第壹章 自警団会活動記録〇一 1P
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「俺たちは無実だ! 此処から出せー」
「はあ……」
「こんな不当な拘束を俺は認めない! 絶対に此処から逃げ出すぞー」
「お取込み中に悪いけど、ランディ。やるならもう少しやる気を出そう。楽しんでいるのがバレバレ」
「本当? 結構、本気でやっているつもりなのだけど」
「確かに演技と声音には現実味があるけど、笑顔が弾けてる」
「げっ……うーん。案外、難しいもんだねー」
「君が演技派じゃないのは知ってた。それにしても君は楽しそうだな。僕も見習わないといけないのだろうけど如何せん、この後の末路に展望が見いだせないから軽いうつ状態だよ」
薄暗く窓がない石畳と鉄格子がランプの明かりで浮かび上がる地下室。
ひんやりとした空気とカビ臭さ、ネズミがあちらこちらで這い回る所為で独特な獣臭さと不衛生さから来る汚臭が合わった臭いが鼻を衝く。
石畳は元の色が分からないほど黒ずみ、少しでも動けば埃が粉雪の如く舞い、不快と言う字を正に体現する牢獄にランディとルーは捉えられていた。
「独房に入れられるのは初めてだから! どっちかって言うと、ぶち込む側だったし。思った以上に雰囲気があってさっきから興奮しっぱなしだよ。それにね、本当のことが分かったらきちんと釈放されるさ」
「でも絶対に叱られるよ。この歳にもなってみっともないや」
「後々、若気の至りで片付けられるさ」
「そうだと良いけど……」
先ほどから鉄格子の前に立ち、閉じ込められた檻にあった鉄製のコップを鉄格子にぶつけ揺らしながら真に迫る声を上げるランディ。但し、柔らかな印象を与える茶色の目は好奇心で輝き、顔には隠しれない笑顔が。一方、別の牢に閉じ込められたルーは壁にもたれ、座り込んで天井を仰ぎ見ながら肩を落とす。
「でも君の言う通り、このままでは状況が改善しないことは目に見えてる。君は引き続き、騒いで注意を引いて。僕は打開策を考えるから」
「よし、任された!」
眉間に皺を寄せるルー。儚げな色白の顔は今や蒼白に染まっていた。
威勢の良い返事に嘆息しながらルーは必死に考えを巡らせる。
はてさて、余り此処に長居をし続けることは宜しくない。隣の友人は本当に切羽詰るような出来事があれば頼もしい。だが、一度、横道に逸れば。どんな小さなことでも興味が惹かれれば、どこまでも実直に愚鈍で在り続けるような偏った思考の持ち主である。しかも全力を持って楽しもうとするが余り、今回に限って例を出すなら獄囚に成りきって何処からか匙などを見つけ出して石壁を外し、穴を掘って脱獄などと途方もないことを思いついてしまうだろう。全く持って困ったものだ。
下らないことで楽しむのは勝手だが、自分が居ない所でやってくれと内心でルーは嘆く。
「打開策は……。兎に角、身の潔白を証明すれば良い。それには僕たちが捕まった物的証拠を覆す証人が必要だ。それにはやはり、フルールともう一人―― あの子が肝になる」
ルーは心を落ち着ける為に自らへ言い聞かせる。全てはこれからの行動次第だ。
今更、己の力で足掻いたとてどうにもならない。
出し惜しみせず、コネや備蓄、搦め手、手駒として使えるものは総動員し、事に当たる。
「先ずは弁解の場を作ろう。ブランさんなら少なくとも話を聞いてくれるけど、実証に時間が掛かると不利になる。茶を上手いように濁せれば一番良いのだけど、僕の厳親が黙っていない筈。疑わしきは罰するなんて血も涙もない思考の持ち主だ。簡潔明解さを尊ぶが余り、紅茶はプレーンティー、珈琲はブラック、酒もロックか、ストレート。揚句、食事は素材の味が大事だと基本的に少量の塩と胡椒の味付けだけ。規則正しい生活を心掛けて誰よりも早く起き、誰よりも早く寝る。休日や帰宅後に家でやることは仕事か、専門書を読むこと、剣術の鍛錬、犬の散歩。最早、何が楽しくて生きてるのか、分かんない様な堅物。母さんも何故、あそこまでつまらない男の下へ嫁いだか―― 理解に苦しむよ」
と誰に話すでもなく、ぶつぶつと呟きながら大いに話を脱線させながらも現状に向き合い、どれだけ己が窮地にあるかをルーは理解した。時間が勝負を分けるのであれば、こちらがきちんと順序良く、道を示して他者に口を出させるような隙を与えてはならない。
「欠かせないことは毅然とした態度で不信感を煽らずに僕たちの話に少しでも価値観を見出させること。絶対にやっちゃいけないことは僕たちの価値を下げてないことだ。生かす価値がなければ、誰だって排斥に異を唱えてくれないや。少なくとも僕たちの素行は悪くないし、この前の功績があるから邪険にされることはないから杞憂だろう」
確固たる足場を築き、ルーはやっと漲って来た活力に安心感を覚えた。
何も心配する必要はない。後は全力を尽くすだけ。
しかし、相方は良い意味でも悪い意味でも期待を裏切らないでくれた。
「やった! ルー、家探ししてたらスプーンを見つけたよ。これで脱獄も視野に入る。君としてはどっちが良い? どうせ、時間はたっぷりあるし、ばれなきゃ大丈夫。良い機会だからこの牢屋の強度はどのくらいのものか調べて置く必要があると思う! 自警団としてこの情報は重要だ……もし、被疑者を捕まえても逃げられてしまうかもしれない。うん、違いない」
「もう、駄目かもしれないね。やだ……家に帰りたい」
愈々、ルーも追い詰められた。最早、自分では友人を止められない。
誰か来てくれと、ルーは切実に祈る。何故、二人がこの様な混沌とした状況に置かれているのか。それは朝にまで時間を遡る。幾らでも引き返す道はあった。
しかし物語は動くもの、動き出せば止まらない。
さながら大海へ下る河水が如く。流れ着く先に待つは底知れぬ闇が支配する波乱に満ちた深海か。はたまた、コバルトブルーがどこまでも続く安寧の蒼海か。
全ては穏やかな眠気を誘う陽気が引き起こした出来事であった。
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今日もいつもと変わらない一日の始まりだった。
少なくともこれが『Chanter』の住人全ての共通認識であった。
まだ夜も明けきらぬ薄暗い早朝に長鳴き鳥が朝を告げる中、既に農民は家畜の世話を。
町民は各々がいつも通りに起床し、仕事に従事し始める。
役人や銀行員などは珈琲を片手に前日からの仕事の内容を確認し、書類の山との格闘。商人は店内の準備を整えて店回りの掃除の後、収支の計算と仕入れ、そしてこれから迎える繁盛期に向けての備えへ頭を抱える。大工は町中に金槌や鋸の音を響かせ、冬に受けた建物の損傷の修繕作業に勤しみ、他の職人も己が作業場で独特の作業音を奏でながら物作りに没頭する。主婦は家事や手工、子供の面倒、時には夫の仕事に助勢し、その中でも日々の情報交換は欠かさず、井戸端会議に花を咲かせていた。
それぞれ、多少のアクシデントはあっても想定の範囲内のこと。
大よそ、昼には全てが一段落付くのだ。
そして当たり前を享受する町の喧騒から外れたとある街壁に。
二人の青年、ランディとルーが日の光に当てられて伸びていた。
「あの雲は絶対にパウンドケーキだ。しかもとびっきり膨らんだ上等な奴。淹れたてのストレートティーが欲しくなる。食べたらもう誰でも笑顔になっちゃうよ」
「違うね、ランディ。あの雲は騎士団の蒼光旗さ。君はあの雲の形で連想しちゃったのかもしれないけど、僕には武の至高を極め、祖国を守護する為に孤高で在り続ける守護の剣がはっきりと見える」