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2-2

 一階まで下りたあと、僕はリビング(らしき部屋)へと向かった。この部屋は他の部屋よりも一段と広い。暗くて何も見えないけれど、とにかくいろいろなものが置かれてある。前に足音の正体を確かめるために歩き回ったから、そのことは証明済みだ。慌てて探したおかげで、いろんなものに頭やら足やらをぶつけたから。


 リビングに入り、時計を探そうとしたのだが、そこで僕は、明かりが必要なことに気がついた。何か照らすものがないと、時計が見つかったところで何にもならないじゃないか。うっかりしていたのか、そのことをまったく考慮に入れていなかった。僕の足は、リビングと廊下とを結ぶ境界線辺りでピタリととまってしまった。


 部屋の明かりをつけることはできない。これはもう、足音の正体を探していたときからはっきりしている。どれだけ壁に手を触れていっても、電灯をつけるためのスイッチがどこにも見つからないのだ。時刻を確認するためには、電灯以外の明かりを確保しなければならない、ということである。僕はだんだん苛立ちを感じはじめた。目的としているものがどんどん離れていくようで、ひどくじれったかった。それでも明かりを探すしかないのだから、そうするほかないのだが。


 そこで、今度は人ではなく明かりを見つけるべく、部屋の捜索を始めることにした。懐中電灯か何かがあればいい。あるいは携帯電話の明かりでも用が足りる。ごそごそと物を動かしたり引っ張ったりしているうちに、僕は母親と姉のことを思いだす。彼女たちはよく、テーブルの上に置いて、携帯電話を充電していた。充電しながら携帯を操作していたこともあった。もしそういうことが最近ここで実施されていたとしたら、きっと携帯はテーブルの上とか、電源ケーブルの近くにあるはずだ。それで僕は、まずは部屋の壁周辺を探してみることにした。ケーブルが手や足に引っかかったりすれば、それを辿ってみたりもした。しかし、なかなか目的のものには辿り着かない。電子機器を充電しているようなケーブルには出会えない。しばらくそういう捜索を続けていたが、壁を一周してきてしまうと、匙を投げてしまった。携帯などの電子機器はこの部屋にはないのだ。結果的には、体のあちこちを何かにぶつけたりしただけだった。


 そこでさらに気づいたことがあった。時刻を確認するのが目的であれば、わざわざ携帯を使って壁掛け時計を照らさずとも、携帯に表示されている時間を見れば、それで達成されるじゃないか、ということだった。携帯に限らず、たとえばテレビをつけても時間は確認できる。そのほかにも、僕の知らない方法で時間を知る方法はたくさんあったのだろう。そのことを思うと、僕が今までやって来たことが何だかひどく馬鹿らしく思えてきた。僕は手をとめて、その場に座りこんでしまった。自分のしていることが何だったのかが突然わからなくなり、その虚無感からか、力が入らなくなってしまった。


 このままここで、朝になるまでじっとしているのもいいかもしれない。僕にできることは、もう何もないのだ。それならばいっそ、何もせずじっとしている方が良い。何も考えず、ただ時が経つのを待つこと。それはどんなことをするよりも幸せなことに思えた。この暗い空間も、そのようにしていればいつかは明るく拓けてくるかもしれない。


 けれども、ただ一つ、眠ってしまうことだけは避けたかった。理由はわからないが、それだけはしてはいけないと自分自身が警告しているのだ。眠ってしまったら、何もかもがリセットされてしまうぞと、自分が自分に向かって脅しをかけてきている。この意味はまだ理解できない。けれどもこの命令の重要さはわかっている。これは本能的なもので、だいたいの状況に置いて、そのような勘は当たることが多いのだ。そこで僕は眠らないよう努めようとしたが、じっとしていると、うとうとしてしまうことはどうにも避けられなかった。


 外からは風の音が聞こえる。眠る前と同じだ。その音に混じって、パラパラという雨粒の音もしている。とすると、また降りだしてきたのだろう。耳を澄ませていると、雨脚はどんどん強くなり、次第に風の音をも凌駕するほどにまで成長した。ぼんやりしているうちに雨は最高潮に強くなっていった。僕は恐れた。また雷が鳴るのではないか。果たしてそれはその通りになった。雨の音に混じって、その音をさらに突き破るような大きな轟きが、部屋を貫通してこちらまでやってきた。瞬間的に体がびくりと震えて、声が出なくなってしまった。


 雷も雨も、世界がこのまま壊れてしまうのではないかと心配してしまうほどの強さだった。恐怖は以前と同じくらいにまで膨れ上がった。やはり、慣れるということがない。雷はいつまでも雷として存在している。音が鳴るたびに体は小さくまとまり、心臓も収縮した。こうなってしまったら、僕はもう、耳を塞いでこの恐怖にじっと耐えるしかなかった。


 しかし、しばらくしてから、部屋の外で音がした。それは雷の音に負けないくらい大きな音だった。少なくとも僕にはしっかりと聞こえた。足音だ、とほとんど反射的に感じとった。誰かが玄関から侵入してきたのだ。そこで体を満たしていた恐怖はみるみる消えていった。背後から雷の落ちる音が聞こえたが、その音はもう、僕の体を震わせはしなかった。


 あのときと同じだ、と僕は思った。眠る前、二階の部屋でうずくまっていたときも、同じようなタイミングで足音は侵入してきたのだ。雨が降り、雷が鳴って、そのあとで誰かが家にやってくる。それがどういう意味を果たしているのかはともかくとして、僕は一旦、身を潜めることにした。不用意にあちらを警戒させてしまったら、また、知らないあいだに消えてしまうのではないかと心配していたからだった。


 風と雨と雷の音に混じって、足音が着実にこちらまで届く。ぎしりぎしりと床を踏みしめる音、それはますますこちらに向かって近づいてきているようだった。今度はどこへ行こうかという迷いのあるものではなく、目的地を定めた人の確かな足取りだ。音が不規則でなく、リズムよく響いてきている。そのことからも、以前の足音とは別の足音だということははっきりしていたのだが、僕はどうしても、この足音は以前と同じものなのではないかという疑念を捨てきることができなかった。もしかして、僕は前の時間をやり直しているのではないか? あまりに現実離れした考え方ではあるが、その可能性も、なくはなかった。なぜなら、以前と同じことが、多少違ったかたちであれ、繰り返されているのだから。雷の音、足踏みの音。どちらもが僕を惑わせ、どこかへと引き連れていこうとしているようだった。


 僕は自然と、足音のする方へと近づいていった。僕が同じ局面を繰り返して体験しているのかどうかなんてわからない。時間が確かめられない以上、その証拠を得ることは難しい。しかし、そういうことは一切関係なく、僕はこの家に侵入してきた人物がいったい誰なのかに興味を抱いていた。前と同じだ。前も確か、二階から一階へと下りてきたのだ。足音の正体を確かめるために。その人と対峙して、どうするのかはまだ考えていない。びしょ濡れで、非常につらそうにしていたら、風呂の一つでも入れてやるかもしれないし、ただの泥棒であれば、雄叫びをあげて追いだそうとするかもしれない。どうなるのかなんてそのときになってみないとわからない。とにもかくにも、僕は足音に惹きつけられるようにして、暗い部屋を歩いていった。向こうに気づかれないよう、音を立てないように。幸い相手は気づいていないらしく、足音が乱れることはなかった。雷の音がするたびに僕の体はびくりと反応してしまうが、我慢すればどうにでもなった。


 とそのとき、僕は何かにぶつかった。不意の一撃を受けて、僕は後ろへと吹き飛ばされてしまった。初めは、またもや家具に衝突したのかと思ったのだが、それにしてはやけに弾力のある衝撃だったなとあとになって思った。一旦あちらにめりこんで、その反動で突き飛ばされたといった感じだ。僕は床に思いきりぶつけた尻をさすりながら、何が起きたのかを確認しようとする。だが目の前は相変わらずの暗闇だ。何かが見えるというわけでもない。それでも僕は、必死になって何かを見ようとした。耳も澄ませてみた。するとあることが、すぐに判明した。


 足音が消えていたのだ。外から聞こえる音を除けば、家の中はしいんとしている。


 それで僕は確信した。僕がぶつかったのは、足音を立てていた張本人だということを。

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