第捌章 第四幕 19P
そんなランディに後腰から刃渡りの長いナイフを取り出し、応戦の構えをするデカレ。右足を一歩、大きく前に出して足を開き、どっしりと腰を据えてナイフを両手で握るもデカレの顔には、憐みの表情があった。自ら、とけない楔を体に巻き付けもがいているさまを見れば、憐みを覚えるのは仕方のないこと。
「はっ……はっ……。今のっ、反応でやっと君の闘っているものが分かったよ。ランディ、君は、つっ―― 死と闘っているんだな?」
真っ直ぐ剣を突いて来たランディにデカレは、確かにそう言った。ランディの体が大きくビクンッと跳ね、剣の狙いが唐突にぶれる。デカレが何もせずとも剣は、あらぬ方向に逸れた。
ランディの動揺が遂に許容範囲を超えたのだ。
「君は、今。正しい行いをしている。なのに何故、戸惑う必要があるのだ? 私は、人の不幸を引き起こす厄災。君の利益も社会的な利益も全てが、私を排除しろと叫んでいる。そして排除した暁には、皆も肯定してくれるだろう。良くやったと」「くっ! ……ぬっ!」
デカレは、ナイフを乱雑に振り回してランディを翻弄する。防戦一方のランディには、受けることで精一杯だ。一歩、また一歩と部屋の中央から壁際に追い詰められ行く。
「君は、甘いな。下らない憐悠や私情に構っている場合では、ない。ただ、何も感じず、考えずに目の前にある現状にだけ目を向けていれば、良いのだ」
「……そんなこと、分かっていますよっ! 俺だって!」
「分かっていないのだから苦しんでいるのだろう! 割り切っているつもりでも後々になって苦しんでいる。何故なら事を起こす時、極端に心を殺すことで今の君は、成り立っている。しかし、それではいつか心が壊れてしまう。だからこそ、君は―――― 後ろを見ては、いけない。背中に死者を背負ってはいけないんだ。君、個人で背負いきれないものなど、忘れてしまえ。少なくとも私は、ランディ・マタンと言う人間だけにそんなことなど、求めてはいない。君は今、救うべき人間に手を差し伸べるだけで良いっ!」
デカレの言葉は、ランディの胸に強く深く突き刺さった。そしてもう、正面きってぶつかって行くしかないことを悟る。仮初の仮面でデカレから逃げることは、出来ない。
「ならば…………ならば、あなた方は、どうしてこんなことをしでかしたのですか! それは、何かを訴えかけたかったからでしょう? あなた方が本当に訴えかけたい人物には、その声が届かない。届くのは、大抵、変革を齎す力のない俺のような者だけです! それならば、前線に立つ者のことを考えるべきであった!」
「人が集まっても金がなければ、動けない。地位がなければ、声が届かない。学がなければ、戦うことも出来ない。ないものだらけの私たちに、それを求めるのは、あまりにも酷な話だろう。逆に言えば、今の君だって目の前の敵の悲鳴など聞かなくても良い場所に居られる筈なのに、こうしてのこのこと前線に立っていることは、矛盾してやいないか?」
真っ向から自分の立場での意見をぶつけ合い、平行線を辿る会話。当然ながら何方も譲る気は、毛頭ない。ランディは、変える力を持って挑めと言い。デカレは、力を持つことのむずかしさを前面に出した。何方も同じように正しく、同じように間違っている。
二人の声が、大きくなるにつれてランディの腕の力も入って行き、剣とナイフが拮抗し始めていた。ランディにもデカレにも譲るなどと言う言葉は、ない。
力で押し切り合い、睨み合う。鉄の触れ合う甲高い不快な音が、響き渡る。
「君は、間違っている!」
「貴方は、間違っている!」
頃合いを見てランディが、体を左に入れ、立ち位置を変えると、踏鞴をを踏みながら陽動でナイフをさり気なく抜き、投げた。ランディの投げたナイフをデカレは、避けるも左胸を浅く切る。されど、何か負傷を負った形跡は、見られない。十分に距離を取ると、ランディは息を整え、足に最大の力を込める準備を始める。真後ろには、双子がいるのだ。後には、引けない。
次で決めると、ランディは、決心したのだ。
ランディを尻目にデカレは、なにやら浅く切れた外套の胸元をあさり始めた。
胸元から半分に切れかかった小さな紙を取り出すと、小さく微笑んだ。
「幸い……私の命は、助かったが、代わりに家族の絵が切れてしまった。最後の思い出の品だった。家族が守ってくれたと思えば、聞こえは良い。けれども少し寂しいものだ」
「っつ―――― この期に及んで……あなたって人はああああああああっ!」
怒りに身を燃やし、ランディは、突撃の姿勢に入る。左足を引き、左足の方へ。距離を推し測りながら持ち方を変えて剣を下段に構えた。後は、その時を待つ。
「そうだ……それで良い」
ランディに聞こえないほど、小さな声でデカレは、言った。ナイフを片手で構え、デカレも迎え撃つ体勢を整える。体の左側を前に出して半身になり、ナイフを正眼に。
全ては、あっという間の出来事であった。
ランディが真っ直ぐ前に突っ込んだのだ。
迷うことなく、真っ直ぐ前に。
デカレは、まるで動く様子を見せなかったかのように見えた。
が、空いている右手で懐に手を突っ込む。
その右手に握られていたのは、拳銃。そう、先の絵の話は、布石。
撃鉄を上げてこの銃をいつでも撃てるようにするのが、デカレの本当の目的であったのだ。
「くっ!」
余裕を持って銃を構え、デカレは、ランディに照準を合わせた。
真っ直ぐに向かって来る相手だ。体の大きな部分に照準合わせるだけ。無理やり動きを変えれば、避けることも可能だが、ランディには出来る筈がないとデカレには、自信が、あった。
何故なら。
「ランディ・マタンッ! 救う力を見せろ! 君の思いを突き通すには―― 死者に対しての思いを断ち切るには、それが必要だ!」
後ろには、双子がいるからだ。デカレは、この時を待っていた。
ランディも既に気付いていた。自分が、避ければどうなるかなど。
だが、葛藤に迷わされる時ではない。一挙手一投足で状況が変わるこの場面に。
即決が出来なければ、それは即ち、死を意味する。
軽い爆発音が大きく、部屋に響く。
凶弾は、遂に発射された。弾丸は、ランディの胸元へ真っ直ぐ吸い寄せられて行く。
その凶弾へランディは、迎え撃つ。
瞳に翠の色がじわじわと広がった。ランディから翠色の光の粒子が、飛ぶ。その光は、生きる力、そのものような輝きに満ちた光だった。瞳の色が全て翠色に変わった瞬間、翠色の光を纏ったランディが、弾丸をいなし、弾の向かう方向を少しずらした。それでも双子には、当たる可能性があった。そして弾は、風を切り双子に向かって行き。
弾かれた。
弾が、外套に触れる正に、その瞬間。
薄い翠の光の膜に阻まれたのだ。翠の光は、弾を弾くと一瞬で消える。
驚き、目を大きく開くデカレ。デカレに向かってランディは、突撃し、銃を持った右手へ剣を力一杯、振り上げる。狙い通り、デカレの右腕からすっぱりと斬り落としたランディ。鈍く重い音を立てて床にデカレの拳銃と右腕が落ちる。デカレは、腕にやってきた猛烈な熱さと痛みに顔を大きく顰める。眉間に皺を寄せ、流れる血をそのままに、最後の抵抗で痛みに耐えながら残る力でナイフをランディに向けた。そのナイフもランディは、血を浴びつつ、冷静に振り上げた両腕の内の左腕で乱暴に弾き、デカレの左手首に向けて剣を振り下ろす。剣の平で手を弾いたのでナイフだけ飛ぶ。血溜りが広がり、無力化されたデカレは、膝から崩れ落ちる。辺りは血の臭いが充満し始めた。