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「お前がそんなに傷つくなんてな」


 しばらく声を上げつつ悶絶するも、疲労を感じ小休止に入ったところを狙って、カミロが物珍しそうに言った。

「図太いだけかと思っていたが、本当に吐くとは思わなかった」

「私ほど繊細な人間は、この世に存在しない!」

 細やかなことで心を削って生きているのだ。顔で笑って心で泣くを地で行く人間に、なんという無礼な。

「そんなに辛かったのか?」

「そりゃあ、だって彼氏もいたことないのに……」

 元の世界では、それはもう、清楚を絵に描いてセーラー服を着せたような存在だった。

 スカートは膝丈、髪は肩にかからない長さ、化粧禁止は遵守。そこらの男などとりつく島もないし、だいたい私は女子校だったのだ。彼氏など都市伝説だった。

「それが知らぬ間に、私の貞操がないものになっていたなんて! しかもカミロと! うわあああ……!」

「……俺で不満か」

「不満しかないわい!」

 噂の中でも私の貞節を奪うと言うのなら、そこらの男で足りるはずがない。最低でも神様、妥協して王族あたりなら許してやろう。

 それが、こんな、不名誉な。

 おまけに私が、カミロに振られたという設定にまでなっているのだ。これを嘆かずして、世の乙女はなにを嘆くと言うのだ。

「うううう、私はまだ処女なのに!」

「それを聞いて俺にどうしろというんだ」

 カミロの低い声に混ざって、彼が身動ぎする気配がした。私はそんなことはお構いなしに、おのれの不幸を泣いて嘆く。

 そろそろ涙も枯れ果てそうだが、そのときはこの血を涙にしてまで泣く所存である。

「一刻も早い噂の解消を求める!」

「噂の解消、か。……どの部分だ」

 間近に人の気配がした。カミロがベッドの端にでも腰を掛けたのだろう。淑女の部屋と言うのに、礼節のなっていない男だ。そんなことだから、こんな妙な噂も縦横無尽に駆け巡るはめになる。

「行くあてがない、という部分なら解消してやる」

 耳元でカミロの声が聞こえて、私ははっとした。

 ――いや待てよ? 私にはまだ救いがあるはずだ。

「お前が――――」

「行くあてなら、ある!」

 跳ね起きた途端に、私は頭上に強い衝撃を受けた。


 脳髄飛び出さんばかりの衝撃だったが、私の渾身の一撃を喰らったらしい頭上のなにがしかも、痛い目を見たようだ。

「カミロ! 近っ! あぶなっ!」

 ベッドに身を乗り出していたらしいカミロは、顎のあたりを押さえて苦悶の表情を浮かべていた。

「お前……周りくらい見ろ」

 鋭く私を睨みつけるが、顎を腫らしていてはその威圧感も半減だ。そもそも、人のパーソナルスペースに入って来る方が悪い。



 痛む額を撫でて気を取り直すと、私は改めて言った。

「あてはある! これはもう、元の世界に帰るしかない!」

「元の世界?」

 私は神妙に頷いた。

 この不名誉を負ってしまったからには、もはや残された道はこれ一つだ。次代の聖女も来たことだし、考えてみれば私がここにいる義理は全くないのだ。

「神官長に頼み込んだから、帰る方法を探してくれているはず。今度急かしてこよう」

「……なに?」

 カミロはすっと瞳を細くして、低い声で言った。

「聞いてないぞ、俺は」

「言ってないからね」

 その話をしたのは実に今日。カミロに言うタイミングは実に今。今日は半日、カミロは護衛から離れていたのだから、伝える暇もあったものではない。

 しかしカミロは不満そうだった。常日頃から固定されがちな渋い顔が、今は倍増しである。

「帰る方法があるなどとは、聞いたことはない」

「でも、神官長は、『過去に帰った例がないわけではない』って」

「少なくとも、俺の知る限りでは、いない」

 いやにはっきりとカミロは言い切る。

「いや、でもそれって、帰りたいと思わなかったからで、元の世界に戻ろうと思えば戻れるんじゃ?」

「……俺が生きている間に、聖女が元の世界に戻る儀式は二回行われた。二回とも失敗だ」

「…………マジで?」

 カミロは真面目な顔で頷いた。大マジだった。


 ゆえに私は、再びベッドの上に身を丸め、しとしとと泣くことに相成った。

「騙された。絶望した。大人は汚い」

 だいたい何が『ないわけではない』だ。どんだけ曖昧な言い草だ。これだから政治屋というものは信用ならないのだ。女子高生の純真を弄んだ罪は、神官長との次回の対面時に償ってもらわねばなるまい。

 私は身をよじり、なにやらうごめく虫のように震えながら嗚咽を漏らす。今日の枕の濡れっぷりはすさまじく、絞れば一杯の水が出るだろう。期待したぶん、嘆きは深かった。

「大人しく諦めろ。他の聖女だって、この世界でそれなりに上手くやっているんだ」

 カミロは相変わらずベッドの端にでも腰かけているらしく、彼が呆れた息を吐くたび、涙で目の前が見えない私にも、その動きが伝わって来た。

 軽く言ってくれるが、それで諦めるような潔さなど持ち合わせてはいない。なにしろこちらの世界に残っても、いずれは橋の下警備員としてのお勤めが待つばかり。

「…………とりあえず、元の世界に戻る儀式とやらはやる」

 やって駄目なら、神官長の命もそれまでと言うことだ。あの世でいるかわからない神に対面し、私の元の世界への帰還を直訴するがよい。

「そんなに元の世界に戻りたいものなのか?」

「当たり前だ!」

 理解できない、と言いたげなカミロに、私は声を張り上げた。

 あっちには両親、兄弟、友人、プラモ。今までの生活すべてがそろっているのだ。

 電灯が夜を刺し、店も人も眠らない町、東京。の近くに住む微妙に田舎な関東一円も、この世界に比べたらよほど都会だった。ああコンクリートジャングル、無気力な若者と死んだ目をした大人たち。今はなにもかもが懐かしい。

 実際、私の住んでいる町はどちらかというと、田んぼが広がる地域だったが。田んぼの傍に自販機が立っているのは、いつもいつもミスマッチで、誰が買うのだろうと思っていた。よく考えたら、主に学校帰りの私が買っていた。それもまた、今は愛しい思い出かな。

「コンビニ行きたいゲームしたいラーメン食いたいトイレは水洗がいい。やっぱり帰りたい」

 元の世界は良いところばっかりだな!


 カミロがもはや、何度目かもわからないため息をついた。

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