第玖章 終演 4P
大きな瞳を潤ませて今にも泣き出しそうなフルールは俯く。そんなフルールの頭をノアは煙草臭い手でそっと撫でる。一度、大きくびくつくもされるがままで大人しいフルール。
「……確かに君の言う通りだ。君は正しい。でも、それならば。君がランディの笑顔を取り戻したいのならば、もう一つ知らねばならない。大抵の男は口下手だってことを。他の人に自分の苦痛で苦しんで欲しくない。ぐちゃぐちゃになった思考で今の思いを一から十まで完璧に伝えられない。そして何よりも自暴自棄になって意図せず、言葉の刃で人を傷つけることが怖いんだ。だからさ、フルール。君にはそんな辛い時、何も言わずとも逃げ帰って来れる場所になってあげて欲しい。今、あいつに必要なのはそんな場所だ。話さねばならぬこと、話したいことは隣で何も言わずに一緒に居てくれれば、自ずと口から止めどなく出て来る。泣きたくなったら勝手に泣くよ。そして全てを吐き出したらまた笑えるようになれるんだ」
まるで歳の離れた妹をあやす兄の様にノアは穏やかな口調で諭す。
「本当はルーもブランさんもこう言いたかったと思う。でも、どっちもランディの姿に動揺してきちんと君に伝えられなかったんだ。そこは察してあげてくれ」
「……あたし、待ってみます。このままじゃあ、終わらせられない。少なくともランディがこの町にいる間だけ……頑張ったランディの力になりたいから」
「フルールは本当に良い子だね。俺は応援してるよ」
「あたしに出来るかな……」
「出来るさ、この町一番の医者が言うんだ。保証するよ」
「一番って言ってもこの町のお医者さん、ノアさんしか居ないじゃないですか」
くすりと笑うフルール。フルールの元気を取り戻せたとノアは少しだけほっとした顔になる。
人を元気づける最良の薬は錠剤でも注射でもなく、言葉だ。
他人と話し、例え一から十まで全てを理解できずとも分かち合う事でやっと折り合いがつく。
これはノアが今まで生きた経験の中で知った事だ。
そしてノアはフルールの頭から手を離すと左手で顎を撫でながら考え事をし始めた。
いきなり黙ったノアにフルールは怪訝な顔をしつつも様子を見守る。
暫く、考えた後にノアは何かを思い立ったようで石碑の方角へ顔を向けた。
「まあ、この話は一件落着として。如何に話が複雑だったとしても男が女の子を悲しませることはいただけないな。あいつにはきついお灸が必要だ。さあ、フルール行くよ」
ノアは口元をきつく結ぶとフルールの手を掴み、歩き始めた。
「えっ? ノアさん、ちょっと待って下さい!」
突飛由もない話に着いて行けず、フルールはただただ戸惑うばかり。
心の準備が出来ていないフルールの手を強く引きながら木々の合間を縫うようにして歩き、石碑まで向かうノア。
「少なくとも話すきっかけがなけりゃ、君だって蟠りが残るだけだし、何よりもあいつの成長にならない。まだまだ、あいつは甘ちゃんだからね。何時まで孤高を気取っているつもりだと。君と同じであいつは知らなくちゃいけない。心配してくれる人がいることを」
ずるずるとフルールを引きずりながら歩みを止めない。木立を抜け、ノアたちが開けた石碑前まで来ると、まだランディとルーは話をしていた。ランディとルーは向かって来る足音に気付き、ノアとフルールの方へ振り向いた。
「休みだと言うのに。お前たちは本当に真面目だな。俺がその歳の頃にはいつも女の子の尻を追っ掛けてたよ」
「お疲れ様です、ノアさんと……フルール。やはり色々とあったから浮かれる気分にもなれなかたもので」
ランディはそっとフルールから視線を外しつつ、気まずそうに挨拶をした。あれだけ心の溝を作るようなことをしたのだから致し方がない。
「話をして少し気分も晴れたので飲みに行く算段を立てていた所ですよ」
一方、ルーはさして気にする訳でもなく軽く二人に会釈する。
そしてフルールはノアに半分隠れて頷くだけだった。
「それは良かった。何時までも人の眠りは邪魔するもんじゃないからな」
「ええ、ごもっともです」
「確かに。まあ、それがただのお為ごかしでノアさんがフルールと逢引き中でお邪魔なのらとっとと僕たちはお暇しますね」
「やめろ、俺にお前のからかいは通用せん。逢引きしたくても生憎、いちいち俺の素行に文句をつける怖いお目付け役がいるから無理だ」
「ふっ、確かに。ミロワさんは怖いですよね、ノアさんにとっては。……さてと、今日はシトロンの所にでも行こうかな。ランディにも紹介するよ。たまには彼女のお尻を眺めながら一杯ってのも悪くない」
「なるほど……実に興味深い。是非とも拝見、いやお会いしたいものだね。ノアさんもどうです?」
「よし、フルールを見送ったら直ぐに行く」
「ノアさんの素行を正すお目付け役の話は何処へいったんですかねぇー」
「そんなもんが怖がってたら何も出来ないぞ。お前たちの指南役として着いて行くだけだ、それで言い訳が立つ」
恒例の軽口をさらっと交わし合う三人。但し、もう一人、下種な会話を冷ややかな目をして聞いている者がいることを忘れてはいけない。
ぱたぱたと足を鳴らして苛立ちを露わにするフルールに気付き、それぞれ襟元を正すなり、決まりの悪い咳払いをしたり、思い出したように懐から煙草を取り出し、ふかすなどして忙しなく動き、緩んだ空気が消えた後。ノアが話を切り出した。
「さてと、ランディ。お前もそろそろ落ち着いて来て周りが見えるようになったんだろ?」
「ええ、見苦しい姿を見せてしまって申し訳ないです。時間を頂いたお蔭でやっと折り合いはつけたつもりです」
品定めをするかのようにランディを上から下まで眺めた後、ノアは口を開いた。
「お前なりにケリをつけたにしてはまだ迷いがある。本当にガキだな。何時まで悲劇の主人公を気取るつもりだ? そろそろ、目を覚ませ。世界は零と壱で出来ている。結果を出すか、出さないかだ。そこに感情も糞もない。もっと、合理的に考えろ。そうでなければ、また同じことが起きる。もう付き合わされるのは御免だ」
呆れたように肩を竦めるノア。そんなノアに対してランディは毅然として姿勢で相対する。
「俺は貴方の言う零と壱の世界での在り方に答えを出していません。俺は是か非の間、新たな世界の答えを求めています」
「なんだ、聞いて損した。お前に求められている問いはそれだ。ただ、受け入れると答えるだけなのにどうしてそれが出来ない?」「その言葉には大いなる責任があるからです。肯定すれば、その道理に合わせて時には己の指針だった感情も無視して動かねばならない。ちっぽけな自己満足の為に計り知れない犠牲を出す。例えば、最初は誰か大切な人を守る為だけと己を一つ、感情的な論理で縛る。まあ、その論理だけなら最低限、降り掛かる火の粉をはらうだけで済む。しかし世は非情だ。己が引き金を引かずとも勝手に争いが起きる。先の大戦を貴方だって知っている筈。簡単な論理が守りたい人との世界で安寧を保つと言う論理に変われば話も変わるんだ。今度は人から奪う立場となるでしょう。そして論理が膨れれば、犠牲も増える。それでは世界が荒み続けるだけ。これまでの史実の積み重ねと変わりない。また、この町に起きたような悲惨な出来事が起きる。ならば、それを防ぐ必要がある。だから結果を積み上げるだけでなく、その結果に納得が行く人を増やさねばならないのです。俺はその答えを求めています」