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 雷が鳴っている。ゴロゴロと、果てしなく。少し前から鳴り始めた。にもかかわらず、雷は僕が生まれる前からずっと鳴っていたんじゃないかと思えてくる。いつまでもこの夜が終わらないんじゃないかと思えてくる。もちろん終わりはあるだろう。しかし、もし終わりがやって来たとしても、それで本当に終わるのだろうか? そして、次に何が始まるというのだろう? 臆病な僕には何もわからなかった。ただ、陰気で真っ暗なこの部屋に一人、うずくまっていることしかできなかった。


 また、鳴った。皮膚を切り裂いてくるような音だ。雷に当たった人がどうなるのかは知らないけれど、きっと雷が直撃すれば、全身が切り刻まれるような痛みでいっぱいになるのだろうということは想像がついた。僕は落雷によって四肢がばらばらになった女の人を思い浮かべてみた。そしてそのあとで、すぐにこの妄想を消し去った。こんなことを想像するのはいけないことなのだ。本当にそういう目に会っている人がいるのかもしれず、もしそうであれば、このような想像をした自分に何だか罪があるみたいだ。僕はもうこれ以上、追いつめられたくはない。雷の音だけで手いっぱいなのだから、あとのことはできるだけ、そっとしておいてほしい。


 体を小さく丸めているため、心臓の鼓動する様子が脚に伝わってくる。心臓は不規則に動きつづけていた。それは僕が息を吸うたびに早くなり、息を吐くときには静かになった。だが、雷の鳴る音が聞こえたときの反応はいつでも一緒だった。その瞬間、心臓は最も高鳴る。暴走したポンプみたいにして、がなり、うなり、叫び、そして僕の体全体の調子を著しく損わせてくる。このような情けない状態でいる意味が、僕にはわからない。ただ、ベッドの脇で縮こまっている姿勢が最も楽だったので、こうしているにすぎなかった。ほかに楽な体勢が見つかれば、こんな格好などすぐさまやめるだろうが、今のところ、その予定は僕にはない。残念といえば残念なことに。


 雷、と言っても、僕が恐れているのはそれの発生に伴う音に限られていた。稲光には恐怖を感じなかった。それに対して恐怖心を抱くことが、そもそもできないのだ。今、僕のいる部屋はどの窓も厚いシャッターで覆われており、外の様子がまるっきり見えない。だから僕は、雷の姿には恐れをなさないが、それの発する音には大きな恐怖を受けてしまう。恐怖の対象が分散していないだけ、その恐怖はより一段と強められている感もある。耳を塞いでもその音は聞こえてくるようだった。どこへ逃げてもその音は僕を追いつめてくるようだった。あるいは僕の考えすぎなのかもしれない。しかし、この解き放たれた奔放な想像力を、僕自身の力だけではとめることができないのもまた、本当のことだった。


 いつまでこうしていなければならないのだろう。僕にはこの夜が一生終わらないように思えた。雷の音はどこか、永遠を感じさせるものが含まれている。時間の経過による慣れがそこにはないのだ。いつ、何度聞いても(僕にとっては)恐怖そのものであり、軽減されるということがない。その恐怖は量としてあるのではなく、あるひとつの、増えもせず減りもしない確定した「一」として存在している。その音はもはや独立した現象と化しており、僕の中では雷の像と音とは別個のものとしてある。外の景色が見えていればこんな考えには至らなかっただろう。雷の鳴っている様子が見えれば、そのあとに来るゴロゴロという音に対して相応の準備ができる。しかし、部屋はシャッターで固く閉ざされている。開けようとしても無駄だった。まず窓を開閉させることができない。部屋はずっと黒いままだ。よって僕は、雷の音だけに恐怖せねばならず、その音はいつ終わるかという予想を立てることができないために、いつまでも続くのだという想像をしてしまう、というわけだった。


 だんだん眠くなってきているようだ。あまりにおびえすぎたせいで、疲れてきているのかもしれない。だがもしもうまく睡眠に入ることができればこれほど幸運なことはない。眠っているあいだは音におびえることがなくなるだろうから。たとえおびえていたとしても、そのおびえを意識することは一切なくなるだろうから。そこで僕は、目をつぶることにした。瞼が閉じられても目の前の暗闇の色が変わることはなかった。ただ、その質感が変わっただけだった。


 しばらくして僕は目を開けてしまった。眠ってはいけないのだ、という天啓を神様か誰かから受けとったわけではない。目を閉じていると、どうしても想像力が高まってしまい、頭の中でこれみよがしに妄想が大暴れするからだ。さきほどの、雷に打たれた女の人の像は目を閉じてすぐに現れた。それからも、雷にまつわる嫌なイメージが次々に浮かび上がってきた。そんな調子で眠れるわけもない。おかげでさっき感じた眠気はどこかに飛んでいってしまった。また、最初からやり直しである。僕の心はもういっぱいいっぱいで、限界に近かった。どこかの時点でこの状況を打破しないと、とても身が持たないと僕は思った。


 ちょうどそのとき、家に誰かの入ってくる音が聞こえた。音は確かに下の階――一階から聞こえてきた。初めに玄関を開閉させる音がして、それから家に侵入したことを示す足踏みの音がこちらまで明瞭に響いてきた。僕は不思議に思った。外はこんなにもうるさいのに、微かな足音を聞き逃すことがないなんて。だが、足音は本当に、雷の音をかいくぐってこちらまで届いてくるのだからどうしようもない。それは雷と同じく、耳を塞いでも聞こえてくるような、重々しい音を立てていた。


 一体誰なのだろう? こんな真夜中に、それも、外はこんな天気だというのに。僕は足音に懸命に耳を澄ませて、そこから少しでも情報を得ようとした。廊下を歩く音はだいぶ不規則で、速くなったり遅くなったりしている。音を立てている張本人も、僕と同じように、この家の真っ暗闇な様子に辟易しているのかもしれない。そのときに僕は、雨を一時的にしのぐために、誰かがこの家に入ってきたかもしれないと思った。思っただけで、何の確信もないのだが、その予想は時間が経つにつれて、そうに違いないというものへと変わっていった。


 それが合っているのかどうかはともかくとして、誰かの足音という異質のものが入ってきたおかげで、僕の心はいくらか安定を取り戻すことができた。雷も足音も恐怖の対象だ。どちらも僕の体を震わせる。でも、恐怖が一つから二つに増えたことで、そこには差が発生する。音は量的なものに変換されて、増減可能なものになる。恐怖の度合いが調整できるようになるのだ。僕は数学はあまり得意じゃないけれど、数を数えることくらいはできる。そして、いざそれらを数にして表してしまうと、今まで感じていた恐れは、風船がしぼむようにして小さくなっていった。僕の体は生き生きしはじめた。今ならば立ち上がれそうだと思った。


 そこで僕は、体を動かしてみることにした。感傷的な少年から、勇気ある男へと変わるのだ。ものごとはそこまで単純ではなく、立ち上がるのにかなりの努力を要したが、僕はどうにか体を立たせることができた。その段階に達すると、心に巣食っていた恐怖の塊は大方分解されていた。心臓はもう、音を立ててはいなかった。僕は家に侵入してきた人が誰なのかを特定するために歩き出した。部屋の扉はなかなか開かなかったが、力を込めるとどうにか開いた。

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