第玖章 終演 2P
墓標に顔を向けたまま、無表情のランディが答える。今はまだ、感謝の言葉がランディにとって眩しかった。素直に受け入れることを許さない自分がいる。今も心の中で罪悪感と言う自分に似た幼子が服の裾を引き、悲しげな茶色の瞳に涙を溜めながら首を横に振り、訴え掛けるのだ。また、この頃はランディを悪夢が苛めることも。真っ暗な世界で姿なき声が夢に出て来る。
あの時、こうしていればと。もっとお前には良い結果が出せた筈だ。全てはお前の招いた災厄である。穏やかな世界に甘え、これまでの尊い犠牲を忘れていたお前には決して何も救えないと。毎晩のように魘されて目が覚める。生々しい夢が起き掛けのランディの頭に響く。
手で顔を覆い、歯を食いしばり只管、耐えるだけの日々だ。
「俺がやったことは意見がきっぱりと相違した相手を目の前から消しただけ。前も言ったけど、誰かに感謝されるような褒められることじゃない」
ランディは懐に手を入れると点々と赤黒く汚れた、小さな紙を取り出した。
「結局、彼はやっぱり国に対してもっと良くなって欲しいからとあんなことをしたんだ。例え、自分の手が汚れようとも……。この王国は血を流さねば変わらないと考えたからなんだよ」
汚れた紙を握り、眉間に皺を寄せたランディは心底悔しそうな様子で語る。
「君にも見て欲しい。彼らが最後に残した言葉だ」
ルーがゆっくりと紙を広げてみると、紙にははっきりとした字で書かれた文と三十弱の赤いインキで押された指紋の後。赤いインキは血液だろう。
これは所謂、血判状と呼ばれるもの。
「この騒乱は総員、三十五名の総意により行われた。他に関わる者はいない。我々はこの国の為政者が国民に対しての目に余る無関心さに対して異を唱える為に無辜の民に対して牙を剥いた。我々のしでかしたことは決して許されることではない。我々は淘汰されるべき獣だ。だが、この国が現体制を見直さねばまた同じような獣が生まれるだろう。この国は未だ、貧困、疫癘などで苦しむ者がいるにも関わらず、有効な対策をとっていない。また、我々の与り知らぬ所で勃発したかつての戦乱から立ち直れない者も沢山作った。全てがお上の都合と言わない。自国の権益を守ろうとする姿勢は評価しよう。けれどもその後のあなた方は何か、一つでもよき流れに戻そうと尽力しただろうか。答は否。ただ、時と共に忘れ去られるだろうともみ消すか、傍観者となり、何もしない。これは遥か上の我々の見えない所で権威を振りかざすあなた方の業だ。ただ、我々は自身の境遇に対して何の恨みはない。確かに選択肢は少なかったが、どんな理由があろうとも自身が選んだ道を否定しない。しかしながら先に生きる者たちには疫病から立ち直る選択肢や経済的弱者から脱却する為の選択肢など、多くの選択肢を与えたい。例え、今を生きる者を犠牲にしたとしても。この忌々しい事件を機に少しでも良い方向へこの国が向かうことを祈る」
何度も読み返したのだ。自然に諳んじることが出来るほどに。
「……。随分と血生臭いものを持っているね」
「これは俺のしでかした業の証。そして彼らの生きた証だ」
「彼らの決意はこれほどのものだったとは正直、恐れ入るよ」
無言でランディが深く頷く。
ルーは苦虫を噛み潰したような顔をしながら隅々まで血判状を眺める。
「でもやっぱり、彼らは馬鹿だ。こんな出来事は如何様にでも出来る。過去に彼らのような思想家じみたことをした人は幾人もいる。あらゆる手立てを持って所謂、この国の流れって奴に抗ってた。でも殆どの人が志半ばに倒れたんだ。確かに成功した人も何人かいる。例えば、選挙で広く皆に投票権が与えられたようにね。ただ、少なくとも成功した彼らはこんな愚かな真似はしてなかった。人々を動かすような説得力のある思想に基づいた言葉を用いて結果を勝ち取った。今回みたく恐怖心を煽って人を動かすようなことはやっちゃいけない。それこそ、恐怖は誰も歓迎しない。早く変えなければ、俺たちみたいな奴らがまた出ると言う主張よりも皆でみんなの生活を守る為に多くの選択肢を作ろう。そして先に伝え続けようと言葉で伝えた方が地味で時間が掛かるけど、人々には浸透しやすい。また、変革を求めるにも相手側に付け入る隙があり過ぎて説得力がなさ過ぎる。だってこの血判状一枚を握り潰せば、彼らは単なる賊に成り下がるんだ。それにこれがもし世に出回ったとしても目に余る非道な行いと犠牲を強いるやり方は誰も賛同しない。危険思想として排除されるよ」
血判状を読み終えた後、唐突にルーは熱く語り始めた。完全に不意を突かれたランディは目を丸くしながらも静かに耳を傾ける。
「僕だって少なくともこの二十年を無為に過ごしていたつもりはない。多くの文献を読み漁ったよ。文献は脚色されている物が多いけど、中身から事実、起こったとされる出来事を土台として置き、著者の考え方を学び、新たに自身の考えって奴を模索したよ。他にも……所謂、活動家って奴らの集まりにも参加したことがある。まあ、活動家って言っても大抵は若者の集まりでただ、飲み屋で酔っぱらいながら自身の思想や今の政権は此処が悪い、あの政党には賛成出来るなんて管を巻くだけだったりするけど、真剣に政党立ち上げを考えたりする所もあって色んな考え方に触れられたんだ」
きっと、ルーにも自分が世界を変えられるかもしれないと思う時期があったのだろう。
目の前に広がる世界へ違和感を覚え、それが小さな不満へと成長し、変革を齎したいと考えることは誰にでもある。外界から多くを学び、己の中で情報を纏め、一つの目標を立てて稚拙な思想を編み出すも壁にぶつかり、壁を越えて更に良くするにはと研鑽を積み、思考を鋭く尖らせる。しかし考えれば、考えるほど目標が遠のき、道を見失う。結果が今のルーになったのだ。差し詰め、正解のない答えを求めることに嫌気が差し、何時からか考えることをやめてしまったのだろう。
「まあ、僕には彼らを非難することが出来ない。彼らは純粋に自らの思想と正しさへ殉じた。途中で挫折した僕とは違ってね。おっと、余計な話が過ぎた。退屈させちゃってすまない。今日は自分で言うのも可笑しなことだけど、妙に話したくなってしまったんだ」
「いや、君の話はとても興味深い。誰にも言わなかったけど、本当は自分以外の人が今回のことをどう捉えているかって聞いてみたかった。君なりに冷静な分析をした答えは貴重な意見だ」
どこか疲れ切った声でランディは問うた。
「……もう一つ聞いても良いかい?」
「僕で良ければ、何でも聞いて」
「君は今回の事件を起こした彼らをどう思っているかな?」
「少なくとも彼らに思い入れはない。確かにあれだけ、町を恐怖に貶めた彼らを憎んだけど、もう死人だから言うことはないな。ただ、今はこんなことしか出来なかった彼らに少々の憐みがあるくらいだ」
素っ気なくルーは抑揚のない声でランディに答える。もう関わりたくない。面倒事はごめんだとはっきりした意思が感じられた。
「今の君はまだ、全てを氷解させるには早いみたい。だって君は彼ら盗賊団と同じく、純粋に自分の思想と正しさを忘れていないからね。だから共感し、今も心残りがある。後、優し過ぎるもの……苦しまなくったって良いのに。誰も責めやしない。君の責任じゃないのだから。彼らと言う化物を作ったのはこの血判状にも書いてある通り、王都にいる。本来、責を追うべきは王都で甘い汁を吸い、踏ん反り返って講釈を垂れる為政者たちだ。だが、彼らは言葉巧みに逃げるだけ。そして何よりも……どんな理由があろうとも選択肢を誤った彼ら、盗賊団に問題がある。これじゃあ、負の連鎖だ。負の連鎖は断ち切らないと君が君でなくなってしまうよ。その内、悲観にのまれて恐ろしい化物になっちゃう。そんなのを僕は見ていられない。その考えはフルールも同じだ」