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瞬きをしてもカミロの表情は変わらなかった。私をまっすぐに見据えて、口を引き結んでいる。
「……惚れている?」
今一つ理解が追いつかず、私は同じ言葉を返した。
「私に?」
「ああ」
まじめくさってカミロはうなずいた。冗談を言っている様子はない。
私は呆然とカミロを見やった。奇しくも顔を近づけて見つめ合う形となるが、残念ながらときめきは未だ湧き上がらず。驚きとも困惑ともつかないふわふわとしたものが、ときめきの噴出口を塞いでいた。
しばし呆然としてから、私はカミロの言葉をようやく噛み砕いた。
つまり、カミロは私に惚れているのだ。それはもう、好きだし愛してたまらない。私の有り余る人間性に隠れた、これもまたポテンシャルの高い女性的魅力に惹きつけられたのだ。
なるほど納得。ならば致し方ない。私という類い稀なる人間の傍に、カミロは長くいすぎたのだ。惚れるなと言う方が無理なこと。
そう思って笑おうとしたが、なかなか難しかった。
正面には私を睨みつけたまま、瞬きのほかには微動だにしないカミロ。部屋には妙な緊迫感。窓から見えるのは、不安を煽るように暗く染まった空の色。私を取り巻くすべてがこの軽薄な思考を非難し、真摯な回答を強要する。そこはかとなく感じるプレッシャーに、私は発狂しそうである。いいや、落ち着け。冷静に、冷静に、まだああああわてるようなじじじじかんじゃ。
「うわあああ!」
手遅れだった。私はこの押し付けられた空気に耐え切れず声を上げた。
「なにが目的だ! 金か、金がほしいのか!?」
「そんなものはいらん」
「じゃあなんだ! まさか本気だっていうのか、これから帰る人間に! 今さら!」
「今さら」
カミロは繰り返した。私と対照的な低い声は、なぜだか妙に滑稽に響いた。
「ああそうだ、今さらすぎるだろう。それでも俺はお前を帰したくない」
「帰るんだって言ってんじゃん!」
椅子に背を預け、私は頭を抱えた。
現状を消化するのはなかなかに難しい。すでに混乱は頂点を極め、我が心中には混沌がとぐろを巻いている。ビッグバンはなかなか起きそうにない。
「……私は帰りたいんだ」
私は半ば耳を塞ぐようにして言った。「知っている」とカミロは当然のように答える。
「知っている。お前はずっと帰りたがっていた」
静かな声は重たげで、私に渦巻く混沌の糧となった。抱える頭は発熱しそうであるし、現実逃避には余念がない。心のカオスは宇宙創世期を語ろうとしているが、これも逃避行動の一環である。散々現実との対面を拒んできた私、お手の物と言えよう。
うつむいて顔を上げない私の心中知らず、カミロはとつとつと言葉を続ける。
「……お前には、実際に帰るだけの強さがある。この世界を置いて行くことをためらわないし、迷わない。――――一年以上この世界にいて、お前はなにを残した? 親しい友人、大切なもの、お前にとって未練になるようななにか」
「そんなものは……ない」
「ないのではなく、作らなかったんだろう?」
私は自分の足先を見た。ドレスの裾で隠れた足先が、足持無沙汰に揺れている。たまにつま先が床の敷物に触れ、足の揺れを拒んだ。
「いつか帰ることを、ずっと考えていたんだろう? だからなにも関わらない、考えない、執着もしない」
ぐぬぬと私は呻いた。耳をふさぐ手に力を込めるが、一向に効果はないようだ。
「そうやって振り向かずに、お前は帰る。……置いて行かれるのは俺の方だ」
「……それがどうした」
私は一度強く唇を噛むと、勢いよく顔を上げた。
「わかってるんじゃん! そうだよ、私は帰りたいんだから!」
悪いか、と私は神に愛されたる胸を張る。なにも臆することはない。私は目的を据え、実行できる女なのだ。
「そこまでわかっていて、なにが帰したくないだ! なんでそんなことを言った!?」
「……俺は、お前ほど強くなれない」
囁くような声とともに、カミロの手が伸びてくる。お、と思う間もなくその手は私の肩を掴み、有無を言わせず引き寄せた。
「黙って送ることはできない。俺の弱さだ」
「私ほど繊細で感受性の強い人間はいない!」
と叫ぶ私は、すでにカミロの腕の中である。前のめりのままカミロの胸に体を押し付けられ、固く腰を抱かれている。すでに椅子は無用の長物。立ち上がったカミロに対し、私は随分と小さいようだ。
美男子に抱かれ、世の女子総腰砕けとなるこの切迫した状況下。それでも私は気高くも声高に自らを主張する。私はか弱い淑女であり、心はいつでも無防備で、砂上の楼閣もさもあらん。
「ナツ」
そのあたりの無視はさすがである。カミロもだてに長い付き合いではない。
「俺はお前の未練になりたい」
私を抱く手に力をこめ、カミロはどこか縋るようにそう言った。
いやしかし、ここで屈してなるものか。
「カミロごときに多少の未練も抱くものか!」
実に繊細微妙なさわり心地の良い心を押し隠し、私は叫んだ。
「うぬぼれるな!」
「……うぬぼれか」
腕の中の私を見下ろし、カミロは暗い瞳で瞬いた。捕らわれた私は誇り高くそれを睨み返す。
「俺は、お前に少しは心許されていると思っている」
「なぜに」
「お前のその言葉」
言葉がどうした、と思いつつ、手は無意識に口を押さえる。日常茶飯事の失言の中に、今さらなにがあるという。
「俺の前だけ、敬語を忘れるだろう」
私はカミロを見上げ、口をつぐみ、息をのんだ。光を遮り、影の落ちたカミロの顔を眺めながら、自分の言動を思い出そうとする。
「……相手を見て、言葉を選んでるんです」
「俺以外のすべてにか?」
いかにも。カミロ以外のすべての人間に尊敬の価値あり。口調も丁寧に相手を尊重するのだ。いいや待て、それ以前に言葉づかいにどれほどの価値があるという。言葉など単なるコミュニケーションツールだ。語尾などその付属物。そんなもの!
そんなもの。
私は唇を噛む。たしかに些細なことである。両手を握りしめる。だけどずっと忘れないようにしてきたのだ。足で地面を踏みしめると、私は固く目を閉じた。
カミロは、私が思っている以上に私のことをよく見ている。
誰とも親しくなりたくない。なにも大切に思いたくない。この世界に私の思いを残したくない。口調だってそうだ。誰でもみんな同じ。私にとって無価値なもの。そう思うから、敬語ひとつで通していたつもりだった。
「……ナツ?」
黙りこくる私に、カミロは訝しげに声をかけた。私を覗き込んでいるのだろう、声が近い。
一方の私はしばらく目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。センシティブを体現する私の心は張り裂けそうであるが、そこはそれ。私はセンシティブであるとともに、勇名とどろく豪胆の持ち主でもある。
長い息を吐くと、今度は大きく吸い込んだ。同時に、私は勢いよく顔を跳ね上げた。南無三。
驚天動地の痛みと引き換えに、私はカミロからの解放を達成した。つくづく、私の頭骨は驚異的な強度を持つらしい。大の大人が私の前で、痛みに顔をしかめている。
「そりゃあ許すさ! 気の一つや二つ許すでしょう!!」
頭を押さえつつ、距離を取りつつ私は声を荒げた。
だって考えても見るがいい。仮にカミロが見知らぬ世界に連れて行かれたとして、そこで昼夜問わずともに行動する美少女がいたとする。それも無愛想だが意外に親切であるとする。さりげなく気も使われる。たまにはお叱りも受けるとする。
それで惚れるなという方が無理なこと。いかがわしいことをなにも思わず、無我の境地で美少女鑑賞なんてできないだろう!
私の主張にカミロが余計な茶々を入れる。
「お前は美少女ではないだろう」
「うるせー!」
どうしてそこで私を想定する! 惚れた相手はお前しかいないとか、そういうことを言うつもりか!
「だけど私は惚れない、絆されてなるものか! 多少の気を許しても、絶対に好きになってたまるか!!」
捨て台詞のように叫ぶと、私のセンシティブは一時中断し、再び頑なな心の特殊装甲に覆われた。
私の咆哮を吸い込み、夜は粛々と更けていく。




