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※流血描写があります。

 研究所では、すでに魔術師たちが待ち構えていた。

 さすが蟻の巣の最終到達点だけあって、円形の部屋にはいたるところに扉がついている。あれら全てがどこかの地下道につながっているのだと思うと、一人では遭難もやむなしと言えよう。よくも無事にたどり着けたものである。

 安堵する私を一斉に見つめるのは、部屋にあふれかえった魔術師たちである。明らかに、部屋に対する人口密度が高すぎる。魔法陣を中心に、スタイリッシュな宮廷魔術師と、見るも無残な神殿魔術師が入り乱れ。おそらく神殿魔術師の引き抜きが、施設の手狭さを引き出したのだ。

 しかし現状、見るも無残は私も同様である。地下通路を転げまわり走りまわり追いかけまわされて、童貞魔術師も目を逸らすほどの惨状を呈していた。

「ナツ様!」

 と魔術師の誰かが言った。言葉の端に若干の失望が見られるのは、おそらく登場したのがショウコではなく私であったからだろう。彼らにとってはすでに私は退役聖女。しかし身分は退いても、その実心と体の健やかなる、清く正しい現役聖女であるのだ。

「ナツ様、他の方々は!?」

「もしかしてここにも追手がきてしまうんですか!」

「ひいいいいい」

 見た目ばかりはスタイリッシュであっても、魔術師はどこの世界も変わらないらしい。あの諜報こそが異常だったのだ。

「と、とにかく早いこと済ませてしまいましょう。そうしたら全員で逃げられます」

「終わらなくても敵が来たら逃げちゃいますからね!」

 古今東西、魔術師という人間はどうしようもない!

 魔術師は魔法陣の中心に私を導き、陣を取り囲むろうそくに順に火を灯していく。胡散臭さを練り固めた上、凝縮したような有様に、私は首を傾げた。神殿で召喚されたときは、もっと白い風吹く厳かな雰囲気があったはず。これはどう考えても悪魔召喚の儀式である。明らかに生贄の立ち位置にいる。

「あれは神殿の神官の方々が用意してくれたものなんで」

 やりやすい方法にすると、こうなっちゃうんですよねえ、と言って魔術師たちは笑った。さすが、地下に根付くだけのことはある。

 私が魔法陣の中心で腕を組み、仁王立ちをすること数分。魔術師たちは輪になって、いつかこの世界に来た時のような、そうでないような怪しげな歌を歌い始めた。魔術の詠唱である。

 魔女裁判も確定的なこの状況、実に落ち着かない。心の中では不安と期待が五対四でせめぎ合い、不安の方がやや優勢である。本当に、前のように白い光があふれだし、瞬間移動がなされるのだろうか。


 しばらく待っていると、不意に魔術師が歌をやめた。輪になって私を取り囲む魔術師は、それぞれ顔を見合わせあい、肩をすくめてみせたりする。

「失敗したみたいです」

「なんですと!」

「魔力は残っているから、失敗というよりは動きすらもしなかった感じですねえ。誰か歌でも間違えたんでしょうか」

 まあ、もう一回やってみましょうか。と誰ともなしに言い始めたときだ。


 扉の一つが無遠慮に開かれる。

 どやどやと乱暴に入ってきた男たちの姿を見て、軟弱を代表する魔術師たちは飛び上がった。「ひいいいい」と衣を引き裂く男の悲鳴が響き渡る。

「ナツ様、もう一回やりましょう」

 急いたように魔術師の一人が言った。意外にしっかりとした声音に、私は思わずうなずき返す。

「次こそは成功させます。詠唱を」

 敵が来たら逃げるというのは、魔術師たちの笑えない冗談だったのだろうか。魔術師の言葉に従い、数人がその場を離れず詠唱を始める。

 数人は詠唱の輪から抜け、部屋の中心に踏み込む男たちを足止めしようとする。言葉などは初めから交わすつもりがないらしい。別れた魔術師の女が見せたような、光の魔法を問答無用で放つ。

 目がくらんで、私は一度目を閉じた。

 次の瞬間には惨状に変わっていた。


 魔術師が切り伏せられ、赤い血を床に広げながら倒れている。数人の敵兵が目を押さえて転げまわっているが、そんなものは死体と同じだ。あとから入ってくる兵たちに押され、踏まれ、そのうち動かなくなった。

 何度か光が明滅する。そのたびに剣が振り上げられ、誰かが倒れている。剣劇の音が聞こえないのは、魔術師が剣を持たないからだ。人を殺す手段を持たない魔術師は、次第に数を減らしていく。

 詠唱の声は止まない。稀に悲鳴が混じる。倒れる数人の敵兵と、それ以上の魔術師。喉の奥から悲鳴が上がりそうになる。

 足が震えて、立っていられなかった。気がつかないうちに崩れ落ち、私はしたたか膝を打った。痛みはなく、力も入らず、足が麻痺していた。私の眼前で詠唱していた魔術師が切られ、地面に落ちた。兵士の一人が向かってくる。

 逃げなければと思うのに、立ち上がることもままならなかった。帰還の魔術は、まだ完成しないのか。詠唱の声は止まらない、だけど何かが起こる気配もない。どうして成功しない?

 血にまみれた剣を持ち、兵が私の前にくる。そのまま無言で腕を振り上げる姿を最後に、私は目を閉じた。




 痛みはない。鉄さびのにおいがした。

 目を開けると、やはり眼前に兵がいる。彼は腕を振り上げたまま、しゃっくりのような声を上げて剣を取り落した。彼の腹には赤く濡れた、誰かの剣が突き刺さっていた。

 目を見開く私の前で、腹の剣がぬるりと不気味なほど滑らかに引き抜かれた。兵が崩れ落ちる。その後ろに立つ人物を見て、私は目を見開いた。

「……カミロ」

 見覚えのある近衛兵の姿に、赤い返り血を浴びて立っていた。私は目をこすり、もう一度見た。

「……なんで」

「殿下に聞いた。地上からここに、最も近い入口だ。地下の道は神殿から聞いて知っている。だから、俺だけ先に来た」

「そういうことを聞きたいんじゃなくて!」

「ジーノが救援を呼んだ。じきに助けが来るだろうが、それまで俺一人で持たせられるかはわからない」

「カミロ」

「早く帰れ」

 私の言葉を聞くつもりはないらしい。カミロは私を背にすると、血がついたままの剣を構えた。

 カミロの姿に、一度敵の兵士たちがざわめいた。部屋にいるのは十数人だろうか。一斉にカミロの姿に目をやる。

「カミロ様……我々を裏切るつもりですか!」

「裏切る?」

 ぞっとするほど低い声でカミロは言った。

「俺は最初から、お前たちの味方になった覚えはない」

 威圧され、兵たちが強張る様子が見えた。魔法の詠唱が一度途切れ、再び流れ始める。

 私は微動だにしないカミロの後ろ姿を見上げた。

「俺はずっと、殿下の命で動いていた。ただ、ナツを帰すために!」

 私は、カミロの後ろ姿を見上げていた。


 ○


 思えばずいぶんと、王子の思い通りに事が運んでいた気がする。

 王子の望んでいた神殿の弱体化。神殿の魔術は王子の手に渡り、聖女の召喚の方法を得た。魔力の集約を効率化して、聖女召喚を安易にすれば、聖女利権で保っていた神殿の権威など地に落ちる。

 神殿の失態を誘って、王子の策略はめぐりめぐる。

 何度もあったという聖女の身の危機。その仔細は知らないが、どうして今日までショウコは無事のままなのだろう。怪我もなく、傷もなく、王子の望むとおり、危機だけが事実として残るよう、安全な危険にさらされ続けてきた。

 誰かが手引きをしていたのだ。

 王子の言う、カミロの決断とはなんのことだったのか?


 ぼんやりと考えながら、私は矛盾だらけの男の背を見つめる。


 ○


 頭を抱える私を前に、カミロは三人目の男を切り倒した。

「……カミロ」

「帰れ」

「…………いやだ」

「俺はお前を守りながら戦えるほど強くない」

 多勢に無勢。カミロはすでに半ば囲まれている。私を背後に、劣勢は明らかだった。魔術師たちがときおり援護に加わってなんとかもっている状態だ。

「じゃあ、なんで来た」

 私はうめくように言った。血を見たくなくて目を閉じてみたが、怖くてすぐに開いた。足元は血に濡れて、死にきれない苦しげな声がどこからともなく聞こえる。

「お前を帰すためだ」

「私を帰したくなかったんじゃないのか!」

「帰したくない」

 別の兵がにじり寄ってきて、カミロは私に離れるように促した。

「だが、帰れ」

 そうは言われても、帰ろうにも帰れないのだ。勇敢な魔術師は時折逃げつつ、持ち場を離れつつ、詠唱の声を休めない。だけど一向に帰還の魔術が発動する気配はない。誰かが先ほど「もう一度だ!」と荒く叫んでいたのを聞いた。

「いやだ」

 私は立ち上がろうと、腰の抜けた体に力を込めた。震える足が地面を踏みしめた瞬間、どろりと重たげな血を踏んで、再び無様に転んだ。

 顔を上げると、すでに兵の一人がカミロに襲いかかってきているところだった。振り下ろされた剣を弾き返し、耳に痛い剣戟の音がした。

 だが、息をつく間もない。背後から空を切るように鋭く、剣のしなる音がする。頭を狙って大きく振られた剣を、カミロは振り向きざまに危うく受け止めた。

「帰れ」

「やだ」

「長くはもたない」

「いやだ!」

 魔術師の光が明滅し、一瞬の暗転の後に見えたのは、また一つ増えた死体だった。息を荒くし、カミロはどろどろに汚れた剣を持ち直す。それから残りの男に向き直り、一歩後ずさった。

 だけど後ずさった足もまた、すぐに止める。また別の敵兵が、足止めしていた魔術師を切り伏せ、向かってきていたのだ。

「カミロ」

 カミロは答えない。乱した呼吸を飲み込み、剣を受ける。

「カミロ!」

 腕で体を持ち上げようとして、血に滑って頭を打ち付けた。視界がにじんで、前がよく見えない。カミロがいて、守ってくれているはずだった。そうでなければ、きっと私は今頃死んでいた。

 たぶんそれは、私にとっての最後の一押しだった。知らない世界で、昼夜ともに過ごして、無愛想で意外に親切で――そんな男に絆されるまで。

「どうして!」

 吠えるように私は叫んだ。

「どうして来たんだ! どうして守ろうとするんだ! これから帰る人間を!」

 声を荒げても、カミロは振り返らない。私の声は悲鳴と剣戟にかき消され、自らの耳にさえ聞こえてこない。目の奥が熱くて、涙がどうしようもなく堪えられなかった。

「卑怯者! なんで優しくするんだ! どうして私になんて、命を懸けようとする! 最初からっ! 最後まで……!!」

 王子みたいに徹底してくれれば、憎み続けていられたものを。この世界は誘拐犯で、極悪非道で、中途半端に優しくて、ひどく残酷だ。

「大嫌いだ……」

 私はうめいた。カミロの姿を睨んだ。世界で一番嫌いな男の姿がある。

「帰れないんだ、魔術が動かない。だからカミロ、私も残る……ここに残る!」

 男たちに囲まれたカミロが、一瞬だけ私を見た。言葉は出さず、無言で首を振る。幻のようなその視線に、私は瞬く。その後に見えたのは、こちらには意識を向けずに必死で剣をふるうカミロであった。

「卑怯者! 大嫌いだ、嫌いだ!」

 私は叫んだ。頭の中が揺れる。気持ち悪いくらいに思考がゆがむ。

 こんなものはただの吊り橋効果だ。心細さを愛情と勘違いしているだけだ。ストックホルム症候群とかそう言ったたぐいのものだ。刷り込みで、思い込みで、きっとプラシーボ効果とドップラー効果的なものまであるに違いない。

 頭の中で言い訳がめぐる。好きじゃない。帰るんだ。帰りたい、その思いは嘘ではない。

 だけど口は勝手に叫ぶ。落ち着くことを許さない。まるで死ににいくようなカミロを、置いていきたくはない。

「帰りたくない! カミロ、やだ、いやだ! 私も残る、カミロ! カミロ!!」

 目の前が涙にぬれて、瞬間、なにも見えなくなった。声が聞こえず、悲鳴も金属の重たい響きも、私の無様な慟哭も入らない。魔術師の歌うような詠唱だけが頭に響く。

「カミロ! いやだ、死んでほしくない! 離れたくない!! 本当は一緒にいたいんだ!!」


 ――――カミロ。

 喉の奥から、焼けつくような声を張り上げた。泣いて、哭いて、鳴いた。

 獣じみた咆哮だった。それは私の、心の特殊装甲の奥の、さらに一番奥にある。愛しさと切なさと心細さの迷宮に隠された、ふわふわとやわらかくて、繊細ななにかから発せられる。これは魂の叫びだ。

 それを最後に、目の前が白くなった。詠唱が止み、かすかな安堵の声とざわめきが聞こえた。

 魔術が発動したのだ、と誰に言われるでもなく気がついた。この世界へ来た時と同じだ。

「ナツ」と名前が呼ばれた気がした。だけど私の視界には、もう世界の姿はない。白いだけだ。


 ○



 歌だ。

 処女神は、渡り鳥の歌声とともに世界を越えた。

 ――――神は歌声に惹かれて、妻を見つけたのだ。


 私の鳴き声は、鳥の鳴き声の代わりになっただろうか。


 世界が反転する。

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