第五十六話 市内観光の後に(ラビエスの冒険記)
「みなさん、右手側をご覧ください。あちらに見えますのは……」
俺――ラビエス・ラ・ブド――が昨日、レスピラから水先案内娘について聞かされた時に、バスガイド嬢を思い浮かべたのは、やはり間違っていなかったようだ。
頼んでもいないのに、彼女は素敵船を漕ぎながら、スタトの町の観光ガイドを始めたのだから。
「……『カフェフ博物館』といって、今から二百年ほど前に作られた建物です。当時は文字通り博物館でしたが……」
今レスピラが説明しているのは、灰色の大きな建物のことだろう。
五階建ての石造りのビルのようであり、これが俺の元の世界ならば、驚くほどの高さではない。だが、この世界では、珍しいくらいの高層建築ということになるはずだ。
一階の入り口部分は、開放的なテラスのような構造になっており、博物館というよりも酒場の方が相応しいように見えるのだが……。
「……現在では、一階部分を大衆食堂として利用しており、博物館としては機能しておりません」
ああ、なるほど。
レスピラの説明が続くうちに、俺は納得した。
「かつて展示されていた美術品や伝統工芸品、当時の貴重な資料や文献などは、現在では、二階より上で大切に保管されております。それらは、期間限定で一般公開される形になっており……」
「彼女は『大衆食堂』と言ったが、食べ物より飲み物の方がメインみたいだったな」
レスピラの話を聞きながら、センが呟く。
「あそこに入ってみたのか?」
俺が尋ねると、
「色々と調べる中でね。ヴィーさんと二人で、足を運んだのさ」
「古い資料もある博物館という話を聞いたからな」
センとヴィーが、二人で答えを返してきた。
昨日センたちは、俺たちが来るまでの十日間で情報収集に勤しんだ、という話をしていた。その過程で、この『カフェフ博物館』にも立ち寄ったらしい。古い資料などを見ることが出来れば、帰還の旅に役立つ情報も得られるかもしれない、と考えるのは当然だ。
「だが残念ながら、今は一般公開の時期ではなく、文献などを目にすることは出来なかった。宗教調査官として頼み込んでみたが、それでも却下された」
不満そうに回想するヴィー。教会の権威も、万能ではないのだろう。
「だから結局、俺とヴィーさんは、食事だけして帰ってきたのさ。まあ、メシは、まずまずの旨さだったよ」
ここで、話を聞いていたパラが口を挟む。
「センさんは『食べ物より飲み物の方がメイン』と言いましたが……。それって、酒場ということですか?」
「いや、それとも少し違う感じだったな。アルコールの入っていない飲み物の方が、メニューも豊富だったようだ」
どうやら『喫茶店』ということらしい。喫茶店なんて、この世界では――少なくとも東の大陸では――、見かけたことのない種類の店なのだが。
「みなさん、そろそろ『カフェフ博物館』に関しての話は終わりましたか?」
後ろから話しかけられて振り向くと、レスピラが笑顔で、おとなしく素敵船を漕いでいた。そういえば、いつのまにか彼女は、観光ガイドのような語りを止めている。俺たちが会話する邪魔にならないように、配慮してくれていたらしい。
だが、わざわざ「もう終わりですか?」と聞いてきたということは……。そろそろ、ガイドを再開したいタイミングなのだろう。
レスピラの意図を察して、俺たちが頷くと、彼女は再び、町の名所について語り始めた。
「では、みなさん。今度は、左手側をご覧ください。あちらに見えてきたのが『サマルコ塔』、町一番の巨大な時計塔です。その下には、人々が集まる広場があり……」
彼女が示した白い高層建築の方へ、俺たちは一斉に視線を向けた。
そんな感じで、市内観光を兼ねた船旅をしていると、何度も他の素敵船とすれ違う。その度に「素敵船、通りまーす!」という声を耳にするのだが、やがて、その頻度も減ってきた。
また、水路が十字路やT字路のように分岐しているところでは、他の素敵船が見えなくても、レスピラは「素敵船、通りまーす!」のかけ声を発していた。死角から突然、船が出てくる可能性もあるからなのだろう。俺の元の世界ならば、危険な曲がり角にはカーブミラーが設置されているが、ここでは、そのような設備は特に用意されていないようだった。
そのうちに、行き交う素敵船や水路の分岐が少なくなるにつれて、両岸の風景も変わってくる。だんだん建物が疎らになり、ついには一軒も見当たらない地域を進むようになった。
しばらくはレスピラも、おとなしくなったのだが、
「みなさん、前方の右手側をご覧ください」
突然、彼女がガイドを再開する。
見れば、緑の野原が少し盛り上がったところに、無数の風車が立ち並んでいた。風車といっても、日本人がオランダをイメージする際に思い浮かべる『風車小屋』のような立派な風車ではない。まっすぐな軸に細い羽根車が取り付けられただけの、小型のタイプばかりだ。それでも、真っ白な同じ風車が整然と並んでいる姿は、なかなか壮観な眺めだった。
「ここは『モラエヴェンティの丘』と呼ばれる場所で、市内を一望できる、絶景ポイントです。見ての通り、たくさんの風車が、一斉に風を受けています」
「……この風車たちって、どういう目的で設置されているのですか?」
レスピラが言葉を区切ったタイミングで、パラが彼女に質問をしている。
なかなか興味深いポイントだ。俺やパラのような転生者にとって、風車の使い道といえば、真っ先に頭に浮かぶのは風力発電だろう。というより、それしか俺は思いつかない。だが、この世界には電気製品など存在しないから、風力発電という概念もないはずなのだ。
「ああ、その点は、深く考えないでください。昔は、製粉の動力として使われたり、灌漑施設で利用されたりしたそうですが、それらも今は、魔法が使われていますので……」
この世界にも、俺たちの元の世界と似たような機械はたくさんあるが、そうした機械は電気ではなく魔力で動く。工学的な機械の代わりに、魔法式の機械が使われる世界なのだ。
「……今では現役を引退して、単なるオブジェと化しています。そうした風車を、敢えて一箇所に集めてきたのが、ここ『モラエヴェンティの丘』なのです」
歴史に想いを馳せるかのように、彼女は、少し遠い目で語っていた。それから、俺たちに視線を向けて、
「ですが、みなさんにとって重要なのは、おそらく『モラエヴェンティの丘』の地理的な意味でしょう。『モラエヴェンティの丘』を過ぎれば、もうスタトの町から出る形になるからです」
やがて。
水路が、急に広くなった。
ある意味、最初の船着場と似ているかもしれない。川の途中にある湖のような感じ、と言ったら大げさだろうか。異国暮らしの経験がある俺は、初めてアメリカの川で遊んだ時に「日本の川より広い!」と思ったものだが、あの時の感覚に近いものがある。
おそらく、市内を流れる部分だけは、川の両側を少し埋め立てて、適度な狭さに調整してあったのだろう。
その『調整』がなくなったということは、つまり。
少し前のレスピラの言葉通りに、いよいよ、水運都市スタトから飛び出すのだ。
「みなさん、注意してください。町を出れば、モンスターが現れる可能性もありますから。一応、水の女神様の御加護も、いくらか残っているはずですが……」
レスピラが注意を呼びかけるが、その言葉が終わるよりも早く。
「来たぞ!」
モンスター接近の気配を感じて、俺は大声を上げた。
「大陸は違っても、モンスターはモンスターなのね」
「だが、相手が何なのか、そこまでは読めねえな」
マールとセンが、そんな言葉を口にしたように。
大陸が変わっても、ある程度はモンスターの気配も共通のようだ。ただし、あくまでも『ある程度』に過ぎず、モンスターの種類までは全く見当がつかなかった。
だがモンスターの正体については、あれこれ考える必要もない。まもなく、前方から泳いでくる集団が見えてきたのだ。
水面から半分くらい体を出しながら、バシャバシャと水音を立てて向かってくる、五匹のモンスター。その姿は……。
「あれって……。青半魚人かしら?」
書物で読んだ知識と照らし合わせて、そう呟くマール。
東の大陸にも川や湖は存在するので、水棲のモンスターもいるし、それらの情報は図鑑などに書かれている。だから、俺もマールも、実際に見た経験はないにしても、知識だけは持っていたのだ。
人間と同じように四肢があるが、鱗で体を覆われているし、頭はヒトやケモノというより、むしろ魚類に見える。俺たちの知識の中で一番近い存在は、マールの挙げた『青半魚人』ということになるのだが……。
「でも、マールさん。青いのは一匹だけで、他の四匹は、赤く見えますけど……」
パラが指摘した通り、五匹のモンスターたちは、姿形こそ同じだが、色は二種類。赤いタイプと青いタイプがある。赤いモンスターに『青半魚人』という名前は相応しくないだろう。
「おそらく、赤いのは赤半魚人でしょうね」
後ろから、レスピラの声。
彼女は冒険者ではないが、この大陸の人間であるし、素敵船の漕ぎ手だけあって、川に住むモンスターについての知識は持っているようだ。
東の大陸で知られているモンスターの中に、赤半魚人なんて種族は存在しない。この大陸固有のモンスターなのだろう。西の大陸でモンスターと戦う上で、レスピラは、貴重な情報源になりそうだ。
「青半魚人をご存知ならば、その上位互換が赤半魚人だと考えてください。サハギィ系統の特徴として、雷魔法に弱いという話です」
レスピラの言葉を聞いて、早速パラが呪文を唱えている。
「フルグル・フェリット・フォルティテル!」
雷魔法の第二レベル、強雷魔法トニトゥダだ。
一匹の赤半魚人に命中して、かなりのダメージを与えたようだ。
食らった赤半魚人は、もう泳げなくなり、腹を見せてプカプカと川に浮いている。ただし絶命したわけではなく、手脚をブルブルと震わせていた。
この様子を見て、一匹だけ混じっていた青半魚人は、自分が魔法を受けたわけでもないのに、すっかり恐れおののいたらしい。回れ右をして、逃げ出してしまった。
他の赤半魚人たちも一瞬、驚いたように動きを止める。だが、すぐに我に返って、再び俺たちに向かって泳ぎ始めた。
「俺も、パラに負けてはいられないな……」
気合いを入れる意味で、そんな言葉を呟いてみたが。
彼女とは違って、俺は雷魔法を使えない。俺が発動できる攻撃魔法は、風と炎と氷の三系統だ。
水中の敵に対して、炎はダメだろう。敵を燃やす前に、火が周りの水でジュッと消えてしまいそうだ。氷なら、周囲の水ごと凍らせることが出来るかもしれないが、どこまでも冷気が広がったら、その分、威力が分散してしまう気がする。
そもそも、炎も氷も、俺が得意な魔法ではない。ならば、撃つべき魔法は一つだけだった。
「ヴェントス・イクト・フォルティシマム!」
四匹の赤半魚人全体に、超風魔法ヴェントガをお見舞いする。
魔法によるダメージだけでなく、風による足止めも、水中では陸上より効果的だ。周りの水ごと押し戻されて、モンスターたちはバシャバシャともがいている。パラの強雷魔法トニトゥダで気絶した一匹などは、なす術なく、向こうへ流されていってしまうくらいだった。
こうしてパラや俺が魔法攻撃を試みる横では、
「はっ!」
マールが気合を入れて、炎魔剣を振っていた。その切っ先からは、いつものように、斬撃と炎が飛び出すが……。
「水のモンスター相手では、戦いづらいわね」
マール自身、あまり手応えが感じられないらしい。
先ほど俺が魔法を放つ際に考えたように、水中のサハギィ系統に対して、あまり炎は効果がないのだろう。
しかも炎だけではなく、斬撃も威力が弱まっているようだ。水面より上に露出している部分には、普通に効果的だが、水の中に浸かっている部位に当たっても、水がクッションになってしまうのだ。
それはモンスターの方でも心得ているとみえて、攻撃を食らうたびに赤半魚人は、半ば隠れるようにして水中へ潜ってしまう。
おそらく、剣先から飛ばした斬撃ではなく、直接斬りつけた場合には、水のクッションなどものともしないだろう。だが、陸上生物である俺たち人間が、川に飛び込んで戦うというわけにもいかない。
「マール、これを使え! 炎魔剣よりは使えるはずだ!」
俺は魔力を込めて、腰に下げていた風魔剣を、マールに投げ与える。
頷いて、武器を持ち替えるマール。
炎魔剣と同じように振るうと、斬撃と共に、風が放出された。その風は、真空の刃となって赤半魚人たちに襲いかかるだけでなく、一時的に、その周囲の水を吹き飛ばす。ほんの『一時的』ではあっても、斬撃の威力を減らしていた水のクッションが消失する分だけ、風魔剣は炎魔剣以上の攻撃力を発揮するのだった。
そうこうしているうちに。
俺たちの攻撃をかいくぐって、一匹の赤半魚人が、かなり素敵船に近づいてきた。
ザバーッという大きな水音と共に、川から完全に飛び出して、素敵船に飛び乗ろうとする赤半魚人。
武器は持っていないようだが、カエルやイモリのような水かきがついた指の先端は、まるで鉤爪のように湾曲して鋭く尖っている。これで攻撃されたら、こちらも大きなダメージを食らうのだろうが……。
「ようやく俺たちの出番だな!」
「行くぞ!」
それまで手持ち無沙汰にしていたセンとリッサ。武闘家たちが二人がかりで、その一匹に――無謀にも近寄ってきた赤半魚人に――立ち向かう。
「ふんっ!」
「ラゴスバット・クロー! ラゴスバット・クロー! ラゴスバット・クロー!」
センは素手の拳で、リッサは愛用の武器で。
二人が叩き込んだ連打によって、その赤半魚人は、ほどなく絶命するのだった。




