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DDT  作者:
14/16

逆転オセロ 2

 俺が出て行ったときと同じ場所に、夏生は立ったままでいた。俺もまた、静かに部屋に入っていく。深呼吸をする。その呼吸音さえ響くように。今度こそ誰もいない。本当に部屋に二人きり。

 だからまず、これだけは言わせてくれ。

「……ごめん」

「反省しているならいいよ。許してあげる」

 案外あっさり夏生は言った。それでも、そういう夏生の目は真っ赤。いったいどれだけ泣いたというんだ。


「……そういえば、着替えたんだな」

「当たり前でしょ」

 ここにいる夏生が着ていたのは、さっきまでのピンクパジャマではなく、それこそ高校の部活動で着るような色気皆無なTシャツとジャージ。今の夏生とあのときの夏生を思い比べ、俺は思わずまじまじと夏生の姿を見てしまう。

「ちょっと、慧ちゃん」

 その視線に気づいたのか、夏生は居た堪れないといったふうにジャージの下をずり上げる。ちらりとへそが隙間に覗く。

「……何見てんの」

「い、いや……」

 キャミソール風のパジャマはパジャマで扇情的だったが、チラリズムというのもそれはそれで扇情的だよな。なんて、いえるわけないだろ。

「……いやらしい」

「…………」

「何で何も言わないのよ」

「…………」

 睨みつけるように見上げる眼差し。ヤバい――これは……かわいすぎる。

「男なんてみんな、そんなもんです」

「何でいきなり敬語なのよ……っ」

「……フラグ」

 馬鹿すぎることを呟いて、俺は夏生を抱きしめる。

「ちょっ……?」

 すっぽり納まった腕の中、最後の半音シャープが夏生の動揺を示している。

「ちょっと、慧ちゃん?」

「本当は意味なんてない」

「ちょっとってば……!」

 抗う夏生を、俺は力で押さえ込む。本気になれば、夏生の反撃など一秒たりとも許しはしない。

「もうしばらく、このままでいいだろ?」

 何もいわない夏生の行動を、俺はイエスと受け取った。

 触れたそばから伝わってくる、夏生の体温。心音すら、聞こえそうなぎりぎりの距離。夏生が微動するたびに触れる髪が、肌が、全身に電流を走らせる。……ぞくぞくする。

「……夏生……」

 俺は小さく名前を呼んだ。


 ――今なら、言える気がする。


 こくりと俺は息をのむ。涼兄はなんでもないと言っていたけれど、結局俺は夏生から、何一つ聞いてはいないのだ。夏生が誰を好きだとか。誰と付き合っているだとか。俺のことなど、恋愛対象になんて思っていなくとも。


 ――それでも、俺は……。


 だから俺は、それを伝えることにする。

 真実を伝えて、そして玉砕ならそれもまた、ありってもんだと俺は思う。虚言はもちろん許さない。悪いけど、夏生の嘘ならなんだって、見抜ける自信が俺にはあるんだ。

「……あのな……」

「……なに? 慧ちゃん」

 わずかに夏生がしゃべるだけでも、それだけで振動が伝わってくる。これだけで、全身から血液が噴出しそうな自分に思わず眩暈する。

「えっと……」

 口ごもる俺に、夏生はそれ以上何も言わない。ただ、待ってくれている。いつもであれば、いったい何なのとか、早く言いなさいよとか、そういったことを絶対口にするはずなのに。

「一回しか、言わないからな」

 大きく深呼吸すると、俺は夏生を抱いた指先に、もう少しばかり力を込める。

「俺は……」

 口を開いた、そのときだった。


「……っ!」

 背中に走る、鈍い痛み。トスッと何かが刺さる音。わずかに口を開けたまま、俺の神経はいやがおうにもある一点へと集中する。背中から全身に広がる、何か不可解な脱力感。それがいったい何のせいかなんてわからぬまま、俺の意識がぐらりと揺れる。


「慧ちゃ……」

 目の前にいる、夏生の姿がぶれてくる。

 ――ちょっと待てよ……!

 ここで言わなかったら、一生言えない気がする。ここで言えなかったら、それこそ生涯何も変わらない。

「夏生……っ!」

 夏生を呼ぶ。とりあえず俺は、大声を出して呼んでみる。だけど、鈍い痛みはすばやく全身を駆け巡り、俺の意識を乗っ取っていく。

「……っ」

 唇の端を噛み締める。口腔内に、じんわりと鉄の味が広がる。

「……きだ」

「……ちゃん?」

 不安げに見つめる、夏生の顔。

 俺は夏生の肩を両手でしっかり握り締めると、勢い任せにその唇にキスをする。大きく見開かれた夏生の目。カツンと歯の当たる音。

 ――仕方ないだろ。キスなんて、一度だってしたことないんだ。

「夏生が好きだ……」

 それだけ言って、俺はそのまま夏生の体に倒れこむ。顔に触れる、夏生の人肌。柔らかい胸。

 ――すっげー、気持ちいい……。

 眠気が増す。これ以上、どうにも目を開けていられない。

「慧ちゃん……!」

 耳元で叫ぶ、夏生の声すら遠くなる。


 だけど、俺が目を閉じてしまう寸前、揺らぐ視界にピンぼけの状態で見えたのは……。

「悪く思うな。状況が変わったんだ」

 小さな声でそう呟く、海棠さんの堂々とした姿だった。


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