プロローグ
「ふぁああ……」
俺が目を覚ますと、目の前にあったのは煌々と輝く太陽だった。まるで、夏のような……。
――いや、夏だ。暑い。
雲ひとつない青空には、ジリジリと日差し照りつける太陽があるのみだった。
体中の汗腺という汗腺から汗が吹き出てくるほどの暑さ。
なにか、おかしい。
その俺の予感はすぐに現実のものとなる。
俺は辺りを見回す。一面が草覆い茂る草原だった。そよ風が吹き抜けるたびに、草が音を出してなびく。
おかしい。俺は先の今まで、自分の部屋のベッドの上で寝ていたはずだ。
何の変哲もない、ごく一般的な高校生である俺、平坂マサトは冬休み最終日を悶々とした面持ちで過ごし、明日から始まる三学期へ向けて睡眠をとっていたはずだ。
それがどうだ? 現在地は草原。あたりに家らしきものはない。また、季節は寒さが身にしみる極寒の冬だったはずが、太陽からの日差しが痛いほどの猛暑、夏になっている。
さらにいうなれば、何故か先程まで着ていた寝巻きを身につけていない。その代わり、赤々とした後ろに背広のあるコートを身にまとっている。全身赤づくめだ。
そして――、
「――なんだこれ? 剣……?」
右手を少しばかり動かしてみると、そこでガチャりという金属音があり、そこには同じく黒々とした先の尖ったいかにも切れ味良さそうな剣が落ちていた。剣の持ち手との交差点には赤い宝石のようなものがキラリと輝いている。
何故こんなものが……?
俺は全く事態が把握できず、ただ呆然と雲一つない青空を仰いでいるだけだった。
そんな俺の耳にある音が聞こえてきた。
「きゃーっ!」
明らかに人間に悲鳴だった。しかも、声の高さから推測するに若い少女の声だった。
その時、俺は即座に助けなきゃという感情が渦巻いた。
そう考えた刹那に身体が動いていた。
傍にあった剣を右手に握り締め、俺は疾風のごとく声のした方向へ疾走していった。
――なんだか、身体が軽い。
何故かそう思えた。身体が軽い。今までに経験したことがないくらいに。
気がつけば、俺は風のような瞬足で走っていた。周囲の景色が流れるように動いて見えた。
そして、しばらくするとだだっ広い草原の中に突如現れた一本の木の下で声の主と思われる小柄の栗色の髪をした少女がふたりの「なにか」に取り囲まれていた。少女は俺より少し年下に見えた。
なんだ、あれは……?
その「なにか」は人間でありながら普通の人間ではないように思われた。頭に角を生やし、鼻が高く、目つきが鋭い。人間に似ていて人間ではない。直感でそれが伝わってきた。
「おい、人間。その剣を渡してもらおうか」
「いやっ。ダメッ! これだけは、渡せない!」
「なら、力づくでも奪い取るしかないな」
そいつたちは力づくで、少女が腕に抱えている青い宝石のついた剣を奪い取ろうとしている。
「やめろ! その女の子から手を離せ!」
俺がそう叫ぶと、そいつたちは手を止め、ふと俺の方に目を向ける。目は俺を目つきだけで殺すような鋭い目つきだ。殺気が伝わってくる。
「なんだ、貴様。人間如きが、俺たち魔王軍に楯突こうなど千年――いや、一万年早いわ!」
荒々しい殺気立った声音に一瞬足が竦む。
しかし、俺はそれに屈せず声を上げた。
「その少女から手を引かないなら、俺が――相手だ!」
その時、何を考えてその言葉を発したのか解らない。正気ではなかったのかもしれない。
俺は右手に握りしめていた黒光りした剣の矛先を相手に向けた。
正直、剣で敵を倒すゲームはしたことがあっても、実際に剣など振るったことはない。
だが――、
――今なら、やれる気がする。
「いい度胸だ。一瞬で始末してくれるわ!」
連中の内、ひとりが重厚そうな剣片手に襲いかかってくる。
俺は、剣を振りかざす地点をすり抜け、即座にがら空きになっている敵の背後に回り込む。そして、背後に剣を勢いよく振りかざす。――いける。
しかし、その刹那、敵がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「――避けてっ!」
少女の悲鳴に似た叫び声が轟く。
――なに!?
背後にいた俺に、空いていた左手を差し出し、手のひらから黒い光の玉を作り出したのだ!
「ふんっ。終わりだ!」
敵の勝利を確信したそんな呟きが鼓膜を震わせる。
ダメ、なのか?
一瞬、俺はもう駄目だと諦めかけた。何なんだ! あんな弾、反則だ。
俺は失念しながらも反射的に剣でガードした。当然、ただの剣では防ぎきれないだろう。
しかし、奇跡は起きた。
その魔法弾は、剣に当たるや否や跳ね返されたのだ。
「な、なん――だと!」
敵の顔から生気が消え、驚愕の表情を全体に浮かべる。
また、傍で心配そうに状況を見届けていた少女もまた驚愕の表情を垣間見せた。
「おい、あれ――、あの剣って……!」
「まさか、そんなはずはない! 例の剣は、この女が持っているはずじゃ……!」
連中のひとりが何かを叫び、それに続いてもうひとりも続ける。どちらも戦慄し、立ち尽くしていた。
「さあ、まだやるのか?」
俺の挑発的な一言に、連中は恐怖に似た焦燥感を浮かべ、
「ま、参った! 今回は手を引く。だから――、見逃してくれ!」
「この通りだ!」
連中は、命乞いとばかりに膝を地につける。俺は、そこまで性格が悪ではないので見逃すことにした。取り敢えず、少女が助かったのであればそれでよい。
俺が剣先を明後日の方向へ指すと、連中は猫から逃亡する鼠のような素早さで消え去った。
「大丈夫か?」
俺はすぐさま少女のもとに立ち寄った。少女は安心しきった柔らかい表情で、
「ありがとうございました! 本当に助かりました。このご恩は一生忘れませんっ」
深々と頭を下げる少女。
俺はふと思う。これまでの人生で、人助けなんて考えたこともなかった。でも、初めてやってみて感謝されて、自分でも人の役に立てたのだなと実感できた。
「ところで、あの、――その……」
聞いていいかのと戸惑うような表情を浮かべながら、勇気を振り絞り訊ねようとしている少女。
「なんだい?」
「あなたは、『勇者』なんですよね!」
キラキラと希望を溢れさせ目を輝かせる少女。ゆ、勇者……?
勇者って、あの勇者か? ゲームとかの主人公で、悪党と戦うかっこいい奴だよな。
「いや、そのぅ――俺は、平塚マサトっていうただの一般人なんだけど」
俺は少女の期待を裏切ってしまうことに少々心を痛めながらも、本当のことを言った。
「マサト……さん? 勇者のマサトさんですね? 解りました! 私は、サキです」
いや、全然解ってないじゃん。
第一、勇者ですか? とか普通、訊ねないでしょ。
普通……?
俺は、重要なことを思い出した。
「なあ、サキ。ちょっと、訊きたいことがあるんだけど。ここ、何処?」
「えっ? ここですか? この場所は、センタワマール王国のミシッピタウン郊外にある草原ですけど……」
俺はその言葉を聞いて驚愕するとともに戦慄した。
センタワマール王国? なんだその名は? 王国って言うんだから国名か?
世界地図を見てもそんな国はなかったはず……
なんだ? ジョークなのか?
いや、それにしては変だ。俺は、自分の部屋にいたはずだ。それが、今、草原で人助けをした。
ならアレか? よくマンガとかである、異世界に主人公が行ってしまった、とかいうアレか? いや、そんなのあるわけねえ。あんなの、フィクションだ。
ここは、現実世界だ。そんな非科学現象的な事象が起きるはずがない。
だが、現に起きているこの状況はどう説明できる。
俺はしばらくの間、頭を抱えた。そして、最後の望みをかけて訊ねた。
「なあ。日本って国、知ってるか?」
「日本、はて――そんな国、この世界にはないですよ?」
素直に純粋な目で俺を直視しながらそう答えるサキの言葉は、その時の俺には他のなによりも回避したかったものだった。
とんでもないことにどうやら本当に俺は、
――異世界にやって来てしまったようだ。