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「ウイルスって何ですか?」――ウイルス研究者の異世界冒険記――  作者: 烏川 ハル
第三章 水の大陸をさまよって

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第五十五話 遥かなる東の大陸へ・後編(ラビエスの冒険記)

   

 宿で一泊して、翌日。

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちは六人で、前日の打ち合わせ通りに、船着場へと向かった。

 指定された船着場は、宿から数分の距離にあったが、考えてみれば当然だ。船を移動手段に用いる『水の都』なのだから、宿のような施設は、大きな船着場の近くに集まるのだろう。元の世界で言えば、駅前が栄えるのと同じような感覚だ。

 実際、その船着場は大きかった。船着場の近辺だけ水路自体も広くなって、まるで湖のようになっており、たくさんの小舟が係留されている。船を繋ぎ止めるための杭も水中からたくさん顔を出しているし、桟橋の数も多い。まあ『駅前』の例えで言うならば、駅前にあるバスターミナルのようなイメージだろうか。

 そんな壮観な眺めを前にして、何か気づいたらしく、パラが口を開く。

「昨日のレスピラさんの話では、素敵船ナイス・ボートの利用客も激減しているそうですが‥‥‥。こうして見ると、とてもそうは思えませんね」

 改めて俺は、船着き場の様子に目を向ける。

 確かに、もっと閑散としているのかと思いきや、かなり多くの人で賑わっていた。人々が次々と小舟に乗り込んでいるし、それを漕ぐのは、昨日のレスピラのような格好をした――手袋とワンピース姿の――娘たちだ。彼女たちも、水先案内娘なのだろう。

「でも、混んでいるところと、いているところがあるみたいね」

 マールが指摘したように、並ぶほど人が多い桟橋もあれば、誰もいない桟橋もあった。後者の桟橋にも、係留されている素敵船ナイス・ボートはあるのだが、客が来ないので、水先案内娘も暇そうにしている。

 まるで、行列のできるラーメン屋と、その近所にある不人気店のようだ。

 元の世界で何度か見かけた飲食店の光景が、俺の頭の中に浮かんできた。

「人気のある素敵船ナイス・ボートと、人気のないところと、はっきりしているようだな」

「ラビエス、いくらなんでも、それは失礼じゃないかしら?」

 俺が思い浮かべたままを口にしたら、マールが、少し顔をしかめた。

 何が彼女の気に障ったのだろうか。

 最初は、わからなかったのだが‥‥‥。

「そうだぞ、ラビエス。素敵船ナイス・ボートの人気なんて、それを漕ぐ水先案内娘次第なのではないか? つまりラビエスは『モテる水先案内娘と、モテない娘がいる』と言いたいのだな?」

 マールに同調するリッサの言葉で、理解した。俺は『ラーメン屋』で考えてしまったから他意はなかったのだが、女性陣には、水先案内娘を評価したように受け取られてしまうのか! しかも、水先案内娘は、バスガイド嬢のような仕事だと思えば‥‥‥。

「いやいや、そういう意味じゃない! 勝手に深読みしないでくれ!」

 慌てて俺がバタバタと手を振ると、見かねたセンが、助け舟を出してくれた。

「あんまりラビエスをいじめるなよ。こいつが女の良ししを口にするようなやつじゃないってことくらい、仲間のあんたらの方が、よく知ってるだろ?」

「まあ、それはそうだけど‥‥‥」

 マールが、無理矢理に納得するかのような口調で呟くと、

「そもそも貴様らは、大きな勘違いをしているな」

 ヴィーも、俺たちの会話に加わってきた。

「私とセンは、この町に滞在している間に、実際に利用してみたから知っているのだが‥‥‥。行列が出来ている桟橋は、町中まちなか専用の素敵船ナイス・ボートなのだ」

 言われて俺は、もう一度、混んでいる桟橋に目を向ける。今も、そこから一艘の素敵船ナイス・ボートが出て行くところだが、乗せている客は、一人だけ。船の大きさ自体も、それほど大きなものではない。

 対照的に、誰も客が来ない桟橋に係留されている素敵船ナイス・ボートは、一回り大きい感じだ。

 なるほど、これも元の世界で例えれば、市内専用の小型タクシーと、別の町まで行くための中型タクシーの違いだろう。元の世界ではタクシーの大きさで移動距離を区別するわけではないから、少し比喩としては不自然かもしれないが。

「ああ、そうですね。『モンスターに襲われるから水運業界が廃れる』というのであれば、あくまでも、それは町の外に限った話。町の中なら、最初からモンスターの心配はないですからね」

 納得したパラが、上手くまとめてくれた。俺の下手な例え話なんかより、よほどわかりやすい説明かもしれない。


「みなさん、ここですよ!」

 遠くの桟橋から聞こえてきた声で、俺たちは、たわいない会話を終わらせた。

 声のする方に視線を向けると‥‥‥。

 レスピラが俺たちを見つけて、手を振っている。

 俺たちが彼女の方に歩いていくと、レスピラは右腕を広げて、彼女の素敵船ナイス・ボートを指し示した。

「どうです? その名の通り、素敵な船でしょう?」

 彼女は誇らしげな口調で、胸を張っている。

 レスピラの素敵船ナイス・ボートは、俺たち六人が全員、ギリギリ乗り込めるくらいのサイズだった。大きめのカヌーのような舟だから、当然、動力は人力だ。これをレスピラが一人で漕ぐのだから、彼女は、見た目よりも力持ちに違いない。

 彼女の素敵船ナイス・ボートは、全体的に茶色くて、いかにも木製といった感じだ。あるいは、素材は違うけれど、木目調に塗装されているのだろうか。ただし船体の全てが『茶色』というわけではなく、その舳先には、他の素敵船ナイス・ボートと同様に、銀色の装飾が施されていた。どうやら、全ての素敵船ナイス・ボートに共通する意匠のようだが‥‥‥。

「こうして見ると‥‥‥。素敵船ナイス・ボートって、みんな先端に同じ飾りがついているのですね」

「おお、本当だ。よく気がついたな、パラ」

 パラは俺と同じ点が気になったようで、一方リッサは、パラに言われて初めて気づいたという様子を見せていた。

 素敵船ナイス・ボートの専門家であるレスピラは、パラの言葉に頷きながら、説明を始める。

「さすが、冒険者の方々は目ざといですね。そうです、この『飾り』こそ、素敵船ナイス・ボートがモンスターを寄せつけない理由なのです」

「ほう、それは私も初耳だな」

 興味深そうに呟くヴィー。俺たちより先に来ていて、この大陸に少しは詳しくなっているはずの彼女も、この仕組みに関しては知らなかったようだ。

「では、お教えしましょう。これは、水の女神様の、気高き姿をお借りしているのです」

 レスピラが、船首にある銀色の装飾を指し示しながら、誇らしげに語る。

「ここは水の大陸です。水の女神様の御加護も、他の大陸以上と言われています。こうしてお姿を借りて素敵船ナイス・ボートに装飾を施すことで、モンスターたちに誤解させる効果があるのです」

「モンスターに誤解させる?」

 興味深そうにマールが聞き返すと、

「そうです。水の女神様が乗っておられる船‥‥‥。モンスターたちは、そう思ってしまって、素敵船ナイス・ボートを恐れて近寄れないのです」

 それが、この大陸における常識なのだそうだ。

 しかし。

「それって‥‥‥。神様を利用しているようなものじゃないのか?」

 俺は、ポツリと呟いた。

 同時に、ヴィーが俺を睨む。まあ宗教調査官にしてみれば、神を利用するなど、不遜にもほどがある考え方なのだろうが‥‥‥。

「いえいえ、滅相もない。そんなつもりはありません。私たちは、あくまでも水の女神様に助けていただいているだけで‥‥‥。それを『利用』と呼ぶなら、神様のお力を借りて魔法を発動させる魔法士の方々こそ、神様を『利用』していることになりませんか?」

 レスピラは、そんな言葉で俺の発言を否定している。

 ヴィーはヴィーで、この件に深く触れるつもりはないらしく、

「なるほど‥‥‥。この大陸では、水の神様を『女神』と考えているのだな‥‥‥」

 別の点に思いを馳せていた。

 そして。

 いつのまにか俺の横に来ていたパラが、俺の袖をくいくいっと引っ張る。何だろう、と思ってそちらを向くと、

「ラビエスさんは‥‥‥。今の話、どう思いましたか?」

 俺だけに聞こえる程度の小声で、パラは、そんな質問をぶつけてきた。

 ひそひそ声にするくらいだから、他の仲間には聞かせたくない話なのだろう。それを思えば、パラの言いたいことも、なんとなく理解できる。

 つまり。

 レスピラの「水の女神様のお力でモンスターを寄せつけない」という話に、疑問を感じているのだ。


 俺とパラは、この世界の魔法の源が神ではなく魔王であるということを、風の魔王と対峙した際に知ってしまっている。この世界で崇拝されている『神』の中身は、実は魔王なのだ。

 だから、この大陸で『水の女神』として扱われている存在も、おそらく正体は水の魔王なのだろう。ならば、素敵船ナイス・ボートの船首でかたどられている姿も、水の魔王の姿ということになる。

 その場合。それはモンスターたちのボスの姿ということになるから、モンスターたちが近づかないというのも、別に恐れているわけではなく、むしろ敬意をひょうしているのではないだろうか。

 そういえば、昨日レスピラが語った中に「川や運河などにいるのは水棲モンスターだけ」という話があったが、ならば陸棲のモンスターに対しては、素敵船ナイス・ボートの効き目はどうなるのだろうか? 「陸棲モンスターのボスは水の魔王ではないから、平気で素敵船ナイス・ボートにも近寄れる」なんてことも、あるかもしれない。

 そう考えてみると、昨日の「二年くらい前から時々、素敵船ナイス・ボートもモンスターに襲われるようになった」という話が、少し別の意味を持ってくる。一部のモンスターの、水の魔王に対する態度が変化したことになるのだ。

 いったい何故そのような変化が生じたのだろうか? かつて炎の魔王の傘下から離れた『炎の精霊』フランマ・スピリトゥのように、水の魔王を見限ったモンスターたちが出現したのか。あるいは、モンスターたちの方ではなく、水の魔王そのものに、何か異変があったのか‥‥‥。


 その辺りのことは、一人で想像してみても、答えが出そうにない。機会があれば、パラと少し話し合ってみたいものだが、今この場では、他の仲間もいるので無理だ。

 仕方なく俺は、

「まあ、そうなのだろうな」

 曖昧な言葉をパラに返すだけだった。

 それで何となく察したようで、パラは「うん、うん」と頷いている。

 一応、仲間に聞かれて困るような言葉は選ばなかったつもりだが、こうして二人だけで会話をしているだけでも、少し怪しく見えたのかもしれない。

「何を内緒話してるのかしら?」

 穏やかな口調で、しかし冷たい目つきで、マールが俺とパラを訝しむ。

「いや、ほら‥‥‥。魔法士を非難するようなこと、言われたからな」

 俺はレスピラの「魔法士の方々こそ神様を『利用』している」発言を、言い訳に使わせてもらうことにした。

 マールは一瞬、考え込むような顔を見せたが、

「まあ、そういうことにしておきましょうか。私たちの中で水系統の魔法を使うのは、ラビエスとパラの二人だけですものね。水の女神様の話には、思うところもあるのかしら」

 とりあえずは納得してくれたらしい。

「さあさあ、みなさん! いつまでも立ち話なんてしてないで、素敵船ナイス・ボートに乗ってください!」

 レスピラの言葉も、良いタイミングになった。それ以上マールに追及されることもなく、俺は女たちに続いて、素敵船ナイス・ボートに乗り込んだ。


 レスピラは、一本の長い棒を手にして、船の一番後ろに立っていた。

 この棒が、パドルなのだろう。先端は水の中にひたっていて、よく見えないが、おそらく平たくなっているに違いない。レスピラは、今の位置に立ったまま、このパドルで船を漕ぐらしい。

「では、出発しますよ」

 俺たちに一声かけてから、彼女は、前を向いて大きな声で叫ぶ。

素敵船ナイス・ボート、出まーす!」

 一応、周りにいる他の船に対する合図なのだろう。

 俺たちが彼女に視線を向けていると、

「市内を回る際に使った素敵船ナイス・ボートも、出航する際には、同じように叫んでいたなあ」

 センが、まるで説明するかのように、そんな言葉を口にしている。

 元の世界で自動車の発進時にウインカーを出すようなものかもしれない、と俺は理解した。

 ちょうど船着場を離れたところで、市内観光用らしい小型の素敵船ナイス・ボートが戻ってくるのとすれ違ったのだが、

素敵船ナイス・ボート、通りまーす!」

「はい。素敵船ナイス・ボート、通りまーす!」

 向こうの漕ぎ手――水先案内娘――とレスピラが、互いに挨拶を交わしていた。衝突を避けるためにも、互いに注意を喚起するような決まり文句が、彼女たちには必要なのだろう。

 これが素敵船ナイス・ボートというものであり、水先案内娘というものなのか‥‥‥。なんとなく理解したような気になって、俺は、レスピラではなく、周りの景色に目を向けることにした。

 そのタイミングで、マールが、ぽつりと呟く。

「船旅なんて、初めてね。もっと揺れるのかと思ったけど‥‥‥。結構、快適だわ」

 彼女の「船旅なんて初めて」という言葉には、俺も同意できる部分があった。少なくとも、キャビンの中という馬車の旅より、肌で風をじかに感じられるという点は、素敵船ナイス・ボートの「気持ちいい」部分だ。

「ああ、そうだな‥‥‥」

 だが詳しく語るのではなく、彼女の幼馴染『ラビエス』として、俺は無難な返事をしておいた。

 確かに、この世界で俺が船に乗るのは初めてであり、オリジナルの『ラビエス』の記憶で知る限り、マールも『ラビエス』も、船の旅は初体験だ。

 ただし俺は、元の世界では、観光地で遊覧船に乗ったり、海で釣り船に乗ったりという経験がある。そうした大きな船の方が、もっと安定感があったと思う。池や湖で小さな手こぎボートに乗ったこともあるが、そちらの乗り心地の方が、素敵船ナイス・ボートとは近いかもしれない。

 とりあえず、迂闊に乗り心地の話は出来そうにないと判断して、景色を楽しむことにする。

 スタトの町に来て最初に、水路に面した家々を見た時、俺は「まるで半ばまで水没しているかのようだ」と感じたものだったが、こうして水路を進む素敵船ナイス・ボートから見ると、少し違った感じに思える。

 この『水路』が『道路』だと考えれば‥‥‥。他の村や町で、建物が地面の上にあって、扉もその高さにあるのと同じことなのだろう。この町の家屋が水面から生えているように見えるのも、水面すれすれの位置に扉が設置されているのも、ごく自然な話に思えてくるのだ。

 そうやって俺が、この町の特殊な建築スタイルについて考えていると、

「水路から直接、入れる建物って‥‥‥。まるで、洪水か何かで床上浸水した家屋みたいですね」

 パラが、そんな感想を口にした。『床上浸水』だなんて、この世界に来てからは俺も使わない単語だが‥‥‥。

「床上浸水? 聞き慣れない言葉だが‥‥‥。玄関口より上まで水に浸かった状態のことか?」

「あら? パラの生まれたところって、氾濫するような大きな川でもあったの?」

 早速、リッサとマールから追及されている。

 どうパラが対応するのか、俺は少し興味もあったのだが、

「いえいえ、私も、実際に見たわけではなく‥‥‥。本で読んだだけです。水の大陸の水の町でなくても、洪水で川の水が溢れたら、こんな感じになるらしいですよ」

 特に困った顔も見せずに、パラは、普通に切り抜けていた。

「へえ。私たちの大陸でも、大河の近くなら、起こり得るのかしら?」

「さあ、どうでしょう? 私が読んだ本は、実際の話というより、架空の物語のようでしたから‥‥‥」

 パラは適当に話を合わせているが、どうせ『本で読んだ』は作り話だろう。

 おそらく、転生前にテレビのニュースか何かで見た映像や写真を思い浮かべて、つい口にしてしまったのだ。

 パラにしては、迂闊な失言だ。もしかしたら、船旅を気持ち良く感じて、気が緩んだのかもしれない。

 ともかく。

 こんな感じで、俺たちの船の旅は――遥かなる東の大陸を目指す旅は――、いよいよ始まったのだった。

   

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