第貳章 きっかけは、突然に 2P
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「さて。本日、ランディ君にいらっしゃって頂いたのは他でもない。我が主からの命により、昨日の件での懲罰を受けて頂く為です」
「はい……存じております」
「中々に心温まるお話を私も耳にしておりますが多少、御ふざけが過ぎましたね」
「はい……猛省しております」
昨日は、長い事情聴取を終えてからも更にレザンの説教を食らい、気が付けば日を跨ぎ、明け方まで起き続ける羽目になったランディ。臨時の休業を言い渡され、自室に謹慎と言う体で睡眠時間を与えられる予定だったが、その安寧もつかの間の話。やっとの事で寝台に倒れ込むもいきなり、ブラン邸から使いのセリユーが迎えに来てあっという間に連れられて今に至る。軽く舟を漕ぎ、眠い目を一擦りしながらセリユーと応接間で話をしている最中だ。
身嗜みも整える間もなく、縒れたシャツと年季の入ったボトムスを纏うランディの眼前には、いつも通り完璧に黒の燕尾服を着こなし、優雅に寝椅子へ座するセリユーがいる。
「その様子からもう私自身、罰は要らないと思うのですが、私も必ず遂行させるよう言い付かっております。心苦しい限りですが、頑張って頂きたいです」
睡魔の誘惑に負けそうなランディの様子を見て苦笑いを浮かべるセリユー。
勿論、ランディとて以前は、軍に席を置いていた身だ。夜通しの行軍は、経験済み。ましてや、真冬にこの町へ寝る間も惜しんで訪れるだけの体力はあったのだから多少の体調不良はあってもまだ、踏ん張りは利く。更に言えば、レザンだけは、店を閉める訳には行かぬと一人で仕事に勤しんでいるので心苦しかったからこそ、丁度良かったのだ。
「いえ、その同情の言葉を貰うだけで救われました。それで懲罰とは……?」
「まあ、そこまで肩肘を張らずとも大した罰ではないのでご安心を。やって頂きたいのは当家の息女、ルージュ様とヴェール様の御相手をして頂きたいだけです」
「はい……へぇ?」
何とか目を覚まそうと、出された湯気の立つ熱い珈琲に手を出すランディ。少しずつ口を付ける最中、処罰の内容で思わぬ肩透かしを食らう。
「聞けば簡単な罰の様に思えますが、かなり大変ですよ? 何分、お二人とも多忙な物でして相当に振り回されるかと」
「普段からフルールに振り回されていますから慣れっこと言えば、慣れっこなのですが……寧ろ、セリユーさんからの助言を踏まえた上でそれだけで宜しいのかと、不安ですね」
「それは、心強い。はっきり言って私も常日頃から執務の一環として携わっているもので特に苦ではないのですが。ブラン様は何分、机仕事が多いので有り余る体力を発散したいお二人の相手をすると直ぐに根を上げられます。ブラン様にとっては、それなりの処罰のつもりだったのでしょう。恐らく、ランディ君からも何となく、私と同じ匂いがしたので問題なかろうと、敢えて黙っていましたが」
補足の説明を聞きつつもランディは、考えに耽る。はてさてこれは、本当にこの内容で自分の禊になるかどうか、疑問ではある。何しろ、相方のルーは、もっと自分よりもきつい処罰を与えられていたからだ。内心では、自分が事の発端である為、申し訳なくて仕方がない。
「心づかい、痛み入ります。失礼ですがその慧眼は、恐らく間違っていないかと」
「お互いに中々、苦労しますね」
「おっしゃる通りです。でも……そうなるとルーが不憫で仕方がない。俺は、ブランさんがレザンさんから半ば、無理矢理に自分から罰を与えるからと言って気を揉んで貰ったのですがルーに関しては、オウルさんが頑として受け付けずに役所に保管してある楯やら像の清掃を罰としてやらされているので可哀想です」
まるで、寄宿学校にて生徒が受けるような処罰を申し渡されたルーに対して罪悪感しかないランディは、心の内に秘めた憂いを吐露する。
「彼は、彼で意外にも綺麗好きなのでそれ位の罰なら喜んでやるでしょう。寧ろ、書類仕事の方が嫌いと豪語する位ですから。温情も含めての采配に見られます」
珈琲を片手にすました顔でセリユーは、ランディへ気をつかった。寧ろ、ルーもランディの処罰の内容を聞けば、御転婆な二人に振り回される羽目になって可哀想にと憐れんでいるに違いない。セリユーが言うようにそれぞれに対してあまり過剰な罰にならぬ温情が掛けられていた。流石に悪戯とは言え、人助けも同時に行っているのであれば、誰しも盛大に叱る事が出来なかった。
「ならば、安心です。では、早速ですが二人はどちらに?」
「お二人ならば、自室で自主学習中です。ランディ君が来るからそれまでに勉強を終わらせなさいとブラ
ン様からの御託を聞くなり、大喜びです。すっ飛んで行きましたからね。楽しみにして居られるご様子ですよ」
「良かった。少し前まで嫌われていたので挨拶は、交わすも外出に同行するまでの仲ではないかなと。ちょっと心配だったのですが、杞憂でしたね」
「少なくとも貴方は、二人にとって窮地を救ってくれた英雄ですよ? 私が言うのも可笑しな話ですが、以前の出来事は、無かったかのようにきちんと普段から相手をして下さっているのならば、尚更です。これは、内密にして頂きたいのですが、お二人は、ランディ君とちょっとでも何かしらの出来事があれば、直ぐに夕食の席でブラン様に報告される程、気に入られています。自信を持って下さい。私が保障しますよ。では、ご案内しますね」
「……ありがとうございます! 早速、案内をお願いします」
「ふふっ。はい、では参りましょう」
セリユーの適切な誘いに心の雲もすっかり晴れて疲労の浮かぶ顔に笑顔をうっすら見せるランディは、残った珈琲を飲み干し、すっくと立ち上がるとセリユーを促した。剽軽なランディの変わり様にセリユーは、思わず小さく上品に笑いを漏らす。自然と会話の中で憂いを取り払って人のやる気を引き出す事は、至難の業だ。流石、有力者の右腕として家を任されているだけの事はある。
逆を言えば、乗せられやすいランディに対して将来の不安を覚えるもそれはそれで置いておくべきか。そしてセリユーは立ち上がると、直ぐにランディを二人の部屋まで誘導した。一階の応接間を出た二人は、踊場から二階に上がり、邸宅の右側へ向かい、階段から三番目の部屋へ。そしてこげ茶色の扉の前でセリユーは、一息入れた後に優しくノックをする。
「ルージュ様、ヴェール様。ランディ君が到着しました。準備の程は、如何ですか?」
幾ら年端も行かぬ生娘とは言え、後少しで思春期に差し掛かる年頃。いきなり、部屋に入れば癇癪を起す難しい時期だ。ある程度の淑女扱いをしなければなるまい。セリユーが声を掛けた後に忙しない音が聞えた。そして焦りの見える声色で返事が「はーい」と二つ。
「セリユーさん! 直ぐに準備出来ますから!」
「ちょっと、待って貰ってて!」
ランディが居る事を想定していない様子の二人は、準備に追われて賑やかな音を奏でつつ、答える。扉の前でランディへ振り返り、爽やかに苦笑いを浮かべ、理解を求めるセリユー。ランディは、静かに頷いて二人を待つ。