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鎌倉建武南北朝【5】

10 南北朝内乱



このように成立した足利政権。尊氏の突進力と直義の知略政略により、また赤松や佐々木の組織力により安定するはずだった。

なぜ、混乱したのだろうか。


(1)1336~1348年、南朝勢力を各個撃破


足利政権は、全武士の支持を集めた。

南朝勢力にも人材は豊富にいたが、各地に孤立しそれぞれに潰されていった。


(2)1350~1358年、足利内紛


尊氏の弟・直義と、尊氏の側近・高師直とは、非常に仲が悪かった。旧勢力妥協路線、対、旧勢力打倒路線が一般的な評価。実は、二人のキャラは真逆だった。直義は知略政略に秀でているので、理屈っぽくしかも回りくどい。それに対し師直は直感的に行動し、強い突破力でいく暴れん坊キャラだった。ただどちらも、人望を欠いていて支持が離れた。

尊氏は、師直に味方した。同じようなキャラで、共感があったのだろう。また、弟に頼りきりになり頭が上がらなくなり、不満だったかも。

結局、両方とも殺された。



(3)1358~1392年、南北朝統一


内紛でゴタゴタしている間に、各地では火事場泥棒的な争乱。

特に九州では、足利への反抗心に富む懐良親王が、指導力のある菊池武時、陰謀力のある五条頼元を従え、実力者だった。1371年に探題として赴任した今川貞世は指導力と知略を兼ね備えた人物だったが、それでも鎮圧に25年もかかった。


3代将軍足利義満のとき、ようやく内乱が収まった。義満は、アニメ一休さんのイメージがあり派手な印象だが、リアルには非常に真面目なキャラの地味な人物だった。義満を支えた管領・細川頼之がその陰謀力をいかんなく発揮し、美濃の土岐氏や山陰の山名氏ら有力大名を無実の罪に陥れ滅ぼした。両者ともこの頃はそれほど実力はなかったが、細川が芽を摘み取ったのである。

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