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番外編1

 唐突に見知らぬ世界に呼ばれてひと月。

 呼ばれたのはいかにも中世ヨーロッパといった世界だった。

 どうやら世界を救うとかとんでもない理由で呼ばれたらしいが、現状のところ世界の行く末はどうでもよい。

 目下、私の行く末の方がより重要な懸念事項なのだ。


 ○


 聖女様と王族との優雅でストレスフルな食事会において、私の盛大にしでかした失態については詳しく語るまい。ありとあらゆる最悪の事態を想定したうえで、その少し斜め下をイメージしていただければよい。



「異界の人間は礼儀作法どころか、人としての常識も知らないのか」

 王子の言葉が端的に示している。

 口にしたものをすべて吐き出すこともいとわないこの状況。一つの長いテーブルに王族がずらり。対するは私一人。国王を筆頭に、王族の似たり寄ったりな面々が一斉に私を見ていた。

 表情は一様である。眉をしかめるだけのものもいれば、ひたすらに睨みつけるものもいる。王族と言うからには、なるほどいいところから嫁を取っているのだろう。どれもこれも顔が良いぶん、いたたまれなさもひとしおである。

 分けても私を責めるのは、王家の次男坊だか三男坊だか。銀の髪が目を引く、表情のない王子である。食事の前にひとしきりの自己紹介があった気がするが、もちろん私は彼の名前を覚えていない。一度の自己紹介で顔が覚えられるのであれば、卒業間際の寄せ書きで、「こいつは誰だ」などと思われる人物などいないのだ。

「それとも姿ばかりを人に似せただけのけだものか。異界では犬のように食事をするのが作法なのか」

「ふぐぬう」

 なにやら反論したくて口を開くが、途端に腸が逆流し始める。隙を見せれば、翌日のあだ名に「マーライオン」待ったなし。私の中の眠れる獅子が口を借りて飛び出そうとしていた。

「言葉さえも忘れたか。けだものが人の振りをするにも限度があるようだな」

 お兄様、と横から似たような顔の少女がたしなめる。青い顔で口を一文字に閉じ、張り付けた笑顔を浮かべる私を見やりながら、「言いすぎですわ」とかばってくれた。兄に似なくて幸いである。

 しかしそうこうしている間にも、我が能面のような表情には磨きがかかる。胃から喉元でせりあがる眠れる獅子は寝返りを打ち、私を追い詰めようとしていた。いざとなったら敵の顔面に総攻撃だ。

 そんな心で口の悪い王子を見やれば、敵もまた負けず劣らず仮面の表情。王子の冷たい視線が告げている。これ以上の粗相には死が待ち受けているだろう、と。なるほどなるほど。


 それから、神殿の補佐が私の失態を取り繕い、食事会がお開きになるまでの苦行の数刻。私は笑顔で悟りを開きかけ、精神世界で苦行僧との交流を果たしたかに見えた。

 この間、むろん意識は飛んでいる。


 ○


 意識を取り戻したのは、すでに神殿からの使者により死の淵から救出された後のことであった。

 笑顔を浮かべ続けつつ、穏やかで凪いだ精神世界にて天上天下唯我独尊とのたまったあたりで、神官たちに還俗させられた。

「大丈夫ですか、ナツ様?」

 軽く肩を叩かれて我に返り、周囲を見渡せば自室である。部屋には神官が数名いるだけで、あの緊迫感あふれる王族たちも、圧倒的プレッシャーを放つ怨敵無表情もいない。心の中で邂逅した偉大なるブラフマンの気配さえ、今はもう感じない。

 息を吸い、吐き出すと、私は表情を崩した。両手でドレスの裾を握りしめると、危うく引き裂きかけた。

「ゆ」

「……ナツ様?」

「許すまじ!」

 開いた悟りは早々に店じまいである。精神が俗世へと着地し、あとは怒り心頭に達すばかり。あの王子の澄ました顔を思い出せば、引き裂いてやりたい衝動に駆られた。

 うおおお、と私は慟哭する。頭だってかきむしる。腹立たしいことこの上なし!

 怒りに荒ぶる私はさておき、神官たちが肩をすくめた。何やらぼそぼそと会話をし、一人が部屋から出て行ったことは覚えている。


 そして戻ってきたときには、びっくりするようなイケメンを連れていた。

 神官に連れられて部屋に入ってきたその男を一瞥し、興奮冷めやらず一呻き。それからあわててもう一度顔を上げた。改めてイケメンである。隣の神官と男は何やら小声で会話し、「では、ナツ様をよろしくお願いします」と言って神官の方が一礼した。

「ナツ様、私たちは神殿に戻ります。あとのことは、この方が」

 その方は軽く私に目礼した。

 状況飲み込めないまま呆けていれば、神官たちはそのまま出ていき、私は男と二人きりである。


 日はすでに沈み、夜の静けさが部屋を包む。

 淑女の部屋に見知らぬ男を放り込むなど、いったいどういう了見であることか。まかり間違ったらどうする。清廉無垢な女子高生の処女雪のような心、汚したくなるのが人情というものだろうに。

 などと王子に向けた憤りそのままに、目覚めし荒ぶる獅子の異名を持つ私は男を睨み上げた。

 金髪碧眼、整った顔は仏頂面で固定され、無言の圧力を放ちながら私を見下ろす。なかなか体格の良い男である。大型トラックに挑む軽自動車のような心持ちで、私は身構えた。


 ○


 汚された。私の清純な肌が汚された。

「うおおおおもういやだ!」

「いいから匙の持ち方くらい覚えてください、ナツ様」

「スプーン持つだけでどんだけ時間かかるんですか! もう深夜ですよ!」

 早寝早起きは美容の元。乱れ狂う肌の調子にいったいどう落とし前をつけるつもりだ。にきびに肌荒れ吹き出物、すべてに門戸を開きかねない。乙女の柔肌を荒らしていかんとする!

 目の前にはディナーセット。椅子に無理やり座らせられ、ナイフとフォークを握らされ、私のストレスは臨界点を超えようとしていた。元の世界では深夜アニメのために徹夜もいとわなかったことは棚に上げ、私は眉根を寄せる男に吠える。

「だいたい、あなた、私の護衛じゃないですか。なんで護衛にスパルタ教育されるんですか!」

「適役だからでしょう」

 成長期の少女に徹夜覚悟の作法教育を施す男が適しているというのか。歯を食いしばりつつ睨み上げれば、何やら有無を言わせぬ男の視線とかち合う。圧倒的圧力である。

 凡百の人間ならば口を閉ざし、縮こまってしまうような威圧感があるものの、ここで有無を言うのが私である。凡百と同じにしてもらっては困る。

「護衛というからには、私はあなたの主人でしょう? 主人が嫌だと言ってるんですよ」

 現在、彼が守るべきは私の快適な睡眠時間である。それも守れないようでは護衛失格。早々に他のものと代わるべきだろう。

「……申し訳ありませんが」

 男は眉間にしわを寄せ、すっかり現状を投げ出しにかかる私を見やった。フォークで作った力作やじろべえを一瞥し、首を振る。

「神殿の外では、あなたよりも立場は上です。護衛は任務ですが、あなたの言うことを聞く義理はありません」

 だから適役なんです、と男は言った。私はやじろべえを指の上で揺らした。見事なバランス感覚である。素晴らしい。

「さあ、ナイフを取ってください、ナツ様」

 私はどうしてこんな男を護衛として見繕ってしまったのか。指先でフォークを転がしながら、私は過去の自分を恨んだ。


 ○


 しかしここで過去の自分を思い出せたら苦労はしない。

 なにやら護衛候補の選定を強要され、迅速果断に一人を選び出したこと以上には記憶にない。家柄やら特技やら自己PRも散々聞かされた気がするが、これが残念なことに一人も覚えていないのだ。

 候補に何人いたかすらもあやふやであり、実際に選んだ目の前の護衛だって、顔以上の情報は刻んでいない。無駄なものはこまめにクリーンアップ、ファイルの削除は徹底するのがきれいなパソコンの使い方である。

 下郎ごときに私の記憶メモリを裂くわけにはいかないのだ。私の目に留まりたいのであれば、もっと有用な人間になることだな。


 ○


 健気にも毅然と徹底抗戦をつづける私に、ついに男は匙を投げた。

 文字通り投げた。テーブルの上に軽い金属の音がして、私の目の前に銀のスプーンが転がる。

「わかりました」

 男は静かに言った。

「あなたにはこの程度のことも覚えることができないようです。次の食事会は恥をさらす前に辞退した方がよいでしょう」

「次の食事会ですと! 辞退ですとな!?」

 初耳もいいところである。まさか次のスケジュールが控えているとは思いもよらず、私は顔をしかめた。

 いやしかし、辞退とも言った。そんな選択もありなのか。

 目の前のスプーンを掴み、私は力んだ。もう少し早めにそういう選択肢は提示しておくべきである。むろん、スケジュールの早期伝達も要求したい。

「辞退すること自体が恥ではありますが、今のあなたはただの笑いものです。……殿下からうかがってはいたが、これほどとは」

「殿下」

 耳に入った言葉に、私は顔を上げた。腕を組み、ややふてぶてしさの増した男が渋い表情を浮かべている。

 私はその顔に向け、内々に溜め込んだ憤りをよみがえらせつつ尋ねた。

「殿下とはどの殿下です。私のことをなんと?」


 ○


 リベリオ第二王子殿下。それが我が仇敵である。脳の記憶容量を削ってでも、私はその名を刻みこんだ。

 男が語った王子による私の評価は、それはもうひどいものであった。口にするのもはばかられるようなその内容。例えるなら、ネアンデルタール人あたりに対する評価かと思ったら私だった。進化前である。石器を使うゴリラである。クロマニョン人にすら劣る。そんな感じであった。

 進化論も知らない後進国に進化前と評価を下される。これ以上の無礼があるだろうか!


 私は怒りに震えた。ここがもしや震源地かと思う勢いで震えた。

 しかしそんなバイブレーション魂あふれる私に、男は冷たい視線を向ける。

「食事会を欠席するならば、殿下と対面することもしばらくはないでしょう」

 だから落ち着けと言うのである。これが落ち着いていられるものか。

 眠れる獅子はもはや暴徒と化して私の体内を駆け巡る。スプーンを握る手に力を込め、私は叫んだ。

「敵前逃亡などするものか!」

「は」

「目にものを見せてやる! 現代人が非文明国の蛮族に負けると思うのか!」

「…………蛮族?」

 機嫌を悪くしたような男の声が聞こえたが、そんなものは些細なことだ。私は苛立ちをあらわに、スプーンでテーブルを小突いた。それから椅子に座りなおすと、猫背気味な背筋を伸ばす。

「蛮族のルールごとき、一晩で覚えられるわ! さあ来い!」

 やられたら倍返しが最低レート。恨みの深さによって相場が変わり、現在の王子は最高値がつけられている。王子ごときの下馬評で、私の価値が決められてなるものか。進化前は貴様の方だとわからせてやる!

 男はしばらく、憤りに息を荒くする私を無言で眺めていた。それからゆるやかに首を振る。仏頂面は相変わらず、眉間のしわはやや増えたように思われた。

 私の怒りを呑んで更けゆく夜。男の教育的指導は続く。


 ○


 マナー講座の開催は常に深夜である。人目を忍んでの行動に、男はいやな顔一つ二つする程度で、意外と従順に従った。

「なんで夜にするんですか」

 と問われれば、答えは決まっている。

「白鳥は水面下で努力するものです」

 私の言葉に、すっかり夜間訪問にも慣れた男が、椅子にもたれながら言った。

「……あなたはせいぜい鶏くらいでしょう」

 とさかがかっこいいではないか。水鳥ではないが、悪くない。

 一晩でマナーを覚えきれなかった私は、男の返答にそれなりの満足感を得て頷いた。男は頭を手で押さえた。なかなか苦労の見える表情をしている。



 ○



 果たして、第二回王家主催食事会は、私を解脱させた程度でつつがなく終わった。

 私のマナーは完璧である。多少猫背になろうとも、多々食器の音を立てようとも、私が完璧と言えば完璧なのだ。

「猿程度の知能はあるようだな」とは解散間際に言った王子の言葉である。王子の下馬評は原人以下であった。誰がこんな口と根性の悪い男を王子に据えた。

 反論しようにも、相変わらずの私は眠れる獅子である。うかつに口を開けば暴れ出す内臓に、私は危うくナマコの気持ちまで理解しそうになった。あの海産物ほど激しい吐き戻しは、さすがの私にも不可能である。


 ○


 どうや。

 どや。

 慣れた様子で部屋に来た男に、私は迫った。結果報告の時間である。


 これが私の本気である。目にものを見たか。あの仇敵は相変わらずの態度だったが、それもまた私に憶してのこと。たゆまぬ努力と飲み込みの速さに恐れ入っただろう。

「…………悪くなかったと聞きました」

 男は言葉を選ぶようにしてそう言った。

 いつも通りの夜半過ぎ。暗い空から涼しい風が吹き、向かい合って座る私と男を万遍なく撫でまわす。

「一通りの作法はこなせたそうですし、取り立てた失態もしていないと。短い間に随分と成長されたようです」

 それでそれで。

「……よく努力されました」

 男は私を見やり、愛想のない口調で言った。常日頃の仏頂面ではあるものの、珍しく眉間にしわが寄っていない。まっすぐに見据えられた瞳を見つめ返すと、私は長い息を吐いた。

 ようやく緊張が解けた気がする。肩の力を抜き、私は重たくうつむいた。膝に置いた手を見れば、どうにもかすかに震えている。吐き出しきった最後の一息が妙に熱くて、私はあわてて息を吸いなおした。震える手を握り合わせる。

「これくらい、私にかかればどうということはないのです!」

「そうですか」

「しょせんは未開国のマナー。モビルスーツを覚えるより楽なものです。この程度、いくらでも身につけてみせましょう!」

 さあ、次に覚えるべきものを言ってみるがよい。そのすべてを吸収してみせようではないか。いくらでも来い。どれほど難度の高い行儀作法であっても、この私にかかればすべてがイージーモードである。ストレスなどぬるま湯もいいところ。私のハイレベルさに恐れおののき、跪くがよい。

 さあ来い、どんどん来い。どんと来い!

 私の終わりなき主張に、男が例によって顔をしかめた。この男、表情のパターンが極端に少ない。哀れなことである。

「…………お前の扱い方がわかってきた気がする」

「お前だと!」

「失礼、ナツ様」

 無礼者が、一度吐いた言葉は消せないのだ。

「下郎ごときに私が扱えると思うなよ! もう褒める気がないなら出て行ってください!」

 褒め言葉がないのなら、もはや貴様に用はない。私は部屋の扉を指さして男を煽った。男は突然の退室勧告に一度瞬き、「なぜ」と口にした。実に勘の悪い男である。

「今の私に褒め言葉以外は不要なのです」

 それはもう、ちやほやと、心をくすぐるような甘言を吐きまくる他に、現在この男の存在価値などない。そもそも、褒めるからして現在夜の淑女の部屋に存在を許されているのであり、そうでなければただの不埒ものという事実を忘れてはならない。

 この部屋に残りたければ、褒め言葉を。さもなくば出ていけ。

 私の言葉に、男はやれやれと首を振った。それから緩慢に立ち上がり、一礼をする。


 男が出ていく姿を、私は腕を組み、胸を反らして見送った。

 扉の閉まる音がすれば、ようやく部屋には一人きり。夜の静けさがしみ込んで、私一人の気配だけが揺らめいていた。

 なんとも勘の悪い男である。

 私は脱力すると、だらしなく椅子の背にもたれかかった。鼻をすすると、熱い呼気を吐き出す。

 白鳥は自らの見苦しいところを、決して人には見せないのである。

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