室町戦国時代【2】
2 戦国時代
※一般的な評価やイメージとは異なる評価となるので、思い入れのある方には、悪しからずご了解いただきたい。
様々な人物が登場したが、その中に注目すべきものがある。
(1)伊達政宗
突破力のイメージがあるが、実は平和的な外交交渉力に秀でており、奥州制覇の内実は合戦勝利ではなく、調略によるものである。
(2)北条氏
初代早雲は、突破力のイメージだが、実は様々な勢力の間を巧みに浮遊し地位を高めた人物である。
2代氏綱は、巧みな外交力で関東の統合をすすめた。
3代氏康は、豪傑のイメージだが、実は地道な努力で支配の維持につとめた。
4代氏政は、勃興する新勢力(織田など)に対し対抗力があった。
5代氏直は、敗れたためダメなイメージだが、豊臣や徳川の間を巧みに浮遊し生き残りを模索した。
(3)上杉謙信
猛将のイメージだが、実は陰謀で対立勢力を次々に打倒した。突破力も兼ね備え、ゆえにこの時代では最高の武将の一人である。
(4)武田信玄
猛将のイメージだが、実は身内への統制力は秀でていたが、対外的な交渉力を欠いていた。ゆえに完全支配は、甲斐一国にとどまった。
ちなみに、父信虎は外交力があったが、身内の統制力を欠いた。
子の勝頼は、正道を歩んだが、独善的なため家臣の離反を招いた。
(5)今川義元
織田に敗れたため一般評価が公家的とか失政したとかになっているが、実は天下を目指すにふさわしい巨大な存在だった。特に秀でていたのが外交力で、東海3国を統合できたのはその能力による。織田に敗れたのは、たまたまだった。
(6)朝倉氏
織田に敗れたため一般評価が低いが、敏景は人望力があり足利義昭が頼る動機となった。義景は一国を統治する能力を有していたが、他への力はなかった。
(7)斎藤道三
全く正体不明の怪人である。生涯名乗った名前が8つもある。(公式には3つ)全部名乗ったとすると、とんでもない飛び抜けた能力者ということになる。まるで、私の姓名判断を知り尽くしているような感じを受ける。私見によると、知略政略と陰謀力を欠き、それ以外は全て有している。欠いているこの2つの能力は、下層からのしあがるのに必要なものである。どうも、初めから然るべき地位にあったようである。商人出身というが、たぶん宣伝用出自だろう。
(8)浅井長政
織田の同盟者である小さな大名というイメージだが、天下を目指すにふさわしい巨大な存在だった。外交力により発展した。もし織田が出現していなければ、天下を取っていた。織田はそれに薄々気づいていたから、後、近江に本拠を置いた。近江という場所が浅井を育てたと考えたから。
(9)細川←三好←松永
下克上の例として、有名。ただ、正確にいえば、足利←細川←三好←本願寺←松永。この中でいちばんの人物は、松永久秀。陰謀力があったのである。
(10)毛利元就
この人物も外交力に秀でており、中国地方をその能力で統合した。
なお、尼子経久や大内義隆は他国を統治する能力を欠いていたため、征服しても支配を維持できなかった。
(11)長宗我部元親
四国を統合した原動力は、陰謀だった。
(12)大友・島津
大友義鎮(宗麟)は、知略政略に長けていた。
島津義久は、突進力ある猛将である。
※以上を見ると、外交力に秀でている人物が、各地方の統合を果たしていることが分かる。合戦に強いだけでは、限界があった。
ただ、外交交渉力が戦国末期に脚光を浴びたのは、戦いと分裂に飽いたという当時の機運の現れであろう。
外交力があったとしても生かせていない人物がいるのは、それだけでは意味がないことを指している。家臣に、欠いた能力を補うだけの巨大な存在がいることが発展の原動力と思われる。伊達、今川、浅井、毛利には人がいた。(浅井氏の旧臣は、豊臣の力となった)