第壹章 自警団会活動記録〇一 14P
「頗る良好よ、ルー。貴方は如何?」
「勿論。先生の見目麗しいお姿も拝見出来たから今日は特に幸運ですね」
「変に気を遣うのはお止めなさい、ルー」
見え透いたおべっかを使うルーを老女は窘める。ルーにしては珍しい。
何よりも普段は見えないぎこちなさが言葉の節々に見受けられた。
「……いえ、そう言う訳では。それにしても本当に暫く振りですね。此処最近、仕事に追われる事が多く……中々、ご挨拶にも参れませんでした。体調を崩されたと聞いて――」
「賢くなるのも良いけど、悪戯坊やにはおべっかは似合わないわ? もう少し淑女の扱い方を学びなさいな。形ではなく中身が伴ってから紳士と呼ばれるようになるの」
「―――― こりゃあ、敵わないなー。でもせんせ、僕は単純にからかうつもりで作法を弁えたつもりはないよ。だって――――」
不意にルーの言葉がランディによって遮られる。
何故ならばランディがルーの思い切り肩を引き、馬車との間に入ったからだ。そしてランディの右手にはいつの間にか剣が握られており、黒い何者かの襲撃を防いでいる。
「これ以上の敵意を見せられるのならば、次は切り捨てます」
「……」
押し殺した低い声でランディは呟くも返答はない。襲撃者は御者。一瞬でルーとの距離を詰め、殴りかかろうとした所をランディの抜刀した剣の腹で御者の拳を防いでいたのだ。
御者とランディの均衡が続く。お互いに一歩も引かず、交わす言葉もない。
顔色一つ変えずにただ、ランディは生気のない冷たく真黒の瞳を怪しく光らせる。
己の間合いを測る為、すり足の靴音が二つ。戦闘の火蓋が切られかけるその時。
「はあ、そう言う事ね……セリュール、およしなさい。これでも私の教え子よ?」
「失礼を承知で上伸致します、ご主人様。このいけ好かない悪童、一度は痛い目を見る必要があるかと。人を見下した態度と無気力に満ちた目が物語っています」
老女の静止でやっと口を開く御者。高い声色から想像するに妙齢の女性だ。実はランディ、この声を聞いた事があった。初日に門前払いをされた侍女だ。ただし、あの時は茶色の質素な給仕服姿であった為、気付かなかったのだ。ランディは身軽な動きと片手だけで受け止められる比較的に浅い拳撃だったので機動力を重視した凶手の様なタイプの御者兼、護衛だと考えていたがあては少し外れていた。正確には御者から護衛も熟せる万能侍女だ。
こう言った手合いは恐らく、炊事洗濯や裁縫何でも来い、果ては会計やら法曹にも精通しているに違いない上、元々は格式高い名家の当主が妾との間に作った子で様々な因果の末に侍女として仕えているのだと勝手に頭の中で話を盛って行くランディ。
「ルーはこれでも頑張っていてよ? この前の商工会議でも立派に書記の務めを果たしているわ。まだまだお父上には届かないけれども充分、期待の出来る若手よ? あまり苛めないで上げて頂戴な。私からのお願いよ」
「……出過ぎた真似を。申し訳ございません」
ゆっくりと引き下がり、馬車の横で直立をした御者に対して敵意はないものと見做し、ランディも剣を納めた。
「ほっ――――」
「ルー。普段の行いが悪いからこうなるのよ。もうちょっと、お行儀を良くなさい」
「やっぱり、せんせいには頭が上がらない。善処します」
「全く、やけに馬鹿丁寧な言葉遣いと口上だったからてっきり頭を打ったのかと無駄な勘繰りをしてしまったじゃない?」
「それで僕の性根が正せたら皆、苦労しないよ」
「それもそうだわ。ふふふっ」
殺伐とした空気を一掃するルーと老女の会話。ランディもやっと肩の力を抜く。
ほっと一息をつき、小さく伸びをして体の緊張を解いた。
「あっ、せんせい。そう言えば、彼の紹介が遅れました。ランディ、ほら」
ルーはランディの肩を叩き、自己紹介を促した。
「申し遅れました。私は――」
「いえ、さっきの挙動で分かるわ。お名前の紹介は結構よ? ランディ・マタン。この町の古株にして町の指南役を担うレザン氏の所の見習いさん。そして何を隠そう、あの悲しい事件を見事に解決し今も尚、町中を席巻し続ける騎士様で間違いないなくて?」
碧い瞳から悪戯っぽく秋波を送りながら大層な人物評を披露する老女。
「恥ずかしながらお騒がせをしている様で大変申し訳なく、肩身の狭い思いをしております。以後、お見知りおきを……」
年を感じさせぬ、自然な仕草で尚且つ、高貴な印象は崩さない老女にランディは、思わずはっとして固まるも何とか堪えて言葉を放り出す。
「あら、とっても礼儀正しい子じゃない、ルー。貴方もこれ位、見習いなさいな。でも私としては物足りなくてもう少し華々しく貴方の人物評を修飾してあげたかったのだけどあまりに諄いのもどうかしらと思ってやめたわ」
「もうお腹がいっぱいですので平にご容赦を……」
「せんせい、あまり友人を苛めないで下さい。言葉に困って恐縮していますよ」
ルーはそう言うと会話に飽きたのか、馬車馬の様子を見に行ってしまった。
「ふふっ、意外に恥ずかしがり屋さんなのね」
ルーを横目で見送りつつ、柔らかな笑みを浮かべるローブ。
「そう言えばこの前は大変、失礼だったわ。御免なさい。折角、商品を届けにがてら挨拶にいらしたのにこの子が門前払いをしてしまって。丁度、私も体調を崩してしまって人前に出られなかったの。私に免じて許して頂戴」
「いえ、事前の約束もなく突然の訪問、申し訳ありません。体調が優れなかったのであれば尚更です。こちらこそ、恐縮であります」
「何だか、話し方が堅苦しくて軍人さんみたいね。良いのよ? ルーみたいに砕けた話し方でも――――」
「いえいえ! 恐れ多いので遠慮させて頂きます」
「ふふっ、分かったわ。それはさて置き、馬車の中からで申し訳ないのだけど、私も簡単に自己紹介をさせて頂きましょう。もしかすると、ルーから話を少し聞いているかもしれないけど、私はローブ・ソワレ。この子は侍女のセリュール」
ローブ夫人はランディへ自ら名乗り、会釈をした後に侍女も紹介した。
侍女も私情は抜きにして主へ恥はかかせまいと丁寧に低頭する。
「今はユンヌちゃんに引き継いでいるけど、日曜学校の教師をしてたわ。今は時々、町の会議に駆り出されるくらいで隠居した身よ。そうね、気軽に婆やとでも呼んで貰えるかしら」
「では、ローブさんとお呼びしても? 町の一角に邸を構え、主人として従者を従えつつ、存続させている手腕、そして途方もない尽力を今も費やすご婦人へ気軽に婆やなどととても恐れ多くてお呼びできません」
震え上がりながらランディは、首を横に振る。
「ふふっ、貴方がそれで良いなら構わないわ。でも買いかぶり過ぎよ、ランディちゃん。そんな恐ろしげに尻尾を丸めた子犬みたいな姿を見せられては私もからかい辛いのよ? 本当に良い子ね。フルールには全くもっては勿体ないわ、私の伝手で良ければ、お似合いの子を紹介出来るから気が向いたらいつでもいらっしゃいな」
「お褒め頂き、ありがとうございます。それは嬉しいお話ですが、そもそもフルールとの話は根も葉もない噂話の類です。無粋な勘繰りから来る推察で申し訳ないのですが、彼女には心の中にはまだ思い人の残滓があるのではないかと。薄々、気付いておりましたが元より、男として見られていないと言うのが正解でしょうね。それに私も此方には所帯を持つ為に訪れたつもりもないものでして……」