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 しばらくして、ショウコは指先で涙を拭い、顔を上げた。お、と私は心の中で思う。


 赤い日差しを真横から受け、強い瞳でショウコは私を見た。目の下に涙のあとがなければ、先ほどまで泣いていたとは到底思えない表情だった。

「私、これからどうすればいいんでしょう」

 息を吸うと、ショウコは確かな口調で言った。

「聖女になるのなら、私のすること、役割をしっかりと知りたいです。何のためにここにいて、どう過ごすべきなのか――」

 あらやだこの子、すでに心も聖女だ。清すぎて私には直視できない。



「なにもしなくていい」

 しかし感動には、水を差されるのが常道だ。

 私は不意に振ってきた、冷淡な声に顔をしかめる。声の方向を振り向けば、不機嫌な表情で部屋に入って来る一人の男がいた。


 長い銀の髪を一つに束ね、肩からゆるく垂らしている。細身の体に、いかにも身分の高そうな貴族の長衣を纏うこの男、不快なくらいの美貌を持っていた。中性的な面立ちは、まるで表情のない精巧な仮面のようにさえ映る。

 カミロは二度見したくなる美男子だが、この男は逆に、長く見ていられない類いの美しさだった。


 この男こそ、国王陛下の第二子、王子殿下その人である。

 名前はリベリオ。ぽろぽろと生まれた数多の王の子供たちの中で、異彩を放つ存在だ。


「聖女なんてしょせん飾りだ。余計なことは一切するな。ただ人形のように大人しくしていれば、この城でいい暮らしをさせてやる」

「――――なっ」

 と声を上げたのはショウコだ。私と言えば、うーんまったくその通り、異論はないと思っていた。

「不満か? こちらは得体の知れないお前たちを飼ってやっているんだ。いずれ感謝するようになる」

「――なに、その言いぐさ!」

 ショウコは思わず立ち上がると、白粉の上からでもわかるくらい顔を赤くした。

 彼女の気持ちはわからなくもない。なにともなしに腹の虫をくすぐってくる男なのだ。特にショウコはこの世界に来たばかり。感情を抑えるのは難しいだろう。

 でも、まずいよ、この人王子だよ。

「し、ショウコ、抑えて抑えて」

「勝手にこんなところに連れてきたのはそっちでしょう! 私たちから大事なものを奪って、感謝しろ? 冗談じゃない!」

 ショウコは私の静止も聞かず、つかつかとリベリオ王子の元へ歩み寄った。そして、臆することなく睨みあげる。

 対するリベリオ王子も、ショウコを無感情な目で見下ろす。

「この国の礎となれるのだ。それに勝る大事なものなど、存在しない」

「さいってい!」

 その言葉と共に、ショウコは腕を振り上げた。

 ショウコの右手が、振り上げた勢いのままにリベリオ王子の頬を叩く。小気味良い音が夕日に染まる貴賓室に響くと、私は密かにガッツポーズした。よくやった! そのまま殺せ!

「あなた、人の心がないの? 家族と離されることが、どんなに辛いかわからないの!?」

「…………わからんな」

 リベリオ王子は叩かれた頬に手を当て、吐き捨てるように呟いた。それから彼にしては珍しく、思案するようにショウコを一瞥する。

「お前ほど生意気な女は見たことがない。…………お前、名前は?」

「あなたに名乗る名前なんてない!」

 にべもない。根性曲りの王子、ざまを見ろ。

 とはいえ、そろそろショウコを止めねばなるまい。仮にも相手は王子なのだ。ここらが限度だろう。

 実際、さっき叩いたことだって危うい。普通なら、不敬罪で投獄されるところだ。聖女補正で罪に問われることはないだろうが、あまり嫌われるとこの先生きにくくなる。


 私はのっそりと立ち上がると、にらみ合う二人の間に割って入った。両者から、なんだこいつという視線を受ける。場違い感極まりないが、そこはそれ。もともと空気どころか、王子とは世界が違うのだし。

「すみません、この子、今日来たばかりですから。ショウコって言うんですよ」

「ナツさん!」

「彼女、まだこの国のことも、殿下のことも知らなかったんです。どうかお許しください。――もっとも、ご多忙な殿下がこのような些事に煩わされることなどあるはずありませんから、無用の心配でしょうけど」

 こまけぇこたぁいいんだよ! をややこしく言うとこうなる。

「ナツさん、どうしてこんな奴に!」

 ショウコが私の袖を引き、憤る。私もどうしてこんな奴に頭を下げなければならないのか分からない。でも、偉いものは偉いのだ。自慢ではないが、私は権力には弱いぞ!

 リベリオ王子は私に対して眉を顰め、僅かな不快感を示した。しかし、すぐに視線をショウコに戻す。

「新しく来た聖女がどんなものかと見に来てみれば…………ショウコ、覚えておく」

「結構ですから!」

 やめて! せっかく取り持とうとしたのに無下にするのやめて!

 ショウコは第一印象に比べ、ずいぶんと気が強いらしかった。はっきりとした物言いは胸がすくほどに、かつ胃に穴が開くほどに痛快であった。

「ふん、お前に礼儀と言うものを教えてやりたいが、私も暇ではない」

「暇でないなら、出て行ってください! 今すぐ!」

 そうだ、かーえーれ! かーえーれ! あとショウコは少し口を閉じろ。

「まったく、聖女と言うのはことごとくろくでもない」

 リベリオ王子は吐き捨てるように言うと、意外なくらいあっさりと部屋を出て行った。

 扉が音を立てて閉まると、私は脱力した。ショウコは腹が収まらないらしく。頬を膨らませて不快な男が出て行った扉を睨んでいた。

 それで、結局、あの人なにをしに来たんだ? 暇だったの?


 ○


 無知とは幸福なことである。

「殿下……?」

「そう、リベリオ王子殿下。この国の第二王子」

「……私、もしかして大変なことしちゃいましたか?」

「聖女じゃなければ不敬罪で投獄。手を上げたから斬首も辞さない感じです」

 さっきまで怒りで赤く染まっていたショウコの顔が、今度は見事に青くなる。両手で頬をおさえ、おもしろいくらいに動揺していた。

「ご、ごめんなさい。私……でも私、すごい悔しくて。だってあの人、私もナツさんもまるで人間じゃないみたいな態度だから」

 でも、とショウコは俯いた。その姿は、なんとなく犬を連想させる。整えられた彼女の黒髪が、肩からはらりと垂れた。

「ナツさん、ごめんなさい。万が一、ナツさんまであの人に嫌われるようなことがあったら……」

「私?」

 ショウコが涙目で私を見る。申し訳ないという思いは、口以上にその表情が語っていた。

「一年以上耐えてきたナツさんが我慢していたのに、私、勝手に」

 うーん。

 私はほとんど反射的にショウコに手を伸ばし、彼女の頭に触れた。そのまま両手で、彼女の頭をわしゃわしゃと掻きむしる。

「な、ナツさん?」

「いいのいいの。私もすっきりしたから」

 そう言うと、ショウコはほんの少しだけ微笑んだ。

 それは、固い蕾がほころぶような柔らかい表情だった。


 この子にとっては、聖女は天職なのだろうなあ、と私は彼女の髪を掻きながら思った。元の世界では聖女なんぞ、おそらく社会の底辺に位置する職業だろう。そもそも求人が見つかるかどうかさえ怪しい。

 それなら、この世界でそこそこ恵まれた暮らしも、彼女にとっては悪くないのではなかろうか。

 もちろん、他人事だからこそ言えることである。

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