第拾章 エピローグ
*
『Pissenlit』は、特に何もなく通常営業中である。
欠伸がでるほど、ゆっくりと流れる時間。窓からは、昼下がり特有の橙色の光が差し込んでいた。年期を感じさせる店内は、日の光の中を遊泳する埃が目に見えた。整理整頓はされているも相変わらず、掃除だけは、まだまだ行き届いていない。その店内の中に居候兼店員のランディは、店の奥で椅子に座り、カウンターに突っ伏してうつらうつらと船を漕いでいた。
「ちょっと前にもこんな感じの日があった気がする……」
瞼が、極限まで下がり、時々、鼻息も睡眠時のように深くなり、気を抜いたら一瞬で夢へ旅立ってしまいそうなランディは、気だるそうに前髪を弄りながら独り言を呟く。不意に思い出したのは、こののんびりした雰囲気をフルールに壊れた日のこと。振り回されるだけ振り回され、散々だった。思えば、あの日は、話題に飢えているこの町の洗礼を受けた日である。出来れば、二度と同じ目には会いたくないのがランディの本音。楽しい雰囲気は、好きだけれども話題のネタにされ、弄られるのはランディもお手上げだ。上手い返しが出来るようにならなければ、この町では生きて行けない。今のところ、ランディの中で一番の死活問題である。
「……いや、訂正。ここのとこ毎日だった」
しかし、更に思い返してみればこれが通常の一日である。忙しい時期は、周辺の山々の雪が溶け、物流が活発になってからだとレザンは、ランディに教えている。こんな呑気なのも今の内だから甘んじて受け入れろと。ランディもぼーっとしている何もしない時間は、好きである。
いっそのこと、もう寝ても誰も咎めないのではないのかと、ランディの脳裏に邪な考えが浮かんだ。勿論、直ぐにそれは駄目だと頭を振って睡魔の誘惑を振り払う。
体を動かして眠気を覚ましたいが、今は生憎、店番中。仕方なしに眠気覚ましで茶を飲もうと立ち上がるランディ。そんな堕落の道を突っ走るランディの視界へ妙な物が映った。店の入り口付近の飾り窓だ。窓の下に金色の何かが二つ、見える。半分、意識を持って行かれていた時に来たのだろうと、ランディは、推測した。同時に幾ら気を緩ませていたとしてもあまりにも不用心過ぎると反省する。ちょっと前までのランディには有り得ないことだ。
「ふむ……」
どうしたものか。
双子の監視は、事件から一時期おさまっていたのだが、いつの間にか、始まっていたのだ。
それにしてもご苦労な話である。他にやることがあるのだろうに特に面白みもない自分にどうして興味を持つのかと、ランディは、考えた。
が、全く身に覚えはない。ここの所、仕事では配送で町を駈けずり周って土地勘を掴み、町民に顔と名前を憶えて貰い、商品を覚え、接客、フルールが昼休みに来るので話をする。プライベートでは、掃除、洗濯、炊事をこなし、心身を鍛えることも忘れず、トレーニングを行い、時々、フルールの買い物に付き合わされ、夜にはルーと飲みに出掛けるだけだ。
「生活に花がない……どうしてだろう。女の子と遊びたい、ポーカーしたい、バカ騒ぎしたい」
生活が、出来るのはありがたい。でもやはり、若さが楽しみを求めるのは仕方がない。
自分の生活を振り返り、本当に詰まらない男だと、つくづく自覚するランディ。
こんな詰まらない男でも興味を持たれているのは確か。
だが如何せん、接点を持とうとしてもその度、逃げられて機会すら貰えないのが、現状。
明確な邪魔者扱いはされていない。しかし、そろそろ、誰かに相談すべきかと考えるくらい、不安になるのだ。目的の分からない相手の行動は、意外と肉体的にも精神的に辛いものがある。
少しでも相手の真意を確かめねばと奔走し、自身の中で色々な憶測を呼び、今後の対策に追われる。もう少し自分が器用ならばとランディは、心底、己の至らなさを嘆く。
人間関係の立ち回りが上手いと、大抵のことでは苦労しない。もっとフランクに堅苦しくなく、普段から笑顔でいて相手の警戒を解くことが出来るなら苦労はしなかっただろう。逆に信頼をされるには、ヘラヘラとし過ぎてあげつらう印象を与えてしまうのも良くない。その加減を体現するには、実直過ぎて不器用なランディにとって難題だった。
どうしたものかと、頭を抱え悩んでいると、唐突に店の扉が開かれた。
小気味の良いベルの音と、古びた扉特有の軋んだ音。
面倒事に頭を抱えていたランディは、ふうとため息を一つ。
何にしろ、少しの間だけこの悩みを忘れられるのと、暇な時間が削れれば良いと、目先の気楽さに負けて店員としてしゃきっと姿勢を正す。そうだ。寧ろ、この店員として応対をすることこそが、本来の務めだ。個人的な考え事なんぞしている場合ではないと自分に言い聞かせて。
働く者としての姿勢は、正しいが男としては、何とも情けないことだ。面倒事は、早急に解決する必要がなければ、全力で後回しにする。男らしく問題に立ち向かわない。
へたれと言う言葉は、ランディを表すには、相応しい言葉と言えよう。
そして偶然にもランディを救った救世主はと言うと、特に店の品物を見るわけでもなく、扉の前に立ち止まったままだ。店内には、人の影が入って来るだけ。人影は、女性のもの。華奢で男にしては長過ぎる髪の影がはっきりと見えた。何やら聞き覚えのある苛立ちを含んだ女性の声も聞こえる。はてさて、どうしたものかとランディは首を捻る。店に来たのなら何かしらの用事がある筈。何かしら問題でもあったのだろうかと、埃の中を悠々と進む。頬を摩りながらコツコツと足音を立てランディが扉へとゆっくり向かうと、扉の前に立っていたのは、見知った顔。影の持ち主は、フルールだった。お昼を過ぎたのに珍しいとランディはほんの少しだけ驚く。フルールは、何故か店の外の方を見て眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
「お疲れ様、フルール。今日は、どんな御用かな?」
「ああ、ランディ。特別な用事はないの。仕事もひと段落してただ、仕様がなく、同じく暇で忙しくなさそうなランディの相手をしに来てに上げようと」
何ともやる気のない返しがランディに返って来る。
そんな理由で店を抜け出して良いものなのかと、ランディは、未だに慣れないこの町の圧倒的な緩さに物怖じしてしまう。自身も相当に緩い生活を送っていたつもりだが、何事にも上には上がいるものである。
はあと一つ、小さな溜息を洩らしつつ、ランディは、苦笑い。
ちょっと買い物があると言う理由や急にランディと話したくなったのと言うなら可愛げがあったものの、ただ時間を潰す相手がいないから適当なランディを目当てに来たのだろう。
しかし、フルールにかわいらしさを求めるなど、愚かだ。これは、欲望のままに生きる寧ろ、自然で素朴な女の子なのだと自分に言い聞かせつつ、ランディは、口を開く。
「なるほどね……俺も丁度、忙しくないしゆっくりして行くと良いよ」
「遠慮なくそうさせて貰うわ」
ランディの返事を受けたフルールはランディの心の内を察することなく、店へ入ろうとする。
しかし何かを思い出したかのように立ち止まると、店の外へ視線を向けた。
「そうだ。ちょっと前から気になってたけど、解決しないといけないことがあるよね?」
「うん? 何のことさ」
「あなたも大体、分かってるんでしょ。何時までも付きまとわられるのも流石に面倒だし。蟠りを残すことは良くないわ」
「ああ……うーん。フルールも知ってたんだ。あー追々、解決出来れば良い話だし。俺も焦ってないからさ! 気にしないで、うん」
なるほど、流石に回数を重ねられれば、フルールも見落とす訳がない。
額に汗を浮かべつつも精いっぱいの笑顔を顔に張り付けてこの場を乗り切ろうとするランディ。善処すると印象付けながらも全く覇気のないランディの生返事にフルールは呆れる。大きく肩を落とすも直ぐ仕切り直すかのように自分の頬を両手で一叩きした。そうだ、此処は駄目な弟の代わりに私がしっかりしなければと。
「そこに隠れてこそこそと出歯亀じみたことしてる二人。出て来なさい! あんたたち、流石に悪ふざけが過ぎるわ」
間髪開けずに勢い良く振り返るフルール。ランディは、眉を顰め、困った顔になりながら行く末を見守る。確かに今、解決出来るならば、ランディにとっても悪い話ではないのだ。
暫くして観念したように横道から萎縮しきってしゅんとした双子が出て来た。
蒼白に染まった顔。伏し目で動揺を隠せずにおどおどしている。
そこまで怖がらせることはないだろうにとランディは双子に憐みの視線を送った。
「あなたたち、怒らないから。取り敢えず、謝りなさい。弁解なんて後で幾らでも出来る。ランディだってあなたたちの考えも分かってくれてる」
全ての溝を埋める為に。何でも良い。兎に角、自らできっかけを作り、道を切り開きなさいとフルールは双子を諭した。はじまりはなんてことのないただの小さな誤解。例え、言の葉を重ねていない表面上は拙い関係かもしれないがあの事件で心は確かに繋がっている。
「それにこの前、必死になってあんたたちの為に命を懸けたから分かるでしょ? 本当にただの馬鹿で救いようのないお人好しよ。だからもうこんなことはしないこと」
二人の前で屈み、小首を傾げて笑いながら双子の頭を撫でるフルール。
あの時のランディの心を焦がすほど熱い勇気が、目の光を絶やさずに輝く必死さが双子の目に焼き付いている。男は己の行動と背中で語るものなのだ。
「まあ、そんなに深刻な話じゃないんだからさ! 俺は最後に笑って話が出来る友達に成れれば良いんだ。だからさ、フルール。まだ時間が必要なんだよ。別に焦ってないし。俺は毎日、二人の頭が窓からちょこっと覗いてるの見ると今日も元気なんだなあーって分かって落ち着くんだよね」
「あなたは黙ってて。もっとあたしはあなたに二人のことを知って欲しいの。どんな子たちか、見てあげて欲しいの。この機会を逃したらもう次なんてないわ」
「すみません、出過ぎた真似を……」と早々に撤退するランディ。
最早、フルールのペースを崩せない。フルールはぴしゃりとランディを窘めると立ち上がり、双子の後ろに回って背中をちょっと押す。
柔らかな日差しが差す通りで遠くに町の喧騒が聞える中。
俯いたままの双子は、決意したように顔を上げる。その幼い顔にはもう迷いも戸惑いもない。
「「今までとっても迷惑を掛けてごめんなさい……」」
「なに、気にすることないさ。こっちこそ、君たちを戸惑わせちゃって悪かった。ごめんよ。じゃあ、改めて自己紹介しようか。俺は、ランディ・マタン。雑貨屋のしがない店員見習い兼、居候さ。宜しく」
双子の謝罪を受けてランディは、少しきょとんとした後、自然と眦が下がり、大きな笑顔を浮かべた。
「宜しく」
「お願いします」
おずおずとは頭を下げたルージュとヴェール。
「さて、挨拶も済んだことだし。何時までもこうしてるのは良くない。ちょっとずつ暖かくなったて言っても未だ寒いし。中に入ってお茶にしよう。さあ、入った、入った」
ランディは扉に向かい、開けると三人を急かした。
「仕方ないから付き合ってあげるわ。本当に仕方なくね」
「何とでも言うが良いさ。さあ、今日はいつもと違ってフルールだけじゃないから楽しいお茶が出来そうだ。お菓子、良いのあったけ? ちょっと、買い出しでも行ってこようかな……」
「なんであたしとこの子たちとで対応に差があんのよ!」
中に入りながらああだ、こうだ、ぎゃあぎゃあ騒ぎ出すランディとフルール。
二人のじゃれ合いに思わず、ふふっと笑いを漏らす双子。
こうして一歩、ランディは自分の選んだ道を進むことが出来た。人は止まることを許されない。例え、自らの足を止めたとしても世界は回り、時間は進み続けるから。ならば少なくとも自分の選んだ道を歩くべきだ。ただ、周りが勝手に進むことに甘んじれば、置物であることと変わりない。生を受けたのならば、その生にしがみ付き、足掻くことが生物の宿命である。
正しい、間違っているなど関係ない。先に広がる道を歩き続ける。
そう、静かな永遠の眠りが支配するその時まで。
おわり