第壹章 自警団会活動記録〇一 10P
「でもね、でもね。さっき、材料の小麦粉の配送が間に合わないことが分かって急いで買いに行った帰りで貴方に会ったの。でもこの量で間に合うかどうか……明日は間に合うけど、明後日まで来ないから明後日にまた買い出しに行く羽目になるんだろうなあ―― 一人で持てる量何て高が知れてるから」
「中々、大変だね。もしかして値段も少々、上がるのかい?」
「いいえ、『éicerie』のブリガンさんからおまけして貰えたから採算は大丈夫。小麦粉の不作で長期間の高騰は別として一日や二日の話で、しかもうちの都合で値上げ何てお客さんに申し訳ないわ。いつもの利益率より二割から三割減で抑えられるから一日か二日位なら誤差の範囲内。それに補填で仕入れ値を値切るからプラスマイナスゼロよ。先ずないけど、臨時休業して売り上げが立たないよりかはあたしのちょっとした労力で済むなら安いもん」
ランディの何気ない質問にフルールは胸を張って答えた。
「商魂逞しい君には勝てないな。俺も見習わなくちゃいけない」
「これでも次期店長候補だかんね。絵を描くのと同じくらいパンを作るのも好きだから当然の事よ。生涯パンを作り続けたいなら技術だけでなく、経営の知識も必要。貴方もその内、嫌でもそうなるわ。一日の流れを同じように続けても必ず、先が続かない。だって時は流れ続ける物。森や川や畑が毎日同じ顔をしてることはなくてそれぞれの職人はそれを見極めて動いてるのと同じ。商品知識を深め、市場の流れを見つつ売り上げを考え、取引先と上手くやり、土地柄を理解し、流行り廃りを知り、全てへ敏感になって行かないとね。次期店長候補兼三騎士さん」
愉快そうに茶色の目を細めて偉そうにランディに指を振り、茶目っ気たっぷりに諭すフルール。確かにその言葉は経験者としての重みがある。一つの道を歩み始めることを意識し始めたからこその言葉がそこには確かにあった。
「先が長いなー。俺がなるか、なれるかは別としても多分、全てを卒なく熟すには十年じゃあ―――― 足らないね」
「勿論、あたしだってまだまだ父さんには敵わないわ。修行の身よ。先輩からの在り難い言葉って事で肝に銘じなさいな」
「謹んで拝聴しました。これからも御指導、御鞭撻を何卒お願い申し上げるよ。先輩」
ランディは立ち上がり、フルールに向かって恭しく丁寧なお辞儀をした。
「まあ、何にせよ……ご苦労様。この町を思って見回っている貴方たちのお蔭であたしたちは今日もいつも通りだったわ」
「どうって事ないさ。少しでも役立っていれば光栄だよ」
大凡、何時言おうかとタイミングを見計らったかの様に恥ずかしげにそっぽを向きながらの不器用なフルールの感謝の言葉にランディは肩を竦める。たった一人でも自分を評価してくれる人がいるならば、遣り甲斐は十分だ。
「そうだ、さっきの果汁は貰い物って言ってたけど、それはもしかしてラパンから?」
「正解。そもそもの始まりは見回りの最初に行った教会の道中でね、花を見つけたんだ。教会が少しでも華やげばと持って行ったら丁度、授業中でね。ユンヌちゃんが居て上げたらお礼にとパンを貰ったんだ。そのパンをラパン君に上げたら物々交換じゃないけど果汁を貰ったんだ。たったそれだけだよ」
「ふーん。中々、面白いことしているじゃない? なら……その話、あたしも乗ったわ」
ランディの思わぬ幸運の巡り合わせへ興味が沸いたフルールはランディの肩を掴んだ。
茶色の瞳に好奇心を浮かべて口元を軽く歪ませる。
嫌な予感がするランディはゆっくりそっぽを向いて目を逸らした。
「いやね……ラパン君にも言ったけど、別に俺も最初からその心算で始めた訳じゃないんだって……寧ろ、フルールで終わりかなって思ってたし」
「何よ? 折角の流れをあたしで終わらせる何てとんでもない。ちょっと待ってなさい!」
「ええー、そう言うのは止めようよ。その流れだと最後に落ちを付けないといけない感じになるじゃないかー。やだよ? そう言うの……」
「煩いからちょっと黙ってて」
「はい……」
*
「なるほど、僕と別れた短時間で今度は果汁が氷砂糖の詰まった小袋に変わったと……?」
「う―――― ん」
ルーの問い掛けに渋い顔をして答えるランディ。結局、フルールの押しに負けてお返しを受け取ってしまったのだ。どうにも腑に落ちないランディを尻目にルーは何をしても面白い結果を残す友人が可笑しくてたまらない。ルーは暫しの間なかった新鮮さにあてられてばかりだ。次は何が起きるものかと期待が嫌でも膨らんで仕方がない。フルールの一件から更に時間は過ぎて夕日が照らす通りを闊歩する二人。そろそろ、御開きの時間にしても良い頃合いだった。
「君もつくづく不思議な巡り合わせの下に生きてるねー」
「うーん。言われてみれば確かに――でも本当に図ったものでなく、偶然だよ? 人の厚意に漬け込む気は全くなかったんだ」
そう悩ましげに言うランディ。最早、此処まで来ると純粋な厚意でさえも只の重荷でしかないのだ。思ってもない突発的な出来事に弱いランディとしては居心地が悪い。
「分かってるって。全ては君の人柄と人徳が成せる業だよ。寧ろ、誇るべきだと僕は思う」
「それも何か違う気がするけど、取り敢えずお褒めの言葉として受け取っておくよぅ……」
ランディはルーの褒め言葉を受けながら小袋の口を開けて一粒、口に放り込む。口内でじんわりと程良い甘味が広がる。長期保存に向き、遥か昔より携帯食として活用され、今でも軍の携帯食として活用もされている。飴玉は高価で手に入れ辛い。比べて安価で手に入る為、大人から子供まで愛好される嗜好品としての一面もある。
「僕にも一つ、頂けるかな?」
「勿論、良いよ。これだけの量は一人じゃあ、とても食べきれないし」
ルーもランディから一粒、受け取って口の中に含む。自然と甘味で笑顔が浮かぶ。休日の暇つぶしから始まったとは言えどやはり、緊張があったのだろう。此処に来てやっと、緩んで来たのか自然と首元のクラバットへ手が行き、襟元を緩めるルー。釣られてランディも首元のボタンを二つほど外した。後もう少しすれば、酒が欲しくなる時間だ。いや、早い者は既に酒場で屯しているだろう。
当然の事ながら二人は今日の酒は相当、上手いに違いないと期待している。そうと来れば自然と早足になる。軽快な足音と期待に満ち、浮ついた気持ちを何とか落ち着ける為にルーは己の昔ばなしに触れる。
「昔、親父はあまり良い顔をしなかったけど一日、一つって母さんに貰ってたのを思い出す」
「俺の場合は家の仕事を手伝う毎に一個だったからよく姉貴と競って仕事を見つけては貰ってたよ。今、思えば労力に対して見合わないのに熱心だったなー。貰ったのはきちんと自分の瓶に入れて隠してた。程よく貯まったら幼馴染と一緒に村の外れの森に出かけた際、持って行って分け合いっこしたもんだ」
それぞれ二人は昔の在りし日の思い出を語り合う。特別、ランディにはちょっとした小話くらいにはなる氷砂糖へ思い入れがあった。
「小さな頃から随分と倹約家だったんだね」
「幼馴染がカップケーキとか持って来てくれて申し訳ないからって考えたのが始まりさ。でも一度、これに救われたことがあるんだ。道に迷った時があってその時は助かった。いつもは夕日が沈む頃には村に戻れてたんだけど、一本道を間違えてね、自分も心がおれそうだったけど不安で半ベソを掻いた幼馴染が泣かない様、引っ切り無しにあげてた。気付いたら口の中一杯に氷砂糖を頬張ってて思わず、その顔を見たら笑っちゃって……そしたら元気が出て周りが見えるようになったらあっという間。見覚えのある道が見つかって何とか晩御飯前には帰る事が出来た。家族にはとっても心配掛けてしまったけどね。あはは」
「今となっては良い思い出って奴だね」
「うん。でも以来、幼馴染は不安になると氷砂糖を大量に頬張る癖がついちゃたから申し訳なかったよ。いや、怒った時とか、嬉しい時とか何かに理由を付けてやってたか……」
「はははっ。微笑ましいじゃないか」
「僕も君の幼馴染と同じく幼少の頃の癖が抜けなくて役場の机に小瓶へ入れて常備してあるんだ。特にどうしても仕事に行き詰って頭が働かない時には一番の特効薬なのさ」
「それは間違いない」