第壹章 自警団会活動記録〇一 21P
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「はっ! 僕は、何をしていたんだ?」
「あっ、気が付いた? 急に大人しくなったと思ったら放心していたから取り敢えず、横にしてあげたんだ。横になっている内、本当にいつの間にか寝てしまったんじゃない?」
どうやら一通り回想に耽っている間、ルーは眠りこけていた。寧ろ、精神的疲労や肉体的疲労に合わせて酒も入っていたからか、寝落ちしてしまったのだろう。
ルーが上体を起こして周りを見渡す。情景は、先ほどとさして変わらず。ランディは、こそこそと灰色にくすんだ煉瓦の壁と格闘中なのが見える。
「どの位の間、僕は寝ていたんだい?」
「正味、ひと時くらいじゃないかな。正確な時間は俺にも分からないや」
「それで―― その間に君は……」
意識が無くなる前にランディが取り組んでいた事を思い出すルー。
ほぼ、この場を逃れる方法としては、度外視しても良い些末な事だがルーは、聞いてみた。
「結構、進んだよ。見てくれたまえ! 煉瓦を四つ、丁寧に外して穴を掘り始めていたのだけど、取り敢えず、腕が入るぐらいにはなった! これから穴を広げて人が通り抜けられる様にする予定だよ」
顔と手が泥だらけのランディは、手を腰に当てて胸を張って答える。
確かにランディの後ろには、腕が軽々と入る横穴が見えた。
「君の行動力には目を見張るものがあるよ……まさか、本当に実行するとは。末恐ろしいね、探求心と好奇心が成せる業って」
「それは褒め言葉として受け取っても良いのかな? いや、照れるなー」
ルーは、自身の放った皮肉めいた言葉も意に介さず、素直に褒め言葉として受け止めるランディの図太さへ思わず感心してしまう。笑いながら汚れる事も忘れ、指で鼻の下を擦り、土を付けるその様は、間抜けだが今だけは、展望を見出せた事でルーにとって何故か、その姿に後光が差して見えた。
「それにしても体が軽い……気分も良くなった。さっきの僕は肉体的にも精神的にも相当に疲れていたのだろう。不安に駆られて思い悩んで居たのが嘘のようだよ」
「うん。終始、暗い顔で鉄格子の前を行ったり、来たりしてばかりだったから。かなり追い詰められて居た事だろうね」
ひと眠りした事で思考が鮮明になり、落ち着きを取り戻したルー。
確かに顔色も先程よりかは、幾分良くなった様に見える。
「でも実際、牢屋の中だから本当はさっきの反応が正しいと俺は思うよ。はっきり言って開き直っただけでしょ?」
「そうとも言う……」
図星を突かれてルーは、意気消沈。ランディには、人を元気づける気が毛頭ないのだ。
「何にせよ、僕が眠りこけていた間、君が作業を黙々と続けられたと言う事は守衛やその他の人間が来た等と言う変化はなかったね?」
「フルールが来ただけ。後は誰も来てないよ?」
「そうかい。因みに完成は後、どのくらいかな?」
「いや、かなり時間が掛かるよ? 俺だって一日中、掘り続けられる体力はないし。実現可能な日数は、五日から七日位、貰った方が良いね。解放される最短の方法は、正直に話して真実を立証した方が早いと思う」
これまでの熱弁を土台からひっくり返すランディに口を大きく開けてルーは、唖然とする。逆に此処まで手のひら返しをされれば、清々しさまで感じる。
おまけにルーがちょっとでも信じかけていた事に対して怪訝な顔をしている始末。
「期待させておいて嫌にそう言う所で真面目な一面を見せるよね、ランディって」
「本当の暇つぶしだし。俺だって脱獄を強行する程に頭が可笑しくないよ」
「はいはい、僕が馬鹿でしたよ。では、大人しく断罪の時を待つとしますか!」
「そう、ヤケを起こさないでくれよ。俺は、俺でちゃんと対策を考えていたからさ」
「ほう、その対策がどの位、役立つかお手並み拝見と行こう」
「まあ、見て居なさいって」
不敵に笑うランディに対して半信半疑にルーは、力なく言って格子に寄り掛かると、目を瞑った。そして役割が回ってきたとばかりに程なくして足音が二人分、近づいて来る。誰であろうと嫌な予感しかしないルーは、青白い顔色に戻って只々、震えるばかり。
来訪者は、二通り想像が出来る。ただ、どちらにせよ八方塞がりな事は、間違いない。
激昂したオウルとレザンに萎縮して只々、頭を下げ続けるか、落胆したブランとセリユーへ申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、頭を下げるかの違いくらいだろう。
そして今回は、後者であった。
「さてさて、二人とも。今日は散々、やらかしてくれたようだね?」
「すみません。ブランさん……」
「君の供述をフルールから託として聞いたよ。こんな牢屋にぶち込む前に聞いておくべきだったね。僕としてもやり過ぎだった、ごめんよ。でも今回は、君たちが一番、悪いんだ。素直に金銭面で困っていた町民への融資を行えば良かったのにまどろっこしく、変な話の尾ひれを付けるからこうなるんだ。全く……資金源は、ローブ夫人から確認が取れたし、うちのヴェールからもハーブをランディに上げたと言うのも聞いた。それに実際、あれがただのハーブだったのも僕や色々な人の前で確認が取れているよ。それとフェール家には出所がきちんとした資金だから安心して使ってとも話してあるから大丈夫」
夜更けに色々な場所へ出向いたのか、少々、疲れ気味の顔で微笑むブランへ意外にもすんなりと自分たちの言い分が通る事にルーは、驚いた。そう、ランディとて馬鹿ではない。きちんとルーが休んでいる間にフルールへ根回しをしていたのだ。その甲斐があって迅速に関係者への事情聴取が行われて今に至る所なのだ。
「お手を煩わせてしまってすみません。後日、関係者の方々にはきちんと謝罪に伺います」
「謝罪行脚、頑張ってくれたまえ。特にローブさんの所ではセリュ―ルくんに気を付けた方が良いかもね。下手したら殺されると思うよ」
「そこは上手く立ち回ります……」
ランディ自身、これと言って大きな失敗をしたつもりではなかったが、ブランの指摘だけは、想定外であった。恐らく、冷徹なあの侍女は、確実にランディとルーの首を狙って来るに違いない。
「何よりも日頃の君の行いと品行方正な態度。そして時々、垣間見える悪戯心を皆が分かっているからこそ、無罪放免になったからね。ある意味、一番に君が謝罪すべきは自分自身だと思うよ。普段の行いが全て、水泡に帰す所だったのだから」
「今、考えれば安易に物事を考え過ぎていたと反省しております。今後は慎重に動きます」
また、己のしでかした事の重大さにランディは、萎縮する。
「で、後は君たちに今日、何があったのかを聞くだけだね」
「もし良ければ、話が長くなるので少なくともルーだけは先に帰宅しても良いですか? 説明は、俺一人だけでも十分に出来るかと」
「君がそう言うと思ってオウルさんへ身元引き受けをお願いして来て貰っているよ。勿論、レザンさんにも来て貰っている所だ」
「助かります」
「でも僕と違って二人とも凄く怒って居るから気を付けて。それじゃあ、此処は寒いから一度、場所を移そうか」
「はい」
あれよ、あれよと言う間に話が進む様を茫然と立ち尽くして見ていたルー。
直ぐにセリユーが鍵を取り出して扉を開き、二人を開放する。
さて、無事に牢屋を出て地下から一階に上がって二人を持つは、呆れながらも怒るに怒れない不思議な顔をしたフルールと、怒りに眉間の皺を寄せて一発、頭に拳骨を入れねば、気が済まないと言う顔をしているも同じく困惑して出るに出られない様子のオウルとレザン。なぜか、一様に集まっている皆が視線を斜め下に向けていた。そこには、涙を精一杯に拭い、押し殺した声で静かに泣き続ける少女の姿が。
散々、ブランに言われたが一番に謝らねばならないのは、彼女かもしれない。涙の拭う手の隙間から二人の姿を見るなり、駈け出すクリュッシュ。こうして実に下らなく、されど誰もがいつもある事だと、忘れがちな一番愛おしくある何気ない日常の一頁が幕を閉じた。