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 さて、憂鬱な夜がやってきたわけだ。

 日中に貴族たちが集まって、そのまま流れ解散なんてことになるわけがない。しかも聖女召喚なんて、国を挙げての一大事業。上から下まで貴族と言う貴族が儀式のために城に押し掛けるのだ。

 それならもう、その後は盛大な夜会をするしかあるまい。


 だから、そういうのは事前連絡をしておけと言うのに。


 ○


 イブニングドレスを着せられて、私は一人夜会に放り込まれた。と言ってもさすがに侍従の一人や二人は連れているが。

 聖女の清らかなイメージを大切にするために、真っ白なドレスだ。そんな清らかな人間を夜会なんて俗なところに連れて行く神経が知れない。

 今日の夜会は、ショウコは欠席だった。新しい聖女は召喚から約十日後に、神殿でお披露目がされる。こちらの世界での最低限の知識と常識を身につけるための猶予期間だ。私の聖女引退も、そのぶん先延ばしである。


 残り少ない聖女業、心してかかるべし。

 私は憂鬱を押し隠し、胸を張って夜会に立つ。


 ○


 舞踏会場は、中庭の人口池を前にした場所ある。

 繊細な石造りのホールで、咲き乱れる鮮やかな花々に囲まれた姿は、外から見るもよし、中から窓の外を眺めるもよし。平素はあまり人が立ち入ることもなく。恋人同士の逢引きにもよし。静けさと美しさが、その身を包むであろう。

 しかし今は夜である。精一杯燭台に明かりを灯しても、電気も知らない途上国では花の影すら拝めまい。ホールの中には貴族たちが所狭しとひしめき合い、静けさとは無縁の状態だ。楽隊の演奏は騒がしさに飲まれ、耳を澄ませなければ聞こえない。

 石床に足音を響かせ、ホールの中央ではダンスをする男女の姿があった。給仕の召使いたちは忙しなく行き来をし、飲み物をばらまいては回収している。


 私は一通りホールを物色すると、聖女を求める老若男女の会話攻勢を潜り抜け、最終的に壁際に落ち着いた。

 いやあ、さすが聖女様。一歩進むごとに話しかけられる。最初は一人一人に合わせて話をしていたが、いい加減レパートリーも足りなくなると言うものだ。後半はずっと天気の話をしていた。

 そんな徒労の会話に疲れて、私は騒がしいホールを遠目に、壁際で休んでいたのである。すかさず侍従の一人が飲み物を調達してくる。


 甘いだけの砂糖水を飲み、私は息を吐いた。

 夜は深まり、夜会はますます賑わいを増す。一方で、短期間で親密な仲になった不届きな男女が何組か逃走し、少しばかりホールの見通しが良くなった気がする。

 私だって相棒でもいれば、逃走に臆することはない。一人で夜会を抜けるならば、ホールの周囲を警備する兵たちに理由を問いただされるだろう。しかし男女二人なら、彼らもよく承知したものだ。男男二人の逃走にも広い心でもって対処するらしい。

 カミロでもいれば、やつをだしに抜け出すことができるのに。今日のカミロは貴族としての出席で、私の護衛は休業中だった。

 ならば何のための護衛かとも思うが、別にこの国に危険がないのだから仕方ない。はっきり言って飾りだ。万が一の不届き者が出たとしても、肉の盾である侍従たちいるから安心である。身をもって私を守りたまえ。




 しかし、こうして壁の花となっていられるのも、そう長い時間ではなかった。聖女ゆえか、私自身のカリスマゆえか、人々は私を放っておいてはくれないのだ。

「ナツ様、ごきげんよう」

 ぼんやりとしていた私に、そう声がかけられる。聞き覚えのある声にうんざりと見やれば、そこには見慣れた少女の姿があった。

 私とは対照的な真っ赤なドレスをまとう彼女は、鋭い視線をこちらに向けている。長い茶色の巻き毛を、挑発するように掻き上げると、不遜な態度でこう言った。

「お話、よろしいかしら?」

 彼女の表情は敵意に満ち満ちていた。私の顔をこれでもかとねめつける。一方の私は彼女のけしからん胸を見ていた。以前、同い年と聞いたことがあったが、胸囲の年齢は一回りほど違うらしい。

「ナツ様?」

「はいはいはい」

 苛立った彼女に、私は顔を上げた。

 彼女は胸もけしからんが、顔もなかなかにけしからん。大人びた化粧に見え隠れする少女的な幼さは、男という男を全方位的に撃ち抜く魅力を放っていた。

「ごきげんよう、イレーネ様。もちろん、あなたとお話ししたいと思っていたんですよ」

「まあ、光栄ですわ」

 イレーネと言う名の少女は、そう言って微笑んだ。

 これにて茶番の開始である。


 ○


 イレーネは上位貴族の末娘だ。

 エリート貴族でお家は安泰。跡取りである彼女の兄は、良いところの嫁を貰って子供をこさえた。姉たちも適当な家に嫁に行って、他の貴族に対するパイプも万全。向こう百年の栄華は約束されたようなもの。

 そうともなるともう、末娘としては遊ぶしかあるまい。

 毎日のように開かれるあちこちの夜会に顔を出し、生まれながらの勝ち組人生を謳歌していた。彼女の声は鈴のよう、彼女の笑顔は花のよう、彼女が泣かせた男の数は、星のよう。

 そんな彼女にも、思い通りにいかないことがあった。


「ナツ様、聖女としてのお勤めを終えられるのだそうですね。驚きましたわ」

 イレーネは嬉しさを隠せない、という様子で言った。

「こんなに短期間なんて、私、初めて聞きましたの。奔放な方とは思っていましたけれど……」

「そうですねえ。至らない聖女で申し訳ありません」

 私がしおらしく頭を下げると、イレーネがとんでもない、と首を振った。声色も弾むようだ。

「いいえ、私、感謝しているのです。これで、カミロ様が護衛の任を解かれますでしょう?」

「……ああ」

 そういうことになるのか。カミロは聖女の護衛として、私についているのだ。私が聖女を辞めれば、当然、彼に私の身を守る義理はない。

 それで、イレーネは喜んでいるというわけか。

「護衛なんて、窮屈なお仕事ですもの。あの方も、やっと夜会に顔を出してくださいますわね。……ナツ様、今夜のカミロ様をご覧になりました? 本当に、生き生きとされているのですよ」

「――――見かけておりませんね」

「そう……きっとお一人の方が、お気を休められるのでしょうね。案外、早く護衛の重責から離れたかったのかもしれません。だから、ナツ様と――」

 最後の言葉を濁し、イレーネは勝ち誇ったように笑む。


 イレーネが近衛兵のカミロに長く恋心を抱いているというのは、その筋では結構有名な話だった。

 家柄のつり合いも取れるし、見た目も互いに見劣りしない。なにしろイレーネ本人の積極的なアプローチもあって、いずれはこの二人がくっつくのだろうと誰もが思っていたそうだ。

 そこへ私である。うっかり護衛にカミロを選んでしまったばっかりに、イレーネから徹底的に嫌われる羽目になったのだ。


「ナツ様、聖女を辞されてから後のことは、決まっていないとお伺いしましたわ」

 とぼけた調子でイレーネは言った。

「お気の毒ですわ。聖女の資格を奪ってそれっきりだなんて…………カミロ様も、罪なことをなされますわね」

「そうですね――――うん?」

「乙女の純潔をそんな無体になさるなんて、きっとそれほど、カミロ様もお辛かったのでしょう」

 私は、瞬時にイレーネの言葉を理解することは出来なかった。しばし面食らったように、彼女の言葉を解析する。

 乙女の純潔が無体にカミロをどうしたと?

「……ええと、仰られている意味がよくわかりませんが」

「あら、申し訳ありません。ナツ様は言葉を理解するのが不得手だったのですね、私ったら」

「ええ。私、この世界に来てまだやっと一年ですから、言葉足らずな方のお話は理解できないんですよ」

 イレーネと私は顔を合わせ、お互いに口元を隠して笑った。そろそろ胃の奥がきゅっと痛くなってきた。

「では、失礼ながら申し上げさせていただきますわ。私、同情しておりますの。聖女の資格である純潔を捧げたというのに、カミロ様はあなたの身請けをしてくださらなかったのでしょう? 女として、こんな屈辱はありませんもの」


 イレーネの発言は十割が誤解で成り立っていた。

 吐きそう。


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