣き出しそうな空模様で心なしか空気も重い。
相も変わらず、言いつけ通りに渋々ではあるものの、不必要な外出や寄り道を避けていたが、空を見上げるなり、素直に今日のラパンは、家に帰りたいと思った。
「段々、温かくなって来たから人が増えたんだな。賑やかで楽しいんだも」
辺りをきょろきょろと眺めつつ、がやがやと騒がしい大通りを役場側へ歩いて行くラパン。幾人もの行商が馬車に乗り、土埃をたてながら操り、大通りの真ん中を進む。町民や近隣の町村から大きな背嚢を背負って商品を売りに来ている者は、端で軽く列をなして目的地へ向かう。
店の前では、久々の再会に喜び合う者達、近隣の情報交換に勤しむ者、売買の契約で揉める様等、何かと騒がしい様子が見受けられる。四の月になってからは、これが日常の光景。冬の閑散とした雰囲気が嘘のように盛り上がりを見せていた。六の月までは、ほぼこのまま。
荷車から様々な商品の香りが漏れ、馬車馬独特の動物臭と、町のあちこちで炉の火が入り、焦げ臭い煙の臭い、異国風の行商から香る独特な香の香り。視覚や聴覚だけでなく、嗅覚でも町が脈打つ様が感じられる。誰もが待ち焦がれた春の到来だ。
「あっちも何だか楽しそうなんだなー。あれ? ルーさんが馬車の人と揉めてる」
辺りを見渡せば、顔馴染も様々な対応に追われて東奔西走している。
これが本来、『chanter』 のあるべき姿だ。
「役場までに二件、届けられるんだも」
頭の中で地図を広げて効率の良いルートを考えるラパン。今日は、合わせて四件。通り沿いの店に特製の蜂蜜漬と果汁。役場には、ちょっとした会合で店を使いたいとブランから要望が来ていたので代金の見積もりと、献立を届けに。後は、露店通りへ調味料を買いに行くだけだった。手早く配達の商品を届けて役場を目指すラパン。
「あら? ラパン、お疲れさま」
「フルール姉、こんにちはなんだも」
そんな道すがら、役場まで少しの所でラパンは、フルールと鉢合わせした。髪を一纏めにして三角巾を被り、前掛けをしたフルールも配達途中のようで篭を重そうに持っている。
「配達と買い出し?」
「そうなんだな。もう、配達は終わって後は、ブランさん宛に手紙を届けるのと、買い出しだけ。それが終わったら天気もご機嫌斜めだからさっさと帰るん」
「それは、ご苦労さま。きちんと言いつけ通りに寄り道せず、帰っている様で安心したわ」
「自分で出来る事は、やり通すんだな。ランディさんのお蔭で頗る順調なんだも」
「再三、言うけど。無理しなくて良いんだからね? ランディの言う事が全てじゃない。違う道は、幾らでもあるから。あたしは、チャットと同じで怪我しないで欲しいって思ってる」
ここ数日、フルールからは毎度の如く、ラパンは、特訓を止めるよう勧められる。フルールからも説明を聞き、途方もない計画な可能性が高く、怪我をする前に。今なら引き返せると、チャットとかわりばんこで説得してくるのだ。勿論、ラパンも二人の言い分を理解した上で続ける意思を示し続けているものの、心が時折、揺れ動いているのは否定できない。
「お気遣いどうもなんだな。でも、今の所は、頑張るんだも」
「貴方の師匠を蔑む言い方をして反感を買うような真似をしたい訳じゃないけど、アイツは、結果だけしか見ていないからその過程でラパンがどうなろうと、知ったこっちゃないの。腕の一本、失ってもラパンが喧嘩に勝てばどうでも良いと思ってるかもしれない」
「それは……言い過ぎなんだも。でも、段々とやる事も多くなって少しずつ背伸びしてやっと届くような課題を出されて大変なんだな。時々、大嫌いな喧嘩をする為に此処までする必要があるか、疑いたくなる時もあるん」
ラパンは、フルールの澄んだ茶色の瞳を真っすぐ見つめて己の内心を包み隠さず、吐き出した。確かにラパンにとってランディは、確かな光明であるが、絶対ではない。疑念を持つ事も一つや二つはある。自分は、この通りにやっていれば、本当に結果が出るのだろうか。そもそも抗う事は、正しいのか。ランディは、本当に自分に対して展望を見出しているか等。
そして視線を曇天に向けながらラパンは、物憂げな表情を浮かべた。
「でしょう? 人に教えるにしても限度があるのよ。人を傷つける事に特化した教え何て志が不安定であればある程、心が折れ易いし、何よりも間違った使い方をしてしまうかも。だから今の内にね! 大丈夫、誰もまた三日坊主かって馬鹿にしたりしないわ。少なくとも……あたしがさせない。今のまま、目立たない様にすれば大丈夫――」
フルールは、前のめりになって微笑みながら言った。
ラパンを懐柔するには、絶好の機会だ。
「確かに虐められない様にするって目標のまま、やっていたら途中で諦めていたかも。もしかしたらフルール姉の言うように間違った事に使ったかもしれないんだな。でも今の僕は、違う。目標が出来たんだな。大きな目標が」
「目標?」
されど、視線をフルールに戻し、ラパンは目尻に皺を寄せてにっこりと大きく笑って答える。先程までとは、打って変わり、そこにいるラパンには、自信が漲っていた。
「そう、目標。この一か月間。ほぼ毎日、ランディさんは僕に付き合ってくれて鍛えてくれたんだも。どんなに泣き言を言っても優しく諭してくれて次の段階に進めるように時には、ちょっと厳しかったりもあったけど、決して見捨てられたりしなかっただな。こんなの初めてだった。でもそれだけじゃなくて心構えや色んな教訓を教えてくれたんな。その一つ一つが今の僕にとって掛け替えのない宝物なん。今の僕はね、何時かランディさんと並び立っても恥ずかしくないくらい強くなりたい」
前にせり出た腹を少し引っ込めてラパンは、胸を張る。精一杯の強がりながらも以前のラパンであれば、絶対にしない仕草だった。その時、またもやフルールは、己の髪を靡かせ、通り過ぎる一陣の風を感じた。目に見えない力が働き、勝手に胸がどうしようもなく、ときめいて心が躍る。
自然と、その流れに身を任せたくなる感覚。そしてその目に見えない力の陰には、見覚えのある人影が必ずと言って良い程にちらりと過ぎる。
「……そう。貴方の気持ちは、分かったわ。その考え方は、間違ってないかも。ただ、何かあったら何時でも言って頂戴」
もどかしさを覚えつつ、フルールは納得せざるを負えない。またもや、小狡いやり方で人知れず、動いているのが、分かる。けれどもランディの考え方や手法を認める事は、到底出来ない。何よりも自分一人で格好つけて物事を進めるのでフルールは、納得したくないのだ。
「感謝、感謝。僕、初めてフルール姉に我儘を言ってしまったんだな。申し訳ないんだも」
「こんなの我儘の内に入んないわ。大丈夫、今の所は、応援してる。ただ、本当に辛くなったりしたら言ってね。あたしがきちんと怒るから」