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DDT  作者:
16/16

DT死すべし 2

「騒がしかったね」

「……そうだな」


 当たり障りのない会話に、とりあえず俺は視線を窓際へと移す。いきなり二人きりになってしまったせいか、どんな顔をすればいいかわからない。

「そういえば、さっきなんだった?」

「……へ?」

「さっき、何か言いかけなかったっけ?」

「え。あ、ああ……」

 突然蒸し返された数分前の出来事に、俺は慌てて返事する。さっきまでいた人たちがあまりにもうるさくて、忘れていたのも事実だったりするけれど。


 ――返事を、聞かせてくれないか。


 いまさらそんなことを尋ねる勇気も、機会を失ってしまった俺にはない。

「……いや、別に」

 それだけ言って、俯いた。昔からの悪い癖。わかってる。だけど、チャンスってのは、すなわち勢いっていうのも本当だ。

「そっか。それならいいんだけど。じゃ、私行くね」

 ふっと笑って、夏生がパイプ椅子を引く。

「え、どこへ?」

「私もいったん家に帰るよ。人がずっといたりしたら、慧ちゃんだって疲れちゃうでしょ? 一応病み上がりなんだし」

「ちょっと……!」

 静かに立ち上がろうとしたその腕を、俺は無意識のうちに握っていた。


「…………」

 大きな目を見開いて、夏生が俺の顔を見る。

「もう少し、そばにいて欲しいんだけど」

 チャンスとは、すなわち勢い。わかってる。十分すぎるほどわかってるって。

 ――だから……。

 俺は問いかけるんだ。


「夏生。俺、DDTじゃなくなったらしいんだ」

「……みたいだね」

 腕を握られ、中腰になった夏生は、さっきまでより幾分か俺との距離が近くなる。

 俺の首に、夏生をつないでいたあれはもう存在しない。俺がDDTから解放されたと同時に、夏生も俺から解放されたというわけか。

「じゃあ、俺が目覚めたときには知ってたんだ」

 小さくこくりとうなずいて、夏生は「うん」と静かに答える。

「夏生は海棠さんの部下、なんだっけ」

「一応、そういうことになってるよ」

「じゃあ……」

 ――もう俺は、用済みだろうか。

 そんな、ネガティブな問いかけばかりが浮かんでくる。もう要らない? もう必要ない? DDTじゃなくなったら、死なない存在になった俺は、もうどうでもいい?

 ――違うだろ。

 今、俺が聞くべきことは。


「夏生……」

 小さく呟いて、俺は握った腕に力を込める。

「慧ちゃん? 痛い……」

 腕をぐいと思い切り引っぱって、俺は夏生のバランスを崩した。夏生の足が宙に浮いたのをいいことに、俺は夏生の全身を、俺のほうへと引き寄せる。

「好きだ」

 完全に前のめりになってしまった夏生をぎゅっと抱きしめて、その耳元で俺は言う。勢い余って、夏生が蹴り飛ばしたパイプ椅子が倒れた音がしたけれど、そんなの別にかまいやしない。あいにくここは最上階の個室だし。

「け……ちゃん?」

 真っ赤な顔をわずかに上げた夏生に対し、俺は再度繰り返す。

「……好きだ。夏生が好きだ。夏生が誰を好きだろうと、DDTでなくなった俺に興味がなかろうと、とにかく夏生が好きなんだ」

 まるで馬鹿の一つ覚えみたいに。

 ――ただ。


 好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ……と。情けない俺はそれにとにかく理由をつけて、ありとあらゆる理由をつけて、夏生に好きだと伝え続ける。始めて会ったとき。距離を置いていた中学生のときも。修学旅行でも。大学受験の一日前だって。

 そして、今も変わりなく。


「俺は、夏生が好きだ」


 強く夏生を抱きしめて、俺は言った。

「……わかったよ」

「いや、わかってない」

 訳もわからず強気に出た俺を、夏生がぎゅっと抱きしめる。

「そんなの、もう……ずっと前から、わかってるよ」

「なんだよ、それ」

「だってこれは、当然なんだよ」

 にやりと悪戯っぽく、夏生が俺に向かって笑う。

「慧ちゃんは、私から逃げられない。そう仕向けたのは私。……知らなかった?」

 呆気にとられた俺に、夏生がそっとキスをする。

「慧ちゃん」

 唇が離れた瞬間、夏生がくすりと声を漏らす。柔らかな吐息が、俺の唇を温める。

「ものすごい阿呆面」

「それは言いすぎだろ!」

 確かにちょっと、いやかなり驚いたのは事実だけどな。キスだってまだ二回目だしな。

「海棠さんを仕向けたところで、慧ちゃんがやれないのはわかってたんだ。だって、慧ちゃんが好きなのは私でしょう? 海棠さんとの一件でもあれば、本音を見せてくれるかなって。そう思った。だけど、もしかしたらって不安になって……、結局邪魔しに行っちゃったけど」

 ふふっと、夏生は声を殺して笑ってみせる。

「でね、ここでひとつ、慧ちゃんに残念なお知らせ」

「…………?」

「海棠さんが言ってたんだけど、DDT、本当のところいつ反応が戻ってもおかしくないんだって。今、たまたま反応がなくなっただけかもしれないんだって。菊池教授がいる手前、言わなかったみたいだけど」

 クスクスと笑い声を漏らしながら、夏生はさも嬉しそうに俺に言う。

「……マジかよ、それ」

「さあ。どうだろ」

 悪戯っぽく夏生が笑う。

「どうだろ、じゃないだろ。死活問題だろ、俺にとっては! 夏生ももうちょっとくらい心配してくれたって……」

「そんな必要、ある?」

 不敵な笑みを浮かべた夏生が、俺にもう一度キスをする。さっきから俺、やられっぱなし。

「夏生……?」

 きょとんとする俺の耳裏に、夏生が冷たい指先をそっと絡める。

「もしかして、前みたいなの、またやってくれんの?」

 なんて、問いかけた俺が馬鹿だった。夏生はそれこそ全力で俺を突き飛ばすと、顔を真っ赤にしてキッと俺を睨みつける。

「や、やらないよっ! やるわけないじゃん。あれはホント切羽詰ってて、ギリギリだったから勢いでやれただけで」

「えー……」

 不満の声を出した俺に、グーで思い切り正義の鉄拳。

「あんな恥ずかしいこと、二度とやらないから! 私、初めてだったんだよ? あんなこと、やったこともないし、やられたことももちろんないし! こっちはいっぱいいっぱいだったっていうのに、慧ちゃんは断ってくるしさ」

「……うっ」

 痛いところをつかれてしまえば、もう何も言い返せない。

「……ごめん」

「本当に反省してる?」

 眉間にしわを寄せた夏生が、俺の頬をぐいと引っぱる。むぎゅうと頬を、容赦なく左右に引き伸ばす。

「ふぉめ……」

「わかってるよ」

 俺の両側の頬が最大限に引き伸ばされたところで、夏生はぱっと指を放した。

「私のため……でしょ?」

「…………」

「そういうとこ、無駄に優しすぎ。でもそんなところも……私は好き」

「え……」

 あまりにさらりと言われたせいか、俺の鼓膜は音を拾えなかったらしい。

「夏生?」

 きょとんとして問い返す俺に対し、夏生は真っ赤に頬を染めている。

「もう絶対、当分言わないからね!」

「おい、ちょっと待て。もう一回! 俺、あんだけ言っただろ」

「数言えばいいってもんじゃないよ!」

「言えって……!」

 夏生の腕をぐいと引き寄せて、その目をじっと俺は捕らえる。セミロングの髪が揺れる。

「……今回だけだからね」

「わかってる」

 わずかに視線を逸らして。小さく溜息を吐いて。そしてふたたび視線を戻し、まっすぐな眼差しで俺を捕らえると、そのまま夏生の唇は静かに俺の耳元へ。


「慧ちゃん、大好きだよ」


 わずかに見える、夏生はすでに耳まで真っ赤で。俺もたぶん、夏生以上に赤いと思う。だってさっきから、心臓の音が尋常じゃない。

「……俺も」

 結局、それだけ言うのが精一杯。

 さっきは何であんなに言えたのだろうと思うけど、ヘタレな俺には今はこれで限界だ。勢いとたぶんタイミング、それを失った俺は紙よりぺらい存在だ。それでも、本気を少しでも伝えるために、俺はもう一度両腕に力を込めて、夏生の全身を抱き寄せる。


 大好きな、夏生がいる。それも俺の腕の中。

 だからたぶん、俺が再びDDTになる日は来ない。来ないはずだ。来ないといいと思う。


 それだけを、俺は心の底から切実に願っているのだ。


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