第貳章 きっかけは、突然に 5P
「そんな楽園なら先住の仲間と良くやってるさ」
もうこの世から旅立ってもっと遠くの楽園に行き着いているだろううさぎ達に心の中で敬礼をしつつ、ランディは、穏やかな笑顔を繕って答える。
「そうですよね! でもやっぱり、ぺルシとレテュ、のこったコたちの名前ですが、二匹だけだと寂しいでしょうからなかまをふやそうと思って」
「なるほど……ね」
不意に寂しそうな笑顔を浮かべてカールした毛先を指でくるくると弄るヴェール。事の顛末を聞き、複雑な心境になったランディは、これならば多少の危険を冒してでも協力すべきであったかもしれないと後悔の念が過ぎる。良ければ、少し時間を貰って自分一人で罠を仕掛けに行き、後日二人の下へ届けに行くのも吝かではなかったが、自分で苦労して罠を仕掛けて捕まえ、家で育てる事、全ての工程を経たからこそ醍醐味があり、その過程を御膳立てしては、宜しくないと思い止まり、出掛かった提案を飲み込む。
「うさぎの話は、分かった。今度、俺も付き合うから一緒に新しい子を見つけに行こうか」
「ほんとですか? でも、めいわくじゃないですか……」
されど、手助けで同伴し、あれこれ世話を焼く程度ならば、問題ない。あくまでも主体性は、彼女たちであってランディの役割は、選択肢を広げる道具でしかないのだから。ただし、ヴェールは、頑なに遠慮をする。別日にまで都合を付けてまで来て貰う事を想定していなかったからだ。
「こう言うときは、ぜひともお願いしますだって。私は、これ以上にないボディーガードだからあんしんだし」
気づかいよりもその場の合理性を重視するルージュがそっと、ヴェールの背中を押す。
「そうそう、きにしないで。俺は、行きたいから行くんだ」
「でっ……では! ランディさん、予定を教えてください! 私たちが合わせますから。おしごともあるから―― 早い方が良いですよね? 頑張って早起きするので宜しくおねがいします!」
前掛けの前で手をもじもじとさせながら上目遣い気味に恐る恐る問いかけるヴェール。そのいじらしい様にランディは思わず、微笑みつつ答える。
「朝だったら助かるなー。特別、仕事がある訳じゃないから先に言って貰えれば問題ないよ」
「わっ、わかりました!」
ぱっと、頬に緋色が差し、笑みが広がるヴェール。その後、直ぐに前を向くと、独りでに予定を立て始めた。
「ごめんね。それで話は、変わるけれども予定が変更になって何処へ向かう心算かな?」
これ以上、この話を掘り下げても本来の目的である二人の御付きとしての役名を果たせそうにないので話をやんわりと変えた。
「一先ず、これからご飯を食べようと考えてます」
「おとーさんからランディさんがご飯食べていないだろうからって」
「私たちも少しお腹を空かせていますからお店に是非、ご一緒に」
「気をつかって貰って申し訳ない……確かに朝を食べていないから何か摘まめればとか、考えてたけど。まさか、ブランさんにそこまで見透かされていたとは」
思った以上に自分の事を見透かされてランディは、驚きを隠せない。いや、正確には町の住人として溶け込み、さも昔から居た町民の如く、他者に己の状況が窺い知られる事に驚いた。実際の所、自分が此処まで上手く、溶け込める等、想像していなかったのだ。
本音を言えば、素直に嬉しいけれども引っかかりが残る。何か、自分の与り知らぬ、少し頭上で誰かのやり取りがあるような気がして仕方がない。同時に誰かの背中が見え隠れしてその背を自分が知らぬ間に追っている複雑な状況に陥った気がしてならないのだ。何時か、ランディが知らねばならない事があるのだろう。誰に強制されるでもなく、犇々と感じる程に。
「レザンさんからこっひどくくしぼられて少し寝るのがやっとだろうね。だってさー」
「なので、きょうは私たちが好きなお店におつれしても良いですか?」
「是非、お願いしたい。何だかんだ言ってフルールやルーにも色々、紹介して貰っては、居るけれどもまだまだ、少ししか知らないんだ」
折角の厚意だ、連れて行かれるのも吝かではない。
「はい、はいー。それでは、『réfectoire』へごあんないー」
「です」
ゆっくりと林道の先に町の景色が垣間見える。双子は、はしゃぎながら小走りで残りの道のりを消化して行く。その後も町中では二、三日常会話を繰り広げつつ、二人の紹介したがっている店まで歩いて向かった。ランディが案内されたのは、北東側。レザン宅近くの閑散とした小道通りの一角。
主に工芸や絵画、機織り、靴、工具等の作成を担う工房が多い地区だ。ランディも散歩がてらふらつく事がある。されど、令嬢お勧めの食堂があるとは、思いもよらぬ位の立地であった。さては、町の有力者御用達の隠れ家の様な店かと思えば、着いてみるとランディは、少し驚いた。
『réfectoire』と呼ばれていた店は、ツタの絡まる石組みの家屋に真っ赤な日除け、大きな窓が一つあり、そこから少しだけ薄暗い店内が見える。兎がナイフとフォークを持った浮彫があしらわれた看板が掛かった小奇麗な外観の店で既に二、三組程の並びがある。こんな店があったのかとランディが感心している最中。
「今日は、空いている方だね」
「そうだね、父さんによやくして貰わなくても大丈夫かなってしんぱいだったけど、これなら直ぐに入れそう」
ランディは、はしゃぐ双子を見て店の評判が中々のものである事を再確認する。一見、何処の町村に一軒は、ありそうな外観。俄然、興味が沸いてくるのも無理はない。
「普段は、行列が出来る程の人気なのかい?」
「春先から人が外から来ると、だんだんね」
「ここに来る時は、いつもとーさんにお約束をしてもらってますが、今日はもしかすると、予定のへんこうがあるかもしれないのでお願いしてなかったです」
「そうだね、俺のお腹が減っていればって前提があるから難しいよね」
浮き足立つ二人の話を聞き、期待が膨らむランディ。微かに漂う店内の芳香に鼻を擽られつつ、先に並び始めた双子に習って列の最後部に着くランディ。
「もし行かなければ、しつれいだし。だめだったらだめでと思って」
「その方が良かったよ。それにしても中々、頃合いが良かったみたいだ」
「そうですね。今日は、こううんです」
店には、程なくして入る事が出来た。控えめな音のドアチャイムを鳴らしながら木製の扉を開けると店内は、ありふれた内装。四人掛けの席が壁際を中心に四倬程、奥にカウンター席が八席。同じく奥側に暖炉が設置されており、既に火が入った状態で比較的、暖かい。
壁には、燈火の淡い光に照らされる幾つか風景画。薪の燃える薫りと厨房から料理の香りが立ち込める中で席は、ほぼ埋まっていて空いているのは、カウンターのみ。戸口で待つのも邪魔だろうと所々、軋む木製の床板を歩き、奥へと進む三人。そして奥のカウンターから来客に気付いた店員と思しい女性が三人に声を掛けて来た。
「あらっ、『réfectoire』にようこそ。 ルジュにベル、予約なしに珍しいね? 今日は、ブランの坊やから聞いてなかった筈だけど」
「こんにちは、カナ―ルさん。今日は、おしのびです」
「よていがきまってなかったからおとーさんにお願いしてないの」
腰に手を当てながら声高々で快活に双子と話す熟年の女性。背格好は、ランディよりも少し低い位で少々、心配なくらいに痩せぎすだった。髪は、艶のあるこげ茶色でベリーショート。切れ目に筋の通った鼻、少しほうれい線の入った口元と薄紅色の小さな口。
そこはかとなく、儚げな印象を人に与えつつも竹を割ったような雰囲気で女性受けしそうと言えば、良いだろうか。黒の前掛けと細身のスラックスに革靴。ワイシャツにセーターを着た出で立ちは、恐らく見方によっては、三十代の華奢な男性と言われても通じそうだ。