第捌章 第四幕 16P
ランディが一度、剣を下げて剣を持っていない左手を差し伸べる。目元に涙を浮かべ、震える双子は、無言で後ろのデカレを警戒しながらもランディの方へ徐に向かう。
双子とデカレのどちらかを必ず、油断なく見つめるランディ。
珍しく、手に汗を握るランディ。一秒、一秒、緊張で心臓が破裂しそうだった。
目の前まで来た双子。下から不安げにランディを見上げた。近くまで来ると、小さな鼻も大きな目も真っ赤だ。ちょっと前までの鋭さが消え、いつもの苦笑いに戻ったランディは剣をおさめると、屈んで震えている双子を外套の中へ入れて包み込み、力強く抱き締めた。
微弱でも確かに感じる体温。
「うっ……ひっく。わあああああん!」
「うぇぇぇぇん!」
「遅くなってゴメンよ。よく頑張ったね……」
ランディが体に回していた腕を泣き出した子の頭に持って行き、撫でる。子供特有のサラサラな紙が手に絡みつく。此処まで来るのは本当に長い道のりだった。でもその苦労は今、やっと報われたのだ。双子が落ち着くまで少し待ち、泣き声がやんだ後、ランディは立ち上がって扉近くの壁側まで他人から見れば、苦笑いを禁じ得ないほど、ぎこちない動きをしながら後退した。
双子は、ランディの腹にがっしりと捕まり、離れず着いて来る。ルージュとヴェールを支えながら壁際に行くと、外套を脱ぎ、涙や鼻水でぐちょぐちょになった双子の手をやんわりと解き、自分の外套を脱いだ。見捨てられるのかと、不安気に見上げて来る双子へ外套を被せて精一杯、笑いかける。
朝日のように明るい笑顔だった。
「直ぐ終わらせるからちょっとだけ、本当にちょっとだけ待っててね。その間、臭うかもしれないけど、この外套を頭から被って目を閉じて耳を塞いでるんだ。出来るかい? 俺の用事が終わったら直ぐに皆の所へ。ブランさんの所へ帰ろう」
「ひっく、ほ……ほんと?」
「うん、約束するよ」
元気と言う字を体現するかのようなルージュが不安そうに問うた。
たまたま持っていたタオルで双子の顔を拭いながらランディは答える。
「ぜっ、絶対に?」
「ああ、勿論」
大人しい方のヴェールは目にもう一度涙を溜めて言質を取って来る。
そんな二人の頭にもう一度、手を置くとがシがシ撫でて外套に頭からすっぽり包み込み、床に座らせる。ランディは大きな力を貰い、覚悟を決めると、力強く振り返った。
「もう良いのかね?」
「わざわざ、待って貰ってすみませんね」
形だけの言葉の交し合い。
「それにしても子供のあやし方が上手いな」
「こんなもの、慣れですよ。慣れ」
大したことではないとランディは否定する。デカレは、ランディのそっけない返しに笑いを漏らした。
こんな時でも大きくあろうと見栄を張るのは歳の所為か。
「それにしても私が二人を解放して君の憂いはなくなった訳だが……君は何故、まだ此処にいる? とっとと帰れば、良いのにも関わらずだ」
腰に手をやりながら呆れた顔をしたデカレは、ランディの真意を聞いた。
もう目的は達したのだ、グズグズ残る必要はない。
「俺は、この子たちを迎えに来る為だけに来たのではありません…………全てを終わらせに来たんですよ。この物語を終わらせに……」
他人から見れば小さなこだわりでもランディにとっては見逃すことが出来ない。
もう一度、剣を抜いて最後の敵へ向かって行く。
「そうか。ありがたいと言えば、良いのかな?」
「いえ、これは俺が考えた末に出した結果であり。終わらなければ、俺が前に進めないんです」
同じく、刀身が長く、幅が厚い剣を抜いたデカレ。部屋の中央で構え、睨み合う二人。互いに一挙手一投足逃さず、相手の動きを見て警戒する。ランディは右足を前に出して半身で右手のみで正眼に構えた。
剣の重さはあまりないので慣れれば、片手でも扱えるのがランディの剣の特徴である。逆にデカレは、
大きく足を開き、重たい剣を使っている所為もあってか、両手で下段に構えていた。やはり、ランディと比べるとデカレの剣は手入れが行き届いていない。
「手加減出来ないなどと偉そうなことを言う気はありませんが、簡単に死なないでくださいね」
「望む所だ。君も私に足元を掬われないように気を付けたまえ」
まるでこの会話が開戦の合図だったかのようにランディとデカレは互いに右足を踏み込んだ。
カランカランと金属同士の擦れ合う音が部屋に響く。デカレは下から掬い上げるように切り払い、ランディは、振り被っての斬り降ろし。一動作、多いランディには不利に見えるも剣はかち合い、拮抗していた。
鍔迫り合いになるも力はほぼ、互角。ランディは頭一つ分大きい上に体格も良いデカレに負けることなく寧ろ、競り勝つくらいだ。自分より小さな体の何処からこれだけの力が出るのかと、驚くデカレ。一方、ランディは真っ暗な瞳をデカレに向けるだけ。
ぽっかりと空いた穴のように深淵が広がっていた。
この時、デカレはある言葉を思い出す。
「くっ、怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ…………かっ!」
「俺もその言葉、知ってます。哲学者さんの言葉でしたね、確か。前に同じことを言われましたよ。酷いですよね。俺は怪物ですか?」
ランディは小首を傾げた。
デカレの体が震えた。言い知れぬ寒気が、デカレを襲うのだ。
ランディの目を覗き続けると頭が可笑しくなる。
平衡感覚が狂い、視界の隅からじわじわと黒が浸食するのだ。
呼吸が苦しくなり、手足が痺れる。
目線を外し、ランディの剣を振り払い、鍔迫り合いを解消し、後ずさる。
距離が離れてからデカレは苦々しい顔で浅く、呼吸を繰り返す。額には汗が見えた。
強いプレッシャーに襲われて心を乱されたのだ。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
「どうしました? まだ俺は殆ど、何もしていませんよ?」
膝に手をついて呼吸を落ち着かせるデカレ。
肩に剣を担ぎ、デカレの醜態を眺める無表情のランディ。
「……どうやら、私にもまだやるべきことがあったようだな」
「話が噛みあっていませんね。やること? 貴方にすべきことなんてありませんよ」
すくっと立つデカレにランディが鼻で笑う。
右足を一歩踏み出すと、ランディは左から右へ横薙ぎを繰り出す。
デカレは剣を右手だけ逆手に持ち、左肩に担ぐように全身で右からランディの剣を受ける。
ランディは、力押しでは行かず、デカレの剣の上に自分の剣を走らせて左肩から体を引き、いっぱい力を籠めてデカレの腹を左手で殴った。デカレは、とっさにランディの拳を右腕で防ぐ。
「君は何と闘っているのだ? っつ! ランディ・マタン。君は私と闘ってはいない。私の後ろにいる何と闘っているんだ?」
「俺が闘っているのはデカレ、またの名をDと言う盗賊ですよ。他の何者でもない」
グッと拳を握ったランディは、言い返す。一方、デカレはと言うと剣を手放し、胸元からナイフを取り出すと、ランディの首へ向けて薙いだ。煌めく刃がランディの首元に迫る。その刃を頭を下げて掻い潜り、右足から二歩、三歩と後ろへ下がるランディ。今度はランディから距離を取る。左足を最後に着地してその後、間髪を入れずに右足に重心を移して一気に踏み込む。
両手で剣を大きく振り被ってデカレに迫る。
デカレは左手で持っているナイフを逆手に持ち直し、更に右手に添えると待ち構えた。
ランディの剣をナイフで受け止めて腕の力を少し抜いて風をいなすように受け流す。
正面から受け止めれば、力負けをするし、受け止めきれなければ、即ちそれは死を意味する。
一朝一夕で出来る芸当ではないもデカレだってこれまでの人生を平穏無事に過ごせていたならこの場にいることはない。