友人と知人とときどき客人 その2
海田が帰った後、楓が知人を連れて帰ってきた。
知人と言うのは、友人と呼ぶべきかわからないからだ。
かといって知人という感覚よりは遥かに仲が良いわけだが。
しかしその前に楓と話がある。
知人をリビングへと促し、楓は俺と一緒に俺の部屋へと向かう。
「まずは言うべきことが、あるよな?」
説教っぽく言うのではなく、楓本人が言うべきことを訊ねる。
「はい。私は大助さんと、せいこうにセイコウしました」
「その言い方は不合格だなー。ちゃんと言ってくれるかな」
「おいおい、セクハラだぜとっつぁん」
「いや変な時にだけ親父にするのやめい」
実際親父なんだけども。
歳は同じだから変に親呼ばわりされるのも嫌なのである。
「私としてはもうちょい驚かれると思ってたんだけど」
「まあそこらへんは紗栄さんから聞いてたからな」
へえーと返事をして沈黙。
「...へ。え、今なんて」
「楓が麻宮さんのこと好きなこととかそろそろなんじゃないかとかいろいろ、酔った紗栄さんから無理やり聞かされたんだよ」
「いやぁぁぁぁぁぁ!嘘でしょ!?嘘って言ってよ広人君!全部知ってたとかありえない!恥ずかしすぎる!...うぅ...ぐすん」
泣くほど恥ずかしいのか。
いやまあ確かに、自分の恋が周知でありながらそれを知らずに恋に奔走する姿は他人から見れば滑稽だろう。
滑稽という言い方は良くないな。
少なくとも俺は温かい目で見守らせてもらった。
たまに笑うこともあったけどそれを滑稽とは言いたくない。
「まあまあ、もう良いじゃないか。俺と紗栄さんは応援するからさ」
しかし、楓が麻宮さんのことを好きだということを知っている人物は他にいないとも思えない。
というかもうみんな知ってると思う。
俺も実のところ紗栄さんから聞くより前に気づいていた。
楓は前からアピールしてたし、むしろ麻宮さんだって気づいていたと思う。
「応援って言われても、もうしちゃったし」
「そうだな」
「あれ?でも私が大助さんのこと好きなのは知っててもなんで今回は、したことまで気づいたの?」
「それはだなあ――
まず、楓は夕飯の後に風呂に入るタイプだ。
楓はいつも麻宮さん宅で就寝し、起床後、朝食をいただいてから斜陽荘へ帰る。
麻宮さん宅での朝食は毎回コーヒーとパン類だ。
だから楓が斜陽荘に帰ってくる時にはコーヒーの香りがする。
しかし、今回は斜陽荘にあるシャンプーやリンスとは別の洗剤の香りがした。
なぜか、それはそういった行為に至った際、汗などの体液を分泌することになり、そのまま朝を迎えるとなると起きた時に気持ちのいい状態とは言えないだろう。
そうなれば男は紳士的にシャワーを浴びることを促す。
だが変に頑な楓は薄着で朝食を食べてから、シャワーを浴びる。
女の子であればシャワーだけであれ髪に気を遣い、シャンプーやリンスを欠かさない。
そうして楓はコーヒーの香りを落とし、爽やかな日向夏の香りでご帰宅した――ということだ」
「え。なに?なんの話だっけ」
これは惚けているのではなく純粋に俺の長すぎる説明が脳を通り抜けていっただけだろう。
「なんでしたことに気づいたのかって話」
「ああ、それか。もうどうでもいいけど、まとめると?」
「いつもと違う香りがしたから」
これで理解するのかはわからないけど本人もどうでもいいと言ってるし、もうリビング戻ってまとちゃんと遊びたい。
「最後に質問。香りが違うだけでなぜあそこまでの推理ができたの?」
どうでもいいのではなかったのかね?
と言いたいところだが応えてあげるが世の情け。
「正直、これは全部妄想とも言える想像に過ぎなかった。ただそれが少し当たってたと思って調子に乗っただけのことだよ」
「へえー。結局どうでもよかったよ」
おい、それじゃ俺が家族の情事を妄想してる変態みたいに締められるじゃないか。
既婚者なのに...。
いや、どうでもいいと言ってるし俺も忘れよう。
「じゃあ母さんにも報告してくるね」
「ああ」
◇ ◇ ◇
楓の報告を終えリビングへ戻る。
海田が言っていたように、もう一般的な昼食の時間になっていた。
俺と亮介と高敷はすでに済ませてしまったが。
「まとちゃんはお昼ご飯食べてきた?」
涼しい顔をして、亮介とトランプタワーを立てていたまとちゃんに訊く。
「いえ、食べてないですよ」
ちなみに高敷はトランプタワーの建築を見守っている。しかし実際はたぶんまとちゃんを見ている。
先程の妹への過剰反応といい、まとちゃんへの視線といい、こいつ幼女趣味でもあるのだろうか、疑わざるを得ない。
「よし!じゃあ俺からまとちゃんに挑戦を申し込む」
まとちゃんへの挑戦とは、作った料理をまとちゃんに食してもらうというものだ。
海田に指導された料理の腕前をこの挑戦で披露してやる。
「ふふっ、私に挑戦?ふふふ、ふははは」
な、なんだこの魔王感。
「私に昼食で挑戦ですか。1つあなたにおもしろい話をしてさしあげましょう」
「なん...だと」
「くふふ、私はすでに才人氏に負けを認めさせています」
それってつまり俺に勝ち目ないのとほぼ同義なのでは?
いや、しかし友人や知人と言えども客人に変わりはない。
最善を尽くし満足させてやる!
「ふっ、それを聞いてむしろ燃えてきたね。今の俺の火力をもってすればパラパラチャーハンなど容易い...」
なに言ってんだろう、我ながら意味不明だ。
「腹は満たしてくれそうですね、少しは期待してあげます」
◇ ◇ ◇
亮介と高敷手伝ってもらいながら調理を終え、料理をお盆に乗せてテーブルへ運ぶ。
「へいお待ち!」
「...感想は食べてからでいいですよね」
その台詞から察するに、俺の負けは確立しているようだった。
正直なところ、俺は最初から勝てるとは思っていなかった。
まとちゃんに料理を食べてもらい、感想とアドバイスをもらいたかったのだ。
せっかくなので、まとちゃんが料理を食べている間、なぜ女子小学生にそんなことを求めるのかというのを含めて、まとちゃんの説明をしよう。
まとちゃん。
これは本名ではない。
そして衝撃の告白、俺はまとちゃんの本名を知らない。
まとちゃんは、楓の同級生の妹なのだが、俺はその同級生も知らない。だから名字すら知らない。
こっそり楓に訊いてみたこともあるが、なぜかはぐらかされた。
まとちゃんを知る人物ならまとちゃんで通じるのだが、俺はまとちゃんを知らない人物も知らない。
まとちゃんの親御さんですらまとちゃんと読んでいるのだ。
誰だよまとちゃんて呼び始めたやつ。
そして最近、本名を知らないのに仲良くしてるという罪悪感が物凄い。
俺はこれ以上の罪悪感を知らない。
このままではまとちゃんの説明がほとんど「知らない」で終わりそうなので、俺が知ってる限りの範囲内で説明を再開しよう。
まとちゃん。
これは本名ではない。
本名は知らないが、この呼び名の由来は知っている。
これには2つの理由がある。
まとちゃんは近くの小学校に通う8才の女の子。
女子小学生である。
巷では、女子小学生をJSと称することもあるらしいが、JSとは呼びづらいので、パソコンのキーボードでJとSのキーの中にあるひらがな「ま」と「と」からきているというのが由来の1つだ。
もう1つは、トマトが好きということからきている。
まとちゃんはいわゆる健康オタクというやつだ。
8才の女の子にオタクというのはどうかと思うので別の称号をいつか授けてあげよう。
まとちゃんが健康オタク(仮)な理由はおそらく親御さん。
両親共に健康食品会社で働いているのが影響しているのではないだろうか。
健康状態を維持する食事を強要されているのではない、彼女自身、健康の知識を身につけることが楽しいのだろう。
楓から聞いたところによると、まとちゃんは学校での成績が良くないらしい。
健康に関する知識は俺の知る限り誰よりも有していると思う。
健康の知識に突出するあまり、学校の勉強が身につかないのだろうか。
小学2年生で躓いているのでは先が心配になるが、この夏休みは勉強を頑張るらしい...弐号室で。
まとちゃんは今日から弐号室に勉強をしに来るようだ。
以上。
俺が知ってるまとちゃん情報、の一部でした。
これくらいが主要部分であって全てではない。
また、適当な時にでも説明しよう。
「ごちそうさまでした」
料理を食べ終えたようなので、簡単にこの「まとちゃんへの挑戦」を説明しよう。
まとちゃんは健康オタク(仮)だ。
そのまとちゃんに料理を食べてもらい、その料理が健康的かどうか判断してもらうというものである。
「どうだった?俺の夏バテ防止メニュー」
季節は夏、ということで夏バテ防止をコンセプトとしてみた。
具体的なお品書きは、「豚肉と木耳の卵炒め」「ニラ玉スープ」「とろろ(山芋)」の3品。ちなみに卵炒めにはたまねぎも入っている。
「先に点数を挙げますと、100点満点で40点です」
半分もいかないか。
自信は無かったものの、俺なりに調べはしたのだ。
例えば、この山芋。
あのヌルヌル――ムチンとかいう食物繊維が胃を保護したり、たんぱく質の吸収を促進したり、コレステロールや糖分が腸で吸収されるのを防いだりする効果がある。
「まず、この山芋。すりおろしてありますが、皮は入っていませんね」
「うん、皮があると食べづらいかなとおもって」
「そう考えてしまうのは仕方ないです。最近の食文化では、皮や土に近い部分は好まれませんからね」
確かに、わざわざ皮を剥いて調理する食材は多い。
「食材全てがそうとは言いませんが、自然薯は皮ごと食べられるのが特長です。そして皮の近くに自然のエネルギーがあります。さらに皮を剥くことで自然薯の風味も減ってしまうのです」
「ははあ、やっぱりまとちゃんの解説は勉強になるよ」
「ありがとうございます。最後に1つ、良かったところですが、ちゃんとダシでのばされていたところが良かったです。ただ、それにも補足があります」
自然薯の特長には粘りの強さもある。8才の女の子に食べさせるのだからやはり食べやすいように調理するべきだと、料理人の小さな魂が芽生えたのさ。
「使ったダシはどんなものでしょうか?」
「ええと、カツオに醤油味」
「それでも良いですが、おすすめはシイタケに醤油味です。きのこ類には食物繊維が、山芋にはカリウムがあまり含まれていません。この組み合わせで互いにすくない栄養素を補い合えるのでおすすめです」
「参考にさせてもらうよ」
と言ったところで楓が海田と共に弐号室に戻って来た。
「んっ。まとちゃんが来ている」
「むむっ。昼食ができている!」
「まだ温かいからはよお食べ~」
キッチンにいる楓に向かって投げ掛ける。
あれ、海田もまとちゃんのこと知ってるのかよ。
「あの、解説とアドバイスは後日でもいいですか?」
おっと忘れていた。
まとちゃんは勉強しにここへ来ていたのだった。
「うん。後っていうかいつでもいいよ」
「ありがとうございます」
そう言って食器を片付けようとする。
しかし俺がそれを制止する。
「ああ、ダイジョブダイジョブ。俺がやっとくから」
まとちゃんはすみませんと呟き、手提げバッグから夏休みの課題を取り出した。
◇ ◇ ◇
――数時間後、と言っても既に陽は沈み、月が夏の夜を照らしている。
「今日もありがとうございました。お風呂までいただいてしまって」
風呂上がりでしっとりとした肌のまとちゃんを玄関で見送る。
当然だが子供1人で夜道を歩かせるわけにはいかないので帰宅には紗栄さんが付き添う。
ついでにあちらの親御さんへの挨拶もできるし。
「毎度のことだけど気にしなくていいよ。夏休み中は結構家に来るでしょ」
「旅行と雨の日以外は行く予定です。明日も来ます」
「小学生低学年で友達がいないとはどういうことかね」
紗栄さんが若干咎めるように言う。
「友達はちゃんといます。ただ学校以外では遊ばないだけです」
今時JSはこういうものなのだろうか。これでいいのだろうか。
まとちゃんが放課後や休日に斜陽荘へ来ていることで、友達と深く進展していないのではないかと考えると不安になるし、責任も感じる。
「それに、私が行きたいからここへ来てるんです」
「そっか...」
それ以上なにか言いたそうだったけど紗栄さんは最後に、
「今はそれでいい」
と言ってまとちゃんの手を握った。
「それじゃあまとちゃんまた明日ね~」
俺が手を振ると、まとちゃんはお辞儀をして遠慮がちに小さく手を振り返す。
その人影が見えなくなり、弐号室へ入った。
彼女から連絡が来たのはその時だった。