第壹章 自警団会活動記録〇一 18P
「確かに……」
そろり、そろりと近づいて行いてみると何やら鼻を啜る音が聞える。声色から少女である事が二人には分かった。また、近づいてはっきりした事は幻視でも幽霊でもない本当に実在する子供であった事。但し、そうなると相当の訳ありと見て正解であろう。
また、二人が近づいても気付かない事からそれだけ何か大きな思い悩みに耽っているのだろう。更なる混迷を目の前にランディとルーは頭を抱えた。しかしながら簡単に考えるならば、たった少女一人が困っているだけなのだ。逆説的に考えるならば、これから先、町全体が困窮に陥った時、これ以上の試練が待ち構えている。ならば、少女一人さえも救えない二人に何が出来るだろうか。いや、何も出来まい。待ち受ける困難と比較して楽観視をする訳ではないが、真価が問われているこの状況において尻込みをするようであれば、彼らが立てた誓い等、只の塵屑だ。ならば、あってもなくても同じこと。
「そこの君。こんな遅くに出歩くのは危ないよ? 早く家にお帰り」
充分に近付いてからランディが意を決し、努めて穏やかな声で話し掛けた。声を掛けられてから気付いた少女は大きく体を震わせた後、恐る恐る外套の下から少し顔を覗かせる。
「何だ、クリュッシュじゃないかー。さっきはどうも。こんな所で何をしているんだい?」
「るー?」
「そうだよ、ルーだ。こんな夜更けにどうしたんだい。親御さんが心配しているよ?」
隣にしゃがみ込みつつ話し掛けるルー。声を掛けて来た人物が分かると外套のフードを外した少女。篝火の下で現れたのはこげ茶色の髪を一纏めに結い、日焼けをしていない白い肌、薄い雀斑が散った頬、扁桃型の茶色い瞳と細い鼻筋、艶やかな血色の良い口元。見れば、名前は分からないが、昼間の学校に居た子供の一人のようだった。
「あっ! ほんとだ。もうこんなくらくなっちゃってた……どうしよう」
今まで気付かなかったのか、頬に手を当てて困り顔を隠さずに慌て始める。時間も忘れて余程、考え込む事があったのだろうか。その様を見てルーは、少し不思議そうな顔をした。
「珍しいなあー。君のお父さんもお母さんも絶対、こんな時間に君を出歩かせる様な事はしない筈だよ。一体全体、どうやってお家から抜け出して来たんだい?」
「とびらから……あるいて?」
クリュッシュのぽかんと開いた口から出た答えに肩透かしを食らうルー。されど、問い掛けに穴があり、己の言葉の行間を読んで貰って親の目を盗んで外に出る程の出来事がなかったか等と言う問いを子供にしても聞きたい事が聞けないのも当然の話だ。
「そりゃあ、そうだ。でもクリュのご両親が真っ先に気付いて引き止める筈さ。いや、そもそも……僕の質問の方向性に問題があった。本当に聞くべきは、君が思わず、お家から飛び出してしまった事があったのだろう? しかも親御さんもショックを受けて君から目を話してしまう程の事が。それを教えて御覧」
事の真意を突いたルーの言葉に思わず、顔を顰めるクリュッシュ。ルーとの会話ですっかり忘れていたのであろう。急にそわそわし始めたクリュッシュに二人は訝しがる。
「ときどき、るーってほんとにポンコツだよね……ぜったいにひみつよ? じつはね。あたし、いっしゅうかんごにおひっこしするの」
「それは随分と急な話だね。次はどこの町に行くんだい?」
春を控えての心機一転。好意的に引っ越しと言えば、聞こえは良い。けれども如何せん、急過ぎる。ルーでさえも知らない様子。いや。恐らく、誰も町民は知らないと言っても過言ではない。少なくとも挨拶回りや家の片付けで自然と町全体に聞え伝わっており、少女を知らないランディでさえも耳に届いている筈だ。
「あたしだけ、『Marché』に行くの。おとーさんは、『Canal』。おかーさんとばーちゃんは、
『Port』だってー」
「へえー」
しかも家族、ほぼ離散に近い形でならば、何か訳ありに違いない。
声色は変えないものの、内心では心穏やかでない二人。
「あたしはおばさんのうちに。おかーさんとばーちゃんはおおきなまちでつくろいもののおしごとへいくの。おとーさんはおやまであなほりだって」
「うん? 皆、バラバラだ。クリュ、どうやら何か理由があるようだね」
「とんやのおじさんにおとーさんがおカネをかしてあげたんだけど、かえしてもらうことができないんだって。それとおじさん、おとーさんのふりしておカネをかりてたの、ひどいはなしよね。それできょう、かえせっていわれてどうしようもなくなってたところなんだー」
「それはまた……僕が思った以上に悪い話だね。だからお金を返す目途が立たなくて さん達は出稼ぎに行かなければならなくなったのか」
「ぜったいにひみつよ? おとーさんにだれにもいっちゃだめってわたし、いわれてるの」
「分かった。約束しよう」
大真面目な顔で口元に人差し指を当てて念を押すクリュッシュにルーは、にやりと口元に悪い笑みを浮かべながら同じく口元に人差し指を当てて答える。
「でもいやだなー。みんなとはなればなれになちゃうし、ちょっとのあいだ、おとーさんやおかーさん、ばーちゃんにもあえないんだって」
座り込んだまま、林檎色の頬に手を当てて不安気なクリュッシュ。
それを見てあからさまに眉に皺を寄せて怪訝な顔をするランディとルー。
「これって地味に大問題だよね」
徐にランディは、立ち上がったルーにだけ聞える様に耳打ちをする。
「結構な話だよ。この子の家、フェール家が無くなると影響がかなり出るね。何せ、金物製造の家だから工具の入手で大工も手が掛かるし、その他の製造関連の店や農家も同じだ。小規模だけど、他の農村からうちの町へ買い付けに来ている所もあるから目当てにしてるお客様がいなくなる。そうなると序で買いがなくなるから慢性的な経済の停滞が起こるだろうね。勿論、簡単に潰れる様な所はないけど、立て直すには時間が掛かるだろう。業者を他所から誘致したり、時間を掛けて折り合いをつけるのは可能だけど、出来ればそれは避けたい。無駄に労力は割きたくないなあ……」
「ええ……」
声を潜めてルーは、ランディにこれから起こるだろう事象を丁寧に早口で説明した。
「何より心配なのがこの子の生末さ。別にこの町が衰退しようが、はっきりって僕は知った事じゃない。親戚の家に預けられるって宜しくないよ」
「町の話云々は、聞かなかった事として十中八九、飼殺しだろうね……」
勿論、ルーが町の事が投げ槍になる理由はあるのだ。
この時代になっても養子に出されたり、親戚の家に預けられる事はよろしくなかった。
前時代から親元を離れた子供の扱いは、酷い。いつの間にか、売りに出されて娼館や鉱山での下働きをさせられるか、家から追い出されて物乞いになる可能性も。例え、家に居させられたとしてもまるで使用人の様に扱き使われて狭く寒い小部屋に押し込められて食事もまともに与えられない等、先行きは明るくない。孤児院に入ったとしても同じだ。どの選択肢でも結局は何時、死ぬかもしれない恐怖に怯えるだけ。